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棚田暁山筆「伊能忠敬」 津山にやってきた伊能忠敬

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棚田暁山筆「伊能忠敬」㊤ー津山にやってきた伊能忠敬ー
 明治11年、西北条郡津山町元魚町(現津山市元魚町)に生まれた歴史画家・棚田暁山(たなだ ぎょうざん)は本名を梅吉といった。元魚町にあったという生家の場所や何を営んでいたこということは不明。少年期より古画や有職故実への関心が高く、上京して模写修復の技能を学んだ。
 この過程にあって当時歴史画の大家であった小堀鞍音の知遇を得て明治33年に入門。以後主に土佐派の大和絵の画風を学びつつ、鞍音の助手として古美術品の収集などにあたった。同門には安田靫彦らがいたが研鑚を重ねて各種の共進会などに出品、入選や褒章(ほうしょう)を受けた。
 昭和14年には号を暁山から真楯に改めた。戦時中、津山に疎開していて作品を残したがそれらには、この真楯という号がかかれている。師ゆずりの綿密な歴史考証にもとづいて緻密で迫真に富んだ歴史画を書いているが、先般、笠岡の竹喬美術館で開かれた「岡山の近代日本画展」には代表作の一つ「伊能忠敬」が出品されていた。(文: 竹内佑宜)(画:岡山県立津山高等学校蔵)

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夜の津山城(鶴山公園)美つくりの里・旅するアート2016

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2016年11月13日夜の津山城(鶴山公園)に上がってきました。夜の鶴山公園から市内を見渡したりすると幻想的な光景が見えるし、夜だけ見えるアートもうまくコラボしていいですね。
 江戸時代に築城され、完成後400年を迎えた秋の津山城跡(鶴山公園)をアートミュージアムに代え、7名の現代美術作家が独自の世界を作り出します。点在するアートが互いに連帯・連結しあう、美術と歴史の融合をお楽しみください。

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中山神社の無患子(むくろじ)の木

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 中山神社の宮司さんから「ムクロジ」のとても縁起の良いお話を伺いましたので取材してきました。
なんでも「ムクロジ」はドイツ語で、漢字では中国名の「無患子」と書くことから、子どもが病気をしない、という名前が縁起が良いとされています。今、ダイアモンド☆ユカイさんが歌う「ムクロジの木」が、泣ける歌と注目を集めましたが、ユカイさんは小さいときからこの木を見て育ち、現在はこの木がある公園で子育てをしていらっしゃるそうです。また、来春には中山神社のムクロジの実のお守りが出来上がるそうです。(2016年10月24日撮影)

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津山城跡で行われた博覧会

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姫新線全通記念・産業振興大博覧会が津山市主催で昭和11年3月26日~5月5日の期間に行われた時の記念写真です。この写真は第一会場の写真と書いてあります。(上記写真の提供は保田扶佐子さん)


 津山城は明治維新後の廃城令により建物は取り壊されてしまいました。しかし、その後の保存運動により城跡は「鶴山公園」として整備され、また、福井純一氏などの尽力により、桜の名所としても有名になり、津山のランドマークになっています。
 現在でも桜の季節には「津山さくらまつり」が開催され、また、その他にも数多くのイベントの会場として使用されていますが、過去には、津山で3回行われた博覧会の会場にもなっていました。巾でも昭和11年(1936)に行われたものでは、元々の形とは全く違うとはいえ目玉として天守閣が再建されています。その天守閣の写真などが様々な機会などで紹介されており、ご存じの方も多いと思いますが、博覧会の様子を知る方は少なくなっています。
 そこで、ここでは当時の古写真や記録を基に、再建天守閣以外の博覧会の様子についてご紹介します。(文:津博No.84より抜粋)

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熊野神社(荒神山)

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熊野神社(旧村社)主祭神:伊邪那岐命
(由緒沿革)本神社の創建年月日は詳かではないが、出雲国竟宇郡の熊野神社を勧請して荒神社と号した。御鎮座の山を荒神山というので村名とした。慶長年中宇喜多氏の家臣花房助兵衛職秀が此の山に居住して深く崇敬し、供田等を寄附して城内の鎮守とした。維新の際、現在の社号に改称し、明治六年村社に列せられた。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2016年8月15日取材)(2011年取材した荒神山城跡

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少林寺拳法グループ総裁 宗由貴氏の講演

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2016年8月20日(土)津山鶴山ホテルに於いて、「少林寺拳法のこれからの歩むべき道」と題して、少林寺拳法グループ総裁の宗由貴氏の講演がありメモしてきました。


 少林寺拳法は、開祖が戦後荒廃した日本や、日本人が自信を無くしていたのを見た時、自分に何か出来ることがないか? 自分の手でもう一度人のために働く人を育てたい。社会を良くしていくには、自分のことと同じように他人のことも大切にできる人間をひとりでも多く育てる ‐人づくり‐ しか方法はないと考え、その手段として教え・技法・教育システムを兼ね備えた少林寺拳法を創始しました。
 今や世界37か国まで大きくなりました。少林寺拳法に流派はなく、世界中どこへ行っても、同じ教え、同じ技、同じ教育システムです。
 開祖は様々なものは作ってきたが、その時代その時代で必要なものと必要でないものがあるように思います。指導者は今の時代に何が必要かちゃんと解って指導しなければならない。中学・高校生の若い年代が志を持ち、何とかしようと思ってくれるようにならなければならない。

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お散歩 衆楽園の朝

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2016年8月22日の衆楽園をぐるりと回りお散歩してきました。蒸し暑い日が続く8月後半ですが、それでも幾分朝夕が涼しくなり、過ごしやすくなってきました。衆楽園のもみじも少し色づいておりましたが、これは紅葉の始まりではなく、暑さのせい?ところで、スイレンが可愛く咲いていたのですが、池を覆い尽くすのはどうだろう。それとガマガエルの子ども沢山いて、時々息継ぎに浮かんできます。

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武家屋敷めぐり(逸見家・椿高下)

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武家屋敷めぐり(逸見家・津山市椿高下)
逸見(へんみけ)のルーツは、約400年前(慶長8年)に森蘭丸の弟、森忠政の津山入封に随身した村山家です。村山家は、江戸末期に久原家から束(津山藩の弓術師範を務めた)を養子として迎えます。束には男子が三人おり、三男の寅雄が逸見家初代となりました。二代目が広司、三代目が現当主の章となります(敬称略)。

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宰務家のヒイラギ 市指定天然記念物

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宰務家のヒイラギ 市指定天然記念物(2016年7月18日撮影)
 三浦の宰務家の玄関脇にあるヒイラギの名木である。根元周囲105㎝、眼通り1m,樹高5mで地上1mのところから約10枝を分岐している。全体の形を円錐形に造り三層に整枝されている。
 宰務家は明治6年の徴兵令による血税一揆の際、火をかけられて全焼し、家を再建したときに屋敷の角に焼け残っていたものを玄関脇に移植したものである。当時の歴史を伝える記念の木でもある。
推定樹齢330年。(津山の文化財より抜粋)

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横野滝(三の滝)

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横野滝は、吉井川の支流・宮川の支流・横野川水域にあり、下流より一の滝(落差8m)、二の滝(落差15m)、三の滝(落差36m)の3つの滝からなります。 3つの滝のうち落差最大の三の滝は、3段の段瀑となっており各段に滝壺があります。秋の紅葉の頃がおススメ。2016年6月26日(前回の取材)(2009年の紅葉の頃の取材

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