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熊野神社(荒神山)

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熊野神社(旧村社)主祭神:伊邪那岐命
(由緒沿革)本神社の創建年月日は詳かではないが、出雲国竟宇郡の熊野神社を勧請して荒神社と号した。御鎮座の山を荒神山というので村名とした。慶長年中宇喜多氏の家臣花房助兵衛職秀が此の山に居住して深く崇敬し、供田等を寄附して城内の鎮守とした。維新の際、現在の社号に改称し、明治六年村社に列せられた。(文:『岡山県神社誌』より抜粋)(2016年8月15日取材)(2011年取材した荒神山城跡

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荒神山                     熊野神社表参道と鳥居
 荒神山城を築いた時、城主の花房職秀が城の東側に熊野神社を祭り、西側に華教寺というお寺を造り、城の守りとしたそうで、このお寺が越尾道の途中にあったので、華教坂といっている。現在は、もうお寺はないが、平地になったところが二段あって、寺坂といわれている(昭和54年当時の話)と話している。
 荒神山の地名、城について元禄4年(1691)の『作陽誌』は、久米郡南分山川部に「荒神山付古城。荒神山は、荒神山村にある。荒神社があるので名としている。

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 集落の東端に熊野神社があり、荒神山城主・花房助兵衛が城の守りとして祭ったと伝わるが、『久米郡誌』(大正12年発行)は地名の由来に「荒神山は、この地に出雲から熊野社を勧請して荒神山といったのにはじまる」と記す。
 地元には、和歌山の熊神社から勧請したという伝え(地元の甲元武夫さんの話から)もあり、食い違いもあるようで、定かでない。荒神山、種の谷から南へかけ、高い山ではないが、かなり丘陵が広がり、むかしの生活は、山と密接に結びついていたことをうかがわす。荒神谷の地名もあり、おそらく熊野神社の勧請以前から地元の人が祭っていた山の神様(荒神さま)が山名のもとになり、しだいに地区の名称にもなったと考えられなくもない。『作陽誌』と『久米郡誌』の記録は似ているが、『作陽誌』のほうに興味をそそられる。(出雲街道刊行会発行『出雲街道第3巻』より抜粋)

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熊野神社拝殿所

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神社境内の大きな木

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神社境内

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末社神                      裏参道

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                         裏参道の入り口にある稲荷神社

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裏参道の入口                   裏参道の入口にある立札
津山市荒神山の中腹にある熊野神社ですが、ここの立札によると、「昔より出雲国から京に通う国道があり、元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流された時、神社前で乗り物を駐め参拝されたと伝いつたえられている。」そうです。