【津山人】 多胡昭彦さん(日本のアマチュア天文家)

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多胡昭彦さん(1932年生まれ)は日本のアマチュア天文家で、10数個の彗星や新星の発見者です。小惑星 (7830) Akihikotagoに命名されました。また、1996年に設立された岡山県柵原町の町立のさつき天文台で天文学の普及に尽くされました。
発見した彗星は、C/1968 H1 多胡・本田・山本彗星、C/1969 T1 多胡・佐藤・小坂彗星、C/1987 B1 西川・高見沢・多胡彗星がある。新星としてはV1493 Aql (みずがめ座新星1999)、V2275 Cyg (はくちょう座新星2001、no. 2)、V574 Pup (とも座新星2004)、V2467 Cyg (はくちょう座新星2007)があります。

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                               ▲多胡昭彦さん提供

2006年、はくちょう座の観測中に重力マイクロレンズ現象により天体が一時的に明るく見える現象を、初めて観測した。恒星GSC 3656-1328が2週間の周期で突然4等級ほど明るくなりその後元の明るさになるのを確認した。赤色矮星か褐色矮星がGSC 3656-1328の前面を通過したことによって、重力マイクロレンズ現象が起きたと考えられている。(ウィキペディアより

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星探しの動機
 小学校低学年のときであった。神戸市の港近くで生まれた私は、港に浮かぶ船が、夕暮れ時に次々点灯されていく光景を望遠鏡で のぞいて見ることがよくあった。そんなとき、西空のとても明るく輝く一番星が目に止まり、望遠鏡を向けてみると、なんとそこには小さな三日月状のお月さん があり驚いた。
 それというのも、お月さんは一つしかないと思っていたのに、頭上にはいつものお月さんが輝いていたからだ。父に「お月さんは二つ あるの」と尋ねると「一つしかない」との返事。早速、父にその一番星を見せると、父も大変驚き、「小さなお月さんみたいだ。すごい星を見つけたね」とほめ てくれた。このうれしさから、こんな星がまだあるのかもしれないと思い、次第に夜空の明るい星に、望遠鏡を向けるようになっていった。
 こうして子供のころ、なにげなく見た一番星が、五十年以上も経た今日までも、未知の星を探し求める動機になろうとは、夢にも考えてもみなかった。
 夜空の星々は、千年や二千年たっても、ほとんど目に見えるような変化はない。そんな変化のない夜空を、よく飽きもしないで、毎夜毎夜見つめることができるものだと、自分自身にあきれることがある。
 人生を左右するような大きな動機も、元をたどれば、何とたわいもない、実に些細なことから始まるようだ。

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▲多胡昭彦さん提供

新彗星発見の夢
 私が中学生のときであった。当時、日本は敗戦直後で国内は廃墟の極み、国民のだれもが夢も希望もなく、その日をいかに食べていくしか関心のない時代だった。
 こんなとき、強烈な感動を呼び起こすニュースに接した。それは「新彗星発見、本田彗星と名付けられる」(昭和22年)というものであった。こんな時代に、新しい星を探し求めているなんて、なんと素晴らしい夢なんだろう、と感激。このとき初めて、新彗星には発見者の名前が付くことを知る。
 夜空に輝く星々にまじって、自分の名前がついた星を見つめるのはどんな心境なんだろう。このときの感動がいつまでも脳裏を離れず、いつか自分も新彗星を探したいという夢がわいてきた。
 しかし、本格的に未知の星を探し始めたのは、それから十数年後の三十歳を過ぎてからであった。
 当初は、意気揚々と夢ふくらむ思いの楽しいものであったが、次第に不安がよぎるようになってきた。それというのも、仕事もあり、家庭もある中で、毎夜毎夜人さまの寝ているときに、ただ一人跳び起きての星探しである。いつまでこんなことが続けられるのだろう。生涯かけて努力するに値する夢なのか、不安と苦悩が襲いだす。
 こんなときいつも「せっかく子供のころに描いた大きな夢ではないか。もしも夢の実現があるのなら、その時点で星を見るのをやめてもよいのではないか。それまでは、とにかく夢を追い続けてみよう」こんなことを、幾度か自分に言い聞かせながらの日々が続いていった。
 そして、あの「本田新彗星発見」の感動の日から二十一年を経た昭和四十三年、ついにその夢現実の日がやってくる。



生きがい
 新彗星発見の夢、その夢を追うのは思いのほか大変であった。仕事以外は、テレビ・晩酌・旅行はもとより生活リズムの大幅な変更である。それが苦しければ苦しいほど、その反面もしも夢が実現するとしたら、その時はどんなに興奮し、感激するであろうか。そんな光景を思い浮かべてみることもしばしばであった。
 昭和四十三年五月一日午前二時五十分、ついにその時がやってきた。いつものように望遠鏡をのぞいていると、彗星状の天体が入ってくる。しばらく観測していると、彗星であることに間違いない。胸の鼓動が高まる中、やっとの思いで諸データを記録し、東京天文台に連絡した時は、もう夜明け近く空は白けていた。
 一睡もできないまま出勤。睡魔が襲いだしたころ、ある新聞社から、新彗星発見の知らせを受ける。この時はただ「間違いでなくてよかった」とほっとしただけ、あれほど想像してきた興奮と感激の場面もない。夢が実現したんだぞと、何度も自分に言い聞かせてみるが一向にピンとこない。ただ冷静そのものであった。そればかりか、自分の夢がこんなに小さく、あっけないものであったのかとさえ思われだし、次第に寂しささえ覚えるようであった。
 こんな日々が続いたある日。ふと力強く気づくことがあった。それは、これまで多くの苦悩を伴いながらも一つの夢、目的を追い続けていた日々が、いかに生き生きと充実した毎日であったことか。真の生きがいというものは、夢や目的の達成によって得られるものではなく、それに立ち向かい努力している時にこそ、それを体験しているときなんだ、ということであった。
 この教訓から、夢が実現したら、星を見るのはやめようと思っていたことを反省。再び、子供のころの夢、未知の星探しを続けていくこととなった。



星を見る魅力
 随分前の話だが、テレビニュースを見ていると、「イギリスのオルコックさんが、いかる座で新星を発見、肉眼でも見えている」と報じていた。びっくりして外に飛び出し、いかる座に目をやると、発見されたばかりの新星が、すぐ目に入ってきた。このように地球の裏側で発見された星が、岡山県北の山奥に住むわ家の庭先で、しかも直ちにその実物を自分の目で見ることができるのである。
 星以外の分野ではこうはいかない。たとえば、エジプトで新しい遺跡が、アマゾンで新種の植物が、ケニアで貴重な化石が発見されたとしても、それはテレビ画像や紙面上で見るだけで、実物を見るには現地まで行かなければならない。たとえ行ったとしても、すでに学者や研究機関に厳重に保管されたりで、一般の人にはなかなかお目にかかれないが普通である。
 しかし、星の場合は地球上のどこに住んでいようと、老若男女や貧富に関係なく星を見たい者には、だれにも平等にしかも無料でいつでも見せてくれる。また見つめているそのときが、最も新しい星を見ているわけで、天文学者だからといって、いつも新しい星、きれいな星、貴重な星が見えているわけではない。こんなことからアマチュアであっても、夜空の星々を見つめておれば、天文学者さえ気付かない星に巡り合うチャンスがあると言える。
 このような星々を見つめ、壮大な宇宙に心をはせていると、地球上の煩わしさから離れるひと時があり、いろんな夢がわいてくる。こんなところに、星を見る魅力があると言えるのではないだろうか。



趣味
 新彗星はいつ、どこに、どんな姿で現れるかだれにもわからない。こんな当てのない天体を、夕暮れ時の各家庭では夕食やテレビを見ている一家だんらんのころ、そしてだれもがぐっすりと寝込んでいる夜明け前と、一日二回それぞれ二~三時間捜索を行うことが多い。これが春夏秋冬、晴れておれば連夜の繰り返しとなる。
 私が発見した四個の新彗星の中にはこんな繰り返しを十六年半も費やし、やっと見つかったものがある。見つかったからよいものの、もし見つからなければ、これほど無駄な時間の浪費と、無駄な体力の消耗はない。だが、それを苦にしないで続けられているところに趣味、目的を持つことの面白さがあり、そんな中に生きがいが潜んでいるようにも思われる。
 ある冬のとても寒い日のことであった。魚釣りの好きな友人に誘われて釣りに行く。友人はいてつく川の中に、なんのためらいもなく足を踏み入れ釣りを始め出す。私もまねをして釣り始めたが、十分もしないうちに鼻水が出始め、とても三十分と続けることができず、その翌日私は風邪で寝込んでしまうことになった。
 後日この友人を誘い、いてつく真冬の星空を案内することにした。私は一晩中でも星を見ていたいような日であった。早速友人に望遠鏡をのぞいてもらうが、十分もしないうちに寒さに耐えきれず、こたつにもぐり込んでしまう。翌日友人は風邪で寝込んでしまうこととなった。
 どんな寒くとも、友人は釣りをしていて、私は星を見つめていて風をひいたことがない。どうしてこんなに体力の差が出るのだろう。目的意識の強さ、趣味の深さは、強い忍耐力を与えてくれるようだ。「病は気から」というのは、私はつくづく本当だと思う。


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▲多胡昭彦さん提供

彗星は1969年10月に発見しましたが、翌年の1月地球に大接近し肉眼でも見事な尾っぽが見えました。そのときに外国で撮影された彗星の姿です。私が発見した10数個の中で、この2つが最も思い出のある天体です。



星の衝突
 私たちの銀河宇宙は、約二千億もの星が薄い円盤状に集まって形成されている。これらの星々は、互いに猛烈なスピードで飛んでおり、いつの日にか星同士の衝突があるのではないかと心配する人がいる。しかし、星々は互いに大変遠く離れているためその心配はない。その確率は、吉井川の源に放した緑亀と、アマゾン川の源に放した緑亀が、太平洋のど真ん中で衝突するくらいだというのだから、まずは星同士の衝突はないと言ってもよいのではないだろうか。
 しかし太陽系内の彗星や小惑星などの小天体となればわからない。もしもこれらの天体が地球と衝突したらどうなるだろう。ある学者の計算ではわずか直径2、30㍍の小さな石ころでも、直径一千数百㍍、深さ百㍍以上のクレーターができ、海に落ちた場合には百㍍以上の大津波が起こるという。また広島原爆の何倍もの衝撃があるというのだから、この地球上に大惨事を引き起こすことは間違いない。
 六千数百万年前、一億数千万年も生き永らえていた恐竜が突然絶滅してしまったように、地球生命の歴史の中では、突然多くの生命が絶滅し、また新たな生命が誕生するといった繰り返しが、幾度かなされてきている。これらの原因として、最近では彗星や小惑星などの衝突説が大変有力になっている。
 太陽系の果てには無数の彗星の巣があり、火星と木星の間には握りこぶしから直径一千㌔にも及ぶ小惑星が、何万、何十万個と浮かんでいる。いつの日にかこれらの天体が、地球に向かってやってくることもあるだろう。しかし、科学の進歩によってこれらを撃退できる日もそんなに遠くのことではないと思う。ご安心を。



宇宙人
 子供たちと星を見つめながら宇宙の話をしていると「宇宙人はいるの」と聞かれることがよくある。こんなとき私は、いつも次のような話を聞かせている。
 私たちの銀河宇宙には、およそ二千億個もの星が集まっている。「なんだ、少ないんだな」と思うかもしれない。しかし二千億という数は、一秒間に一つずつ数えると、六千三百四十二年もかかる数なんだ。しかもこんなにたくさんの星が集った宇宙が、さらに一千億以上も集まり、大宇宙を形成している。こんなに多くの宇宙と星があるというのに、この地球だけにしかない生物がいないと思うのは、あまりにも手前勝手な話ではないか。過去・現在・未来の長い期間には、どこかの星に生物がいても決して不思議ではない。
 すると「宇宙人はこの地球に来ているのか」と質問が続く。果たして地球外の文明人が、この地球にやって来られるだろうか。星々は平均七光年ほど離れている。もし、すぐ隣の星、七光年離れた星に文明人がいたとして、地球人と同じ乗物スペースシャトルで来るとしたらどうだろう。スペースシャトルは秒速約八㌔、地球を一回りするのに八十数分しかかからない。こんなスピードでも、七光年を飛行するのになんと二十六万年以上もかかってしまう。
 しかし、星々の中には地球人よりもはるかに進んだ文明人がいるかもしれない。もし、秒速五千㌔走るロケットを持った宇宙人がいたとしたらどうだろう。これなら地球をわずか八秒間で回ってしまう。こんな速いロケットに乗っても、七光年先から来るのに片道四百二十年もかかってしまうのだ。
 このようなことから、私は「宇宙人はいたとしても、この地球にはやって来られない」と答えることにしている。



人類は短命か
 人類が誕生してわずか数百万年。生物の中では最も新参者だと言われている。この人類は、今は地球を制覇しているように見えるが、いずれ生物史上最も短命な生物に終わるのではないかと思うことがある。それはなぜか。
 身近なところにすむ生き物を見てみよう。犬は肉、猫は魚、スズメは穀類、ヤギは青草というふうに、人間以外の生物は主食はもとより好物は皆同じだ。これは自分たちの子孫を立派に継承していくために最も大切な食生活を忠実に守っているからであろう。
 これに対して人間はどうだろう。主食をはじめ、各人の嗜好は千差万別。酒もあればたばこもある。また警察官やや弁護士がいなければ平和に暮らせない。お金も必要なら病院も必要。何百万種とある生物の中でこんな不自然な生き方をしているのはただ人間だけではないか。どうしてなんだろう。
 それは、人間以外の生物は自分自身の聴覚・視覚・臭覚・味覚・体力などに合わせた調和のとれた頭脳を持っているのに対し、人間は頭脳だけが異常に進化してしまったため、他の機能とアンバランスになってきたからではないだろうか。その兆候は、他の動植物の世界では考えられない由々しい事件が毎日のように報道されているのを見てもわかる。
 加えて、動植物にとって最も大切な自然環境を人間だけが破壊しており、美しい星空さえ見られなくなってしまった。
 この際、生物の生きざまから自然の大切さ、自然との共生を学び取らなければ、体力の劣る人類は、早晩短命な生物として、絶滅に向かうのではないだろうか。また、この地球を守るためにも、多くの動植物はそのことを望んでいるのかもしれない。(資料提供:多胡昭彦さん)

(2014年10月16日取材)
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