中山神社の無患子(むくろじ)の木
中山神社の宮司さんから「ムクロジ」のとても縁起の良いお話を伺いましたので取材してきました。
なんでも「ムクロジ」はドイツ語で、漢字では中国名の「無患子」と書くことから、子どもが病気をしない、という名前が縁起が良いとされています。今、ダイアモンド☆ユカイさんが歌う「ムクロジの木」が、泣ける歌と注目を集めましたが、ユカイさんは小さいときからこの木を見て育ち、現在はこの木がある公園で子育てをしていらっしゃるそうです。また、来春には中山神社のムクロジの実のお守りが出来上がるそうです。(2016年10月24日撮影)
中山神社の本殿と拝殿(2016年7月28日撮影) 中山神社の神門(津山市指定重要文化財)
中国では紀元前から知られ、無患子の古名の桓(かん)は『山海経(せんがいきょう)』にみえ、郭璞(かくはく)は、果実を酒に漬けて飲むと、邪気を防ぐと注を施した。『嘉祐本草(かゆうほんぞう)』は、果皮は垢(あか)を洗い、面(めんかん)(そばかす)をとると述べている。無患子は、昔、神巫(しんぷ)がその木でつくった棒で鬼を殺したので、鬼を追い払い、患いを無(なく)すと伝えられたからという(『植物名実図考(めいじつずこう)長編』)。子は種子の意味である。果皮を漢方では延命皮(えんめいひ)とよぶ。サポニンを含み、泡立つので、それを洗剤に使った。『本草綱目』(1596)では、真珠の汚れを落とすのに用いるとの記述がある。日本でも明治時代まで、せっけんのように使用された。泡は消えにくいので、液状の消火器に使われている。種子は堅く、中国では唐代から数珠(じゅず)に用いられていた。日本では正月の羽根突きの球(たま)にされた(『和漢三才図会』)。『替花伝秘書(かわりはなでんひしょ)』(1661)では、戦(いくさ)から帰陣のおりにいける花に、楠(くす)と添え物に「むくろ木」をあげている。(文:コトバンクより)
ムクロジの木
ムクロジの実がなっています。
一部落下してます。 ムクロジの実です。
お守りも色々とあります。
毬杖が時代とともに変化し、杖が羽子板に変化し、毬が羽に変わったと言われる。一説には毬が羽に変化したのは、紐や羽のついた分銅を蹴る武術や舞や遊びが中国から伝わり、日本の毬杖と渾然一体となり現在の羽根突きになったとも言われる。
奈良時代に、男子の神事として蹴鞠(けまり)が存在したのに対し、女子には毬杖が行われていた。(毬杖とは、箆のような杖で毬を打ち合う遊びであり、神事であった。)
室町時代に は、杖(「毬杖」というが、毬杖の神事と紛らわしいので「杖」とする)は羽子板に変化し、毬は無患子(むくろじ)の木の実に羽をつけた物に変化した。現在 の羽根突きとほとんど変わらぬ様式となり、公家の間で「こぎの子勝負」といった羽根突き大会が行われ、男女対抗戦であり、負けた方が、酒を振舞ったとされ る。この無患子は「子が患(わずら)わ無い」と表記するので女児への無病息災の願いが込められている。
戦国時代には祭礼の要素が強くなり、羽根突きよりも羽子板に祓いや縁起としての装飾が施され、縁起物の装飾品としての色合いを帯びていった。『世諺問答』には幼い子どもが蚊に刺されないようにというおまじないの意味があると記述されている[1]。当時の疫病は蚊を媒介として広まることが多く蚊除けは大事な事であった。
江戸時代には、武家が女児の誕生を祝って羽子板を贈答するようになった。またこれが庶民にも伝わり、女児のいる家庭に縁起物の歳暮として年の暮れに贈られるようになった。このことが正月に羽根突きが行われることの由来となっている。(文:ウィキペディアより抜粋)(不思議で楽しい植物の世界 おもしろい木のムクロジ)