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取材記事内を検索ワード「参勤交代」で検索した結果,29件の記事が見つかりました。

出雲街道を歩く(河辺から津山城下)

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第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」

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出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその2)

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2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。レポートその2は、嵐ヶ乢~新庄宿までです。秋の日、暑くもなし寒くもなしのハイキング日和で、ワイワイガヤガヤ賑やかに歩いてきました。後鳥羽上皇旧跡では、地元の方が甘酒を用意して待っていてくださり感激でした。また、しだれ栗の木にはビックリでした。

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因幡街道大原宿  古町のひな祭り2016

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2016年4月3日(日)因幡街道大原宿  古町のひな祭り2016に行って来ました。
普段は山に囲まれた静かな所ですが、今日は小雨がぱらつく中ですが大勢の観光客で賑わっていました。ラッキーなことに着いた途端十二単の衣装の着付けが行なわれていましたのでしばらく見入ってしまいました。古式豊かなイベントでした。それに、小川にかかる竹の器に植えられた花が可愛いし、並みがいいですね。旧因幡街道の民家や商店など約60軒に古雛、現代雛などさまざまな雛人形が飾られた趣のある街道を散策してきました。また、手作りグルメが販売され、中でもしいたけの天ぷらが人気でしたよ。

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出雲街道と勝間田宿

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 出雲街道は出雲往来ともよばれ、古代には畿内から山陽道を通り播磨から出雲を結ぶ官道として機能していました。勝間田には古代の勝田郡衙が置かれ、古来人々や文物が行きかう交通の要衝として栄えていました。
 江戸時代に入ると、出雲松江藩や美作勝山藩・津山藩などの諸大名が江戸への参勤交代の交通路とするため、出雲街道が本格的に整備されていきます。それにともなって、各地に宿泊や人馬の継立てを行う宿場が設置されていきます。
 勝間田は参勤交代の宿場町として整備され、美作七宿のひとつとして発展しました。勝間田宿には、大名や供のものが泊まった旅舎が二つあり、主に津山藩主が宿泊した下山本陣と、松江・勝山藩主、宮家・勅使が宿泊した木村本陣がありました。

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2014年 津山城東むかし町祭りがありました。

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平成元年から続いてきたイベント「第24回 出雲街道 津山城東むかし町」の祭りが2014年11月2日(日)にありました。城下町の構造や長屋形式の町家が多く残る国の「重要伝統的建造物群保存地区」で開催されました。このお祭りは伝統的な町並みがつづく城東地区を知っていただけるイベントが盛り沢山の懐かしい優しさに満ちたお祭りです。江戸時代は参勤交代路としてもにぎわったところです。(城東界隈の取材)(↑写真:石川富久美さん)

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出雲街道 下山本陣(勝央町)

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出雲街道と下山本陣
 出雲街道は、ほぼ現在の国道179号線及び181号線に沿って播州姫路から雲州松江に至る藩政期の街道である。作東町杉坂峠から美作町北山・上相を経て、勝央町から津山市内に入る。当地勝間田は、江戸時代に美作・出雲など各藩主の江戸参勤交代の宿場として栄えた宿場町である。古くは商家が軒を連ね、その中を貫く街道の片側には小川をつくり、滝川の水を引いて流していた。終戦直後まで、きれいな水がながれ食器などを洗う風景がみられたが、今はその面影はなく溝だけが残っている。町並みも大きく変わったが、瓦葺き屋根に卯建が上がり、格子戸の家が今もところどころに残り、往時を偲ばせてくれる。

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兼田の大きな道標と交通の近代化(津山市国分寺)

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兼田の大きな道標と交通の近代化(明治末~)2014年6月29日取材

 津山の最初の鉄製の橋、昭和5年にできた。旧出雲街道の川崎と河辺を結んで加茂川にかけられたこの橋は長さ90.5m、幅5.35m、現在は約70m下流に因美線の跨線橋を兼ねた国道53号線の新兼田橋ができている。

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全国の中でも数少ない津山藩の「大名行列図」

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上段左端が行列の先頭です。上段には、本行列の5日前に出発する宿割隊がいます。


(2014.8.6許可済み画像提供:津山郷土博物館)←詳しくはここをみてね!

 津山松平藩第7代藩主斉孝(なりたか)が参勤交代により、津山へ帰国する行列を描いた絵図である。明治17年(1884)製作。襖仕立てで7枚からなり、各縦91㎝、横188㎝。

 津山松平藩は、元禄11年(1698)の美作入国当初は10万石であったが、享保11年(1726)、第2代藩主の夭折により5万石に削減された。その 後、文化14年(1817)、第11代将軍徳川家斉(いえなり)の子銀之助(後の第8代藩主斉民(なりたみ))を養子に迎え、宿願の10万石復帰を果たし た。

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「石谷家住宅」国指定重要文化財・国登録名勝(石谷氏庭園)

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国指定重要文化財・国登録名勝(石谷氏庭園)近代和風建築の集大成石谷家住宅
 江戸時代、参勤交代の宿場町であった智頭宿。因幡街道に面する石谷家住宅は敷地面積3000坪、部屋数40余りによって構成されています。

 見上げれば巨木の梁組み、大黒柱の輝き。近世から近代への建築技術の推移を示す歴史的建造物群です。大規模な近大和風建築物として高く評価され、現在は一般公開されています。蔵を利用した美術品や工芸品の特別展などが開催され、四季折々の風情をお楽しみいただけます。 (取材協力:石谷家住宅)2013年11月16日

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