
行啓道路(津山市山下)

鶴亀神社(津山市久米)

アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

上段左端が行列の先頭です。上段には、本行列の5日前に出発する宿割隊がいます。
(2014.8.6許可済み画像提供:津山郷土博物館)←詳しくはここをみてね!
津山松平藩第7代藩主斉孝(なりたか)が参勤交代により、津山へ帰国する行列を描いた絵図である。明治17年(1884)製作。襖仕立てで7枚からなり、各縦91㎝、横188㎝。
津山松平藩は、元禄11年(1698)の美作入国当初は10万石であったが、享保11年(1726)、第2代藩主の夭折により5万石に削減された。その 後、文化14年(1817)、第11代将軍徳川家斉(いえなり)の子銀之助(後の第8代藩主斉民(なりたみ))を養子に迎え、宿願の10万石復帰を果たし た。
この図は翌文政元年(1818)、津山藩主松平斉孝が10万石復帰後、初入国する様子を描いたものである。藩主を中心に武士、足軽、中間など総勢812 人が克明に描かれている。大名行列図は加賀前田家をはじめ全国に多数現存しているが、この図は大名行列の最も詳細な資料として、学界の注目を集めている。 (津山郷土博物館保管)(文:津山市HP親藩津山藩の威勢を示す「大名行列図」より)
左:上段左端の2つの駕籠は、3日前出発の部隊で、その直後から前日出発の道具隊になります。
右:上段は道具隊の続き。中段には御用取次や近習などの駕籠が並びます。
左:上段は道具隊の続きで、最後尾(右上)には藩主用の風呂が青く描かれています。中段には藩主の召馬や梱包された控えの乗物が並びます。
右:上段は、津山到着前日に出迎えとして派遣された先手の鉄砲・弓部隊。中段の中央を、多数の供に護衛された藩主の乗物が進んでいます。
左:上段は出迎えの長柄部隊。中段左端には、津山藩の行列の目印だった熊毛槍があります。
右:上段左端が、江戸から来た本隊先頭の奏者番です。右端のカーブした部分には、出発前に藩主が将軍から拝領した鷹や馬がいます。下段が行列の最後尾です。
2014年7月16日 NHK総合 歴史秘話ヒストリア episode1 そこまでやるの? 豪快な大名行列でこの津山藩の「大名行列図」 の絵巻が紹介されました。
先頭は宿泊担当者や医者、風呂桶、鷹匠がいて家来の順番で、行列の最後は、殿様の世話係りをする坊主、総勢800人あまりで16泊17日の旅、これは当時の殿様で平均的な旅だったそうです。