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梶並神社(美作市梶並)2012.10.6

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由緒沿革

 そもそも梶並の庄は、岡山県の東北端にあり、北は峯続きに鳥取県に連なり、東は英田郡大原町・西粟倉村、降って作東町に接し、西は勝田郡奈義町に続いている。作陽誌の示す所によれば「元梶並庄は一村であったが、東谷・中谷・西谷と三村に分って居り、慶長以来叉十邑に分つ」とあり。
 梶並神社の創立は何れの時であったか、その真相をつかむ事は困難であるが、「美作国神社資料」によると〝或は伝う〟として推古天皇の十五年(六一三)丁卯春二月、山川幽明の霊地として高お神(たかおかみ)を祭り、郷土の鎮護としたものとなっている。
 本社には、次の諸神が奉祀されて居る。古よりの祭神は、高お神(たかおかみ)、相殿には、経津主の命(ふつぬしのみこと)、武雷の命(たけいかづちのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)、息長足姫(をきながたらしひめのみこと)(神功皇后)、比賣大神(ひめがみ)
 次に境内社として祀られているものは
磯神社 少彦名命(祭日十月二日)
高良神社 武内宿弥(祭日十月二日)
稲荷神社 宇賀之御魂名(祭日十月二日)
 神々のうち、古より武雷命・経津主命が祭られているが、此の二神の首字をとって、神山を武経山と名づけられ、後になって武男山と改められたと伝えらている。(文:梶並神社誌より)2012年10月6日取材

岡山県重要無形民俗文化財 梶並神社「当人祭」2012

2006年の当人祭の様子

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法然上人 生誕の地 誕生寺(久米南町)

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誕生寺由来 (2012年11月18日取材)

 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、師法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたもの、すなわち誕生寺である本堂須弥壇の位置は上人誕生の室のあった所。
 爾来九百年の星霜を経て法灯絶えることなく全浄土教徒の魂の故郷と敬仰されている法然上人(圓光大師)二十五霊場の第一番。
 境内には、誕生椋、片目川、産湯の井戸など、永き歴史を物語るものがある。(資料提供:美作之国 誕生寺)

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美作三宮 天石門別(あめのいわとわけ)神社

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 美作三宮といわれる天石門別(あめのいわとわけ)神社は、社殿の後に滝があることから滝宮とも呼ばれています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命(あめのたじかろうのみこと)の助けで平定できたお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。社地には、籠殿、拝殿、本殿が整っているうえに、古代祭祀遺跡「盤境」(いわくら)といわれる石積の塚も残っています。環境庁・岡山県(看板より)

主な祭典 10月第4日曜日 : 例大祭、4月29日 : 春祭、8月第3土曜日 : 八朔祭、美作市滝宮89(2012年11月23日取材)

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片金山明王院 金龍寺(津山市加茂町室尾)

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片金山明王院 金龍寺縁記
 当寺は、真言宗醍醐派に所属し、片金山明王院金龍寺と称し「千手十一面の二相両具をそなえた観世音菩薩、千手観世音菩薩」を本尊とし室町時代の文安5年(1448)行基菩薩の法系孫と言われる恵秀法印の開基になり、当初は、裏山、現在の寺山の中腹(当青柳の庄時代交通の要路であったと言われる)にあり七堂伽藍をかまえそなえた寺院であったが、天文21年3月(1552)火災にかかり、ことごとく焼失し、同年8月寺地を現在の処に移し、開基より三代目、数円法印再建す
 その後、元和元年(1615)津山城主、森忠政公の命により津山留錫の玉林院法印智観の資子、宥智東蔵坊法印、これを継承し、室尾城主、河端丹後守公の祈願寺として、寺領250石を賜り周辺村(現在の部落)わ檀家とし、尚神仏習合寺院として現在の三宝神社の別当を勤め、別寺名を実安山神宮寺とも称し、当山派系(真言宗醍醐三宝院末寺)の修験道寺院をも加えた密教寺院であった。
 然し、明治元年(1868)神仏分離令に加えて排仏毀釈に会い解体せられ、その上、明治5年(1872)修験道廃止令に依り衰退し,本宗(密教系寺院)の寺院の姿の一部を止めるに至り現在に至っている。
 然し、今当寺に相承の法流は、真言密教の中核、小野三宝院流、及び修験道の大峯山法、恵印三未耶法流である。
玉林院智観法印とは、大和国大峯山直轄の密教寺院であり、勅願所である内山永久寺(明治初年の排仏毀釈により廃寺)の正大先達頭として諸国を歴訪し、津山に留杖し森公の相談役として家老待遇で迎えられていた。2012.9.20取材(文:案内板より)

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青柳神社(津山市加茂)

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青柳神社
御祭神 天照大神荒魂 金山彦命 天日筒男命
例大祭 十月十日
中祭  春祭四月 夏祭七月 冬至祭十二月
由緒・沿革
 本神社の創建由緒は不詳であるが、古人伝え云ふ。
天平勝宝年中(749~56年)直金を掘収したが失敗し、片金山の柳神社に祈願したところ、金山彦命、天日筒男命を奉賽せよと告げられ、柳神社を相殿として宮殿を造り、社号を中山神社としたのが其の起源である云われている。
 又、美作六十六社の一社であり、寛文8年(1668) に再建したとも云われている。「作陽誌」にも中山神社とあり外に国司大明神が祭られていたと云ふ。
 其の後、明治6年(1874)青柳神社と改称し、同9年、金山彦命、天照大神荒魂、天日筒男命を合祀して村社に列せられた。明治42年に大字青柳内の水分神社、経津主神社、伊勢神社、滝神社を合祀した。大正2年、時の流れに依り、上加茂神社(現千盤神社)に合祀された。
 それ以前は現在地より上の段に双殿として奉賽されていた。現在の本殿は其の一つの宮殿であった。それ以来、遥拝所となり昭和24年再び旧宮山に遷座奉賽される。
 平成6年10月、本殿、拝殿等老朽化が激しく、敷地を新しく造成し、本殿の修復、上屋・拝殿を氏子の浄財寄進等により、造営する。
平成9年6月吉日 氏子中  (2012年9月20日取材)(文:案内板より)

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河面 苫勝霊場めぐりの信仰上原のお大師堂

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 上原の丘陵端に民家より少し離れて、新築整備されたお大師堂がある。掲げられている額に、「苫勝霊場 第十九番本尊 地蔵菩薩」とある。 
 苫勝霊場○○番とは、かつての苫田郡・勝田郡地域の八十八ヵ所めぐりの札所(観音霊場)を言うのであって、戦前の八十八ヵ所めぐりが大変盛んであった歴史を伺わせるものである。霊場めぐりは、農閑期の春先に遍路姿で杖をつきながら歩き、数十人の団体で巡回していた。数日がかりの巡回のため、時折、上原中の民家が総掛かりで遍路宿をつとめ、世話をしていたと言う老人の話である。

 そもそも、八十八ヵ所めぐりは、観音信仰に由来し、観音霊場三十三ヵ所札所めぐりの発展した、四国の八十八ヵ所(弘法大師霊場)めぐりを示すものである。八十八基の石仏などを並べてあるのは、この霊場(札所)詣での写しで、多くの場合は、石仏などの前に、そこに示した寺院の土を埋めてお砂踏みをし、参詣と同じ意味を持たせている。八十八ヵ所の札所に参ると、それぞれ米粒を供えていく「御撒米」や、5円、10円などの硬貨を1枚づつ「御賽銭」として供えていく形の信仰は今も続いている。

 歴史的には、養老2年(718年)に西国三十三観音霊場が創設されて、弘法大師(空海)のゆかりある四国八十八ヵ所霊場が、平安初期(920年頃)創設された。一般大衆が、本格的に霊場巡りをするようになったのは、明治の20年代からと言われ、四国の場合徒歩で約60日かかっていた。そのため、苫勝の事例のように、全国各地にこれに代わる数日で参拝できる巡礼コースが創設された。

 上原の19番霊場は、四国八十八ヵ所19番霊場である徳島県小松島市の立江寺の本尊=延命地蔵菩薩を勧請されている。立江寺は、聖武天皇の勅願寺で、弘法大師の刻んだ仏像があり、阿波藩主蜂須賀公により再建された古刹である。地蔵菩薩そのものは、観音の化身の姿であり、延命地蔵は、人の苦しみを救うばかりかいざという時、身代わりとなって災難から助けてくれる、霊場あらたかな地蔵尊として信仰が厚い。上原では、一時、薮の中で薄汚れていた石仏であったらしいが、今再びよみがえり、毎日のように線香や蝋燭が絶えない住民の熱心な信仰が続いている。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)2012.9.17

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五穀寺(旧勝北町大吉)


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五穀寺(大吉) 2012.9.2
 日本原高原を見渡せる高台にある五穀寺は、山号を作本山、院号を豊饒院とする真言宗東寺派の寺院です。
本尊は阿弥陀如来。寺伝によると応永年間(1394~1428)高野山宝性院宥快上人の開基と伝えられます。本寺の住職であった大僧正岩原諦信師(1883~1965)は、高野山大学の講師をつとめたこともあり、わが国の声明(仏教音楽)の権威として知られています。国語学者の金田一春彦氏が寺を訪れ、師の教えを受けました。(神社と寺院より)
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にっぽん縦断「こころ旅」こころの風景とエピソード大募集!

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岡山県内で4本の番組を制作予定!
こころに残る「何気ない風景」「思い出の風景」「忘れられない風景」「みんなに伝えたい風景」など皆さまのこころの風景とエピソードをお待ちしております!

岡山県の放送予定
11月5日(月)~11月11日(日)、NHK-BSプレミアム
(月~金)7:45~8:00、(土・日)11:00~11:59

お手紙募集の締め切り10月5日(金)必着!

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両山寺五瀧の一つ「小滝」

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2012年7月16日(火)小瀧(こたき)倭文東村大字福田上
小瀧は八社川上流にあり、小滝(高さ約20m)付近はよく整備されている。
両山寺五瀧の一つ、高さ10間、幅4間、傍らに大師堂がある。榜示が乢へ上る道路も左側にあって通行する旅人の足を止めしめる。瀧は小さいが雅致がある。(久米郡誌より)
 野山が紅葉と変わり清々しき心地に秋風がやって来る頃、又春の陽に麦穂の美しく伸びゆく時、御大師巡りに足を八社の地に運ふ折道行く人々に疲れの足を停めさす小瀧、秋の陽ざしに岩の白く輝き清流に流るゝ汗を拭ひ取り水の面に我が身を写せる小瀧の水の清らかさ先づ何と云っても秋の八社の代表的景勝地で有らう瀧の上に堂ありて、御大師様、御薬師様等祭礼するは是又面白き姿である。久米郡誌に「両山寺五瀧の一つ高さ10間、幅4間傍に大師堂がある榜示が乢へ上る道路の左側にあって通行する足を止めしめる瀧は小さいが雅致がある」と述せる如く総て小瀧の地は風雅なり。(昭和27年9月1日発刊 倭文志稿より抜粋)2009年取材の様子はこちら

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曹洞宗 清涼山 正覚寺

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曹洞宗 清涼山 正覚寺 (2012年6月24日取材)
縁起
 当院は曹洞宗太源派に属する寺で、作陽誌には次の通りに記述されている。
 本尊千手観音 鎮守春日大明神 本寺夢中山幻住寺 境内東西百七十間南北六十五間となっている。本尊は千手観音となっているけれども現在の本尊は釈迦三尊であり、鎮守は白山大権現である。
 久米郡旭町大字北にある夢中幻住寺第二代の住職大庵洞益(1434~1461永享6年より寛正二年まで二十八年間住職)は長禄二(1458)年、今の大字宮部下、久保神社の西隣に地に小さな寺を建て、「普門寺」と称した。しかし此の寺は未だ本山からも認められておらず従って寺格もない平僧地であった。
 夢中幻住寺は永禄年中に失火、永禄九(1566)年より天正十九(1591)年まで二十六年間無住、其の後天正十九年に法山存悦が幻住寺に入った。
此の人は元和五(1691)年迄二十九年間住職として幻住寺の復興に尽して功績のあった人である。此の法山存悦が幻住寺復興に尽した経験と才幹をもって宮部地方の人々に説き、喜捨を集めて、寺地を宮部上村の王子に定め、前記の普門寺をここに移して寺院を建設したのである。
であるから此の寺の開基も開山も実際には法山存悦であるけれども、普門寺の開山である幻住寺第二代の住職大庵洞益を迎えて勧請開山に据えたのである。
時代はわからないが法山存悦の幻住寺10色在任中の天正十九年から元和五年に至る二十九ヶ年の間と推定する外ないのであって、かいざんは実際よりも百二・三十年も前に遡って長禄二(1458)年の普門寺の開山そのものが此の寺の開山とされたわけである。
 作陽誌(西作誌)は元禄二(1689)年から元禄六(1693)年までかかって森藩の編纂した地誌であってこの頃ではすでに山号(清涼山)も寺号(正覚寺)もあり、本尊は千手観音、鎮守は春日大権現で夢中山幻住寺を本寺とするちゃんとした寺院に成長していたのである。(全文:『 久米町史』より)
曹洞宗 清涼山 正覚寺 本尊 千手観音 (津山市宮部上1663)

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