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美作三宮 天石門別(あめのいわとわけ)神社

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 美作三宮といわれる天石門別(あめのいわとわけ)神社は、社殿の後に滝があることから滝宮とも呼ばれています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命(あめのたじかろうのみこと)の助けで平定できたお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。社地には、籠殿、拝殿、本殿が整っているうえに、古代祭祀遺跡「盤境」(いわくら)といわれる石積の塚も残っています。環境庁・岡山県(看板より)

主な祭典 10月第4日曜日 : 例大祭、4月29日 : 春祭、8月第3土曜日 : 八朔祭、美作市滝宮89(2012年11月23日取材)

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津山から行くと県道46号線の滝宮トンネル入口手前です。

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県道46号線沿いに立て看板があります。

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広い境内には御楯神社がひっそりと祀られています。

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鳥居をくぐると琴弾の滝へ続きます。

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拝殿です。

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境内の様子

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狛犬(※約10年ほど前、一基が盗まれたとのことで、今は中国製の狛犬を飾っているそうです。)

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末社が本殿の左側にあります。(大歳神社・宇受売神社、稲荷神社、早滝神社、総神社)

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本殿

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本殿と拝殿、末社神

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御正殿旧跡と磐座遺跡です。
この丸い塚の中には、吉備津彦命を祀った畳一畳ほどの岩(古代に於ける祭場の跡として代表的で2,000年以上経っている)があるそうです。その昔、岩の上で弁当を食べた人達(昔は牛の神様としてお祀りした時期があった)が、帰ってから皆お腹が痛くなることが続いたそうで、何故かと老人に尋ねたら、「最初に吉備津彦命を祀った所だから。」と言われたそうです。また、邪魔になるからと斧で叩いて割ろうとしたり、捨ててしまおうとしたら、山からゴッー!と音がして怖くなりよう壊さなかったとか、当時神主さんが二人おられ、二人とも吉備津彦命が岩の上に降りてこられた夢を見て、隠さなくてはと岩を囲ったのが今の磐座遺跡だそうです。(当時の神主さんの名前が記録されていた年代をみると、今から約400年前ではないかとのことでした。)

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琴弾の滝(ことひきのたき)天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)の社殿から奥に入ると落差13メートルの琴弾の滝があります。

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滝は二段からなり、上の滝を雄滝、下を雌滝と呼び、古くから知られている名瀑です。一帯はうっそうと樹木が茂り、夏は天然の涼場となり、秋は紅葉の美しいことで知られています。

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琴弾の滝へ続く道の美しい紅葉

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誠に美しい光景でした。


美作三宮 天石門別神社
御社名 天石門別神社 御鎮座以来御社名の変更されたことはない。
鎮座地 岡山県美作市滝宮89番地
  御鎮座以来、鎮座地の異動された事実はない。但し、鎮座地の呼称は種々異ったものがあった。即ち、古代大化の頃 英多の地方 和名鈔による 英多郡河会郷、鎌倉・室町時代、河会庄宮地村、旧幕時代、作州宮地村、町村合併まで岡山県英田郡河会村滝宮字滝宮89番地。
 祭神は天手力男神、社伝によると御鎮座は約2,000年余りまえといわれている。その年月日は不詳だが、財田氏家系図の端文によると第10代崇神天皇の御代に四道将軍大吉備津彦命が中国地方鎮撫の為西下された際、当神社の祭神、天手力男神の神教と神助により、いち早く其の目的を達せられたので、御礼の為当神社の神地を選び、御自ら祭主となられ鎮斎さられた古社と伝えられている。

 皇室崇敬の事実としては、清和天皇、貞観5年5月(863年)従5位下より従5位上に神階を昇叙さられ(三代実録所載)、つづいて醍醐天皇、延喜式の御制定に際しては、その当初に延喜式内の官社として全国3,132社の中に加えられ春秋の月並大祭は国費を以って執行せられたことが正史に明らか(延喜式)。

 武将の崇敬では嘉元3年(1305年)地頭、平重継によって社殿が再建され、降って明応8年8月15日(1499年)渋谷兵衛尉平国綱、神田を寄進(寄進状現存)。元禄10年2月(1697年)津山城主森長俊、本殿を再建(現在の本殿)、享保15年以降毎年9月大祭に領主土岐氏代参者を派して祭事を執行された。嘉永5年5月領主土岐頼寧、御屋根葺替並に国土安穏祈願の為、御印を寄進等があり、庶民もまた開運招福の守護神として、或は祈雨に顕著なる霊験があるため右より今日に至るまで遠近を問わず神前に額づいて神助を仰ぐもの跡を絶たず。

 名士の崇敬では明治43年衆議院議員福井三郎氏のあっせんにより、当時の内閣総理大臣桂公爵を始め諸名士より数々の資材が寄進された。明治6年美作国第18区郷社に、つづいて明治13年県社に昇格し終戦に至った。元禄10年2月、津山城主森長俊公によって再建された社殿のうち本殿のみは当時のままであり、幣殿・拝殿等は明治6年郷社と御冶定の際すべて改築した。但し、本殿横の八幡社は元禄以前の古建築である。明治6年改築された幣殿及び拝殿等も県営河会ダム建設により水没の憂を生じたので、敷地を量上げして本殿を始め他の施設を共に移築・改築・移転等の大工事を行い、昭和52年3月に完成したものである。
 
 磐座は古代に於ける祭場の跡として代表的(2,000年以上経っている)。
狛犬は(阿形の狛犬、吽形の狛犬)作者・年代とも不詳であるが、伝えられるところの渋谷国綱の寄進によるものと言われている。約480年(室町時代)前のものである。(※約10年ほど前、一基が盗まれたとのことで、今は中国製の狛犬を飾っているそうです。)
 琴弾きの滝、滝は二段になっていて上の滝が雄滝、下が雌滝で古くから知られている名瀑である。


 木製棟木鬼板、作者と製作年代は詳でないが、社伝によると元禄10年2月、津山城主森氏が本殿再建の際、旧社殿の貴重な遺物として永年保存するよう命じた由である。特に16葉の菊花の紋章が神社の格式の高かったことを有力に物語っている。
 八幡神社、祭神誉田別尊(応神天皇)、配祀 仲哀天皇、神功皇后、摂社として御本殿に次いで奉祀総神社とも言われる。古く河会郷中の八神社を合祭し、八社様とも言われていた。八社とは、福本神社(旧名 賀茂大明神)、大栄神社、奥神社、三保神社(旧名 矢野原宮)、磐渕神社(別名 木の宮)、上山神社、威剱神社、横尾神社。
 以上、社伝および故宮司中川克己氏詳録抜粋による。
神社所有面積
境内地 22,258㎡
原野 485㎡
山林 19,434㎡
保安林 171,817㎡

祭事と行事予定
4月29日(祭) 春祭 併敬老祭(長寿65才以上) 還暦祭61才
5月第4日曜日 みたて神社祭(戦没者慰霊祭)
8月16日~22日の土曜日 人形に名前を書いて罪・けがれを拭い、無病息災を祈る神事。八さく踊り、くじ引き等行う。
9月23日(祭) 神なめ祭、氏子研修旅行
10月第4日曜日 秋祭、神輿2基、子供神輿1基、花2組
11月15日 7・5.・3祭 15日を中心又は日曜日を含む3日間
11月23日(祭) 新なめ祭
1月1日(祭) 歳旦祭 3日まで3日間 新年祭
1月15日 トンド祭(14日 下ろしたお飾り、書初めを9時頃 持ち寄り焼く。)神酒およびそば、ぜんざい食べ放題
(文:天石門別神社発行:天石門別神社 沿革のあらましより)