岡山県重要無形民俗文化財 梶並神社「当人祭」
神社の祭祀
古代の祭祀については、知る由もないが、石奇清水八幡宮の勧請以来は、自他共に許した社格をもって、それまでの伝統をも活した祭事が行われた事は当然の事で、神社誌の考証等によれば、「放生会」や「御輿の渡御」「もこしまつり」等の行事が行われたと述べている。
ところで、「由緒」と沿革の中にも示している通り、戦国時代の終わり頃、社領が没収される等の事によって、祭典のしきたりも改めて行うというような結果となり、ここに頭(當)人祭と称せられる祭の様式がとり入れられたと理解すべきだろう。
頭(當)人祭に就ては、当社に残る最古の記録として「八幡神社五度の祭年々頭人留置 享保十八年癸丑正月吉日」「社頭第一重職 横山 右衛門佐」と記された簿冊により、構成や様式、経過等について織る事が出来る。(梶並神社誌より)
岡山県重要無形民俗文化財
創建千四百年の歴史を物語る奇祭
梶並神社当人祭
平成24年10月6日(土)美作市梶並123梶並神社境内
当人様(生き神様)が参道にひれ伏した参拝者の背中をまたいでゆく、またがれた者はその一年無病息災であるという
(情報提供:梶並神社)
午前
五時 清め 当人が身を清めて儀式に臨みます
六時 午王出し(ごおうだし) 当人が神社に宿る「神」を当家(とうや)へお連れします
八時 御斎(ごさい) 神社から当家へ下った神様を讃える儀式
十時 例祭(さいれい) 神主による祭礼儀式
午後
三時 先上がり(さきあがり) 行列を組んで当家から神社に供物を届けます
当日、村人等身を潔めて、當家に集まり、供物、器物、食糧等を整え、午後二時頃出発して神社に向かう。片木(へぎ)・抱桶・御飯櫃(おめしびつ)等は男児が背負い、神酒は御酒桶(みおけ)と言う桶に入れ、かついで運ぶ。供物・食糧等は大人数人でかつぐ事になる。行列は先ず「梶並八幡宮」の幟を先頭に露払、荷宰領、笛、たいこ、鉄砲、片木負いの児の供、御酒絞り(女児数人)供物、食糧、助人等の順である。行列が神前に到着すると、神職がこれを受け取り、仮案に整理する。
四時 神酒絞の儀(みきしぼりのぎ) 小学生女子による御神酒絞りとお供えの儀式
神社の境内には地元の氏子さん達が大勢集まっています。
鉄砲はあらかじめ烏帽子の「鉄砲浄め」を受けるのが常例とされていたが、現在は使用禁止となっている。
地元の仲良し高校生達も参列
境内には屋台が、またおみくじを求めにやってくるのは若者が多い。
七時二十分 当家出発 ※境内にて勝田清流太鼓の演奏(7時20分~)
八時 本上がり(ほんあがり)
当人一行が参拝者の厄を払いつつ登殿します
八時三十分 本殿祭
八時三十分 本殿祭 当人が神に供物をし、氏子の無病息災と平安を祈る儀式
※境内にて勝田清流太鼓の演奏(8時30分~)
九時 逆鈴の舞(さかすずのまい)・御手綱の舞(おたずなのまい) 作州神楽八つの舞のうちの二つ
逆鈴の舞(さかすずのまい)
十時 七度半の儀(ななどはんのぎ) 祭儀式の無事終了を祝うとともに神官を労うための招きの儀式
十時十分 直会(なおらい) 神主を労う儀式でスルメの炙りカットと昆布の刻みを紙に載せて供します
十時二十分 丑刻参り(うしのときまいり) 行列を組んで境内の末社を巡る儀式
十時四十分 直会(なおらい) 神官、当人及び供による儀式後の反省会
十一時 禊(みそぎ) 宮下がりの前に、全員が手や顔を洗い口をすすぎます
上るときも各神社にお参りしながら上る
十一時十分 宮下がり(みやさがり) 行列を組んで神社より当家に帰る儀式
宮司は最後の一人まで鳥居のところでお見送りを済ませます。
※当日は山陽映画による文化財記録用映画の撮影がありました。