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M&Y記念館/いわさきちひろの履歴と美術館の紹介

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▲いわさきちひろポストカードより(許可済み)

作家履歴と美術館の紹介

★いわさきちひろ を楽しむならば・・・
ちひろ美術館・東京 
住  所 東京都練馬区下石神井4-7-2 TEL: 03-3995-0612
開館時間 10:00~17:00/休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日)

安曇野ちひろ美術館 
住  所 長野県北安曇郡松川村西原3358-24 TEL: 0261-62-0772
開館時間 9:00~17:00/休 館 日 第2・4水曜日(GW・8月は無休)

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八出天満宮の合格祈願祭

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出天満宮は広く美作地方一円の人々からは古来「学問の神」「書の神」として崇敬され、信仰を集めてきた。

菅原道真公(845~903年)が御祭神。歴代の領主は天満天神(道真)への畏敬から、自らの庇護神として或いは領内安寧のための「厄除・除災」の神として八出天満宮を手厚く御祀りしてきた。全国の天満宮の中でも稀な縁起と最古に位置する起源を持つ由緒あるお宮である。(津山市の重要文化財に指定された歴史的にも貴重な建造物となっている。)

平成23年の合格祈願祭は、1月22日(土)・23日(日)で、両日とも午前9時受付、午前10時~午後4時

その他の祭礼は、夏祭7月24日(日)湯立て神事 午前11時、秋祭10月23日(日)神事午前10時、御神幸午後2時~4時、新殻感謝祭11月23日(金)神事11時、天神様の日、毎月25日(道真公の御命日)

 

詳しくは、2009年の取材記事「八出天満宮」をご覧下さい。

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勝北総合スポーツ公園プールです。

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夏になると子ども達に人気の津山市勝北総合スポーツ公園があります。
毎年、各地から両親やおばぁ~ちゃんに連れられて来る子供たちの歓声が大自然にこだまします。
周囲が山で、野球場、テニスコート、多目的広場やローラー滑り台のある「子どもの丘」などのレクリエーション施設があり、とっても恵まれた環境です。
《屋外》流水プール(1周100m)、幼児用プール、ロックスライダー、ウォータースライダー

平成23年7月16日(土)~8月31日(水):期間中無休:午前10時~午後5時 ※火曜日定休(8月16日、30日は営業)

:料金 一人300円※0歳児は無料(2011年8月時点)
駐車場(無料)

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「津山観光センター」です。

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津山観光センター

県北(美作地方)のパンフレット類を多数そろえております。津山市内・美作三湯等の観光スポット、宿泊、食事案内などお気軽にご相談下さい。(津山市観光協会と美作観光連盟の事務所は2階にあります)(2010.7.29)
◆所在地:〒708-0022 津山市山下97-1 ◆TEL:(0868)22-3310
*大型バス自家用車用駐車場あり  *バリアフリートイレ完備 
津山観光協会HP 津山駅前観光案内所 城東観光案内所

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【長法寺】あじさい祭と薄田泣菫と田岡嶺雲ゆかりの鐘

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▲あじさい祭【長法寺】2010.6.19(土)~20(日)午前9時~午後4時
阿弥陀堂(説教堂)
阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子がある。2009年の紫陽花の様子はこちらから

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知新館(旧平沼騏一郎別邸)

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▲表門は、主屋の正面に開かれた三間一戸の門で、両脇に塀を取り付けており、腕木を伸ばして屋根を支える形式をとっています。(国の登録文化財)2010.6.14取材

知新館の位置と歴史
平成10年10月に国の登録有形文化財となった「知新館」は、岡山県北の城下町津山市の南新座に伝わる武家屋敷で、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎(1867~1952)の別邸として建てられたものです。
知新館のある場所は、国指定史跡の津山城跡の南西に位置し、旧津山藩士であった平沼の屋敷があったところです。昭和14年(1939)に第35代内閣総理大臣に就任した平沼騏一郎と、その兄で早稲田大学の学長をつとめた平沼淑郎の兄弟も、この地で生まれ、明治5年(1872)に東京に移住するまでの幼児期を過ごしました。
現在の知新館は、その当時のものではなく、騏一郎の古希を祝して、法曹界ならびに津山人々が中心となって平沼兄弟の生家であった屋敷を買い戻し、昭和12年から翌13年にかけて元の旧邸の姿に再現したうえで騏一郎に贈呈したものです。
彼は、幼い日の思い出の残るこの別邸を殊のほか愛したと伝えられ、郷里の津山に戻った時は、ここに滞在しています。その後、昭和25年に、この別邸は平沼家より「津山市民の公共福利のために役立ててほしい」と津山市へ寄贈されました。市では翌26年に津山市内及び周辺地域の歴史資料を収集展示した市立津山郷土館として開館し、永年にわたって津山地方の史学研究の場として大いに活用されました。
そして、昭和62年に市立津山郷土館としての使命を終えた旧平沼騏一郎別邸は、平成元年から市民の文化・芸術活動の場として再び活用されることになり、名称も「知新館」と改称され、現在に至るまで多くの市民に利用されています。

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