新善光寺の六体地蔵(津山市中村)
六体地蔵はいづれも墓地の入口などに建てられており、この世を去った人々が弥勤の現れるまで迷わぬよう墓地のそばで見守っている。
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の六つの世界を指し生まれ変わり、死に変わる迷いの世界で苦しむ人々をそれぞれの菩薩がそれぞれの苦しみによって救済するといわれ、室町時代にはじまり江戸時代にはいろいろな形状に造られるようになった。町内のものは、いづれも舟形半肉彫りの整ったものがおおい。
六体地蔵はいづれも墓地の入口などに建てられており、この世を去った人々が弥勤の現れるまで迷わぬよう墓地のそばで見守っている。
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の六つの世界を指し生まれ変わり、死に変わる迷いの世界で苦しむ人々をそれぞれの菩薩がそれぞれの苦しみによって救済するといわれ、室町時代にはじまり江戸時代にはいろいろな形状に造られるようになった。町内のものは、いづれも舟形半肉彫りの整ったものがおおい。
地蔵さんは、もっとも庶民にしたしまれた菩薩で髪を高く結んだり、美しい着衣で身を飾るようなことはせず、頭は剃髪し僧侶のように衣をまとい手に錫杖と宝珠をもっている。
このように地蔵菩薩は比丘の姿で遊行し、多くの衆生に接し救済するといわれている。
また年号や、願主名を刻まないものが多く、いかにも街道を行く衆生を対象とした純粋な信仰として造立された趣はほほえましい。
また地蔵さまは色々な俗称で呼ばれることが多く、何事にも成就がかなう仏で崇拝され、また地蔵にまつわる伝説もおおいい。 新善光寺地蔵菩薩 中村 新善光寺 地蔵菩薩立像 一体
(文:『勝北町の文化財と石造美術』より)(2018年8月18日撮影)
2018年8月22日・23日と久米の慈恩寺さんをお訪ねしてきました。友人から、先の雨で裏山が崩れ、竜王堂が傾いているとの連絡を受けて様子を伺って来ました。姿形はあったのでほっとしました。また、再建されるそうです。慈恩寺さんにはもうひとつ、子ども達に人気の白いカメさん(ケヅメリクガメ)が二匹います。名前は「マックスくん」と「モモジローくん」だそうです。住職にお聞きしたら、2000年の秋に買って来た時は僅か700gくらいで2歳(推定)だったそうです。
2018年3月26日(月)清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は第46番浄瑠璃寺~第60番横峰寺までの15ヶ寺と香積寺を(一泊二日)で巡ってきました。
順路は、第60番 横峰寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 香積寺 ⇒ 第46番 浄瑠璃寺 ⇒ 第47番 八坂寺 ⇒ 第48番 西林寺 ⇒ 第49番 浄土寺 ⇒道後温泉(泊) ⇒ 第50番 繁多寺 ⇒ 第51番 石手寺 ⇒ 第52番 太山寺 ⇒ 第53番 円明寺 ⇒ 第54番 延命寺 ⇒ 今治(昼) ⇒ 第55番 南光坊 ⇒ 第56番 泰山寺 ⇒ 第57番 栄福寺 ⇒ 第58番 仙遊寺 ⇒ 第59番 国分寺 ⇒ 今治湯ノ浦IC ⇒ 豊浜SA ⇒ 児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。
2018年3月26日(月)清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は第46番浄瑠璃寺~第60番横峰寺までの15ヶ寺と香積寺を(一泊二日)で巡ってきました。
順路は、第60番 横峰寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 香積寺 ⇒ 第46番 浄瑠璃寺 ⇒ 第47番 八坂寺 ⇒ 第48番 西林寺 ⇒ 第49番 浄土寺 ⇒道後温泉(泊) ⇒ 第50番 繁多寺 ⇒ 第51番 石手寺 ⇒ 第52番 太山寺 ⇒ 第53番 円明寺 ⇒ 第54番 延命寺 ⇒ 今治(昼) ⇒ 第55番 南光坊 ⇒ 第56番 泰山寺 ⇒ 第57番 栄福寺 ⇒ 第58番 仙遊寺 ⇒ 第59番 国分寺 ⇒ 今治湯ノ浦IC ⇒ 豊浜SA ⇒ 児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。
2018年3月26日(月)清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は第46番浄瑠璃寺~第60番横峰寺までの15ヶ寺と香積寺を(一泊二日)で巡ってきました。
順路は、第60番 横峰寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 香積寺 ⇒ 第46番 浄瑠璃寺 ⇒ 第47番 八坂寺 ⇒ 第48番 西林寺 ⇒ 第49番 浄土寺 ⇒道後温泉(泊) ⇒ 第50番 繁多寺 ⇒ 第51番 石手寺 ⇒ 第52番 太山寺 ⇒ 第53番 円明寺 ⇒ 第54番 延命寺 ⇒ 今治(昼) ⇒ 第55番 南光坊 ⇒ 第56番 泰山寺 ⇒ 第57番 栄福寺 ⇒ 第58番 仙遊寺 ⇒ 第59番 国分寺 ⇒ 今治湯ノ浦IC ⇒ 豊浜SA ⇒ 児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。
2017年10月31日(火)宇和島国際ホテルを7:30分出発で四国八十八ケ所霊場巡拝(後半)に行って来ました。
今日は41番龍光寺から45番の岩屋寺までの5ヶ寺です。順路は 第41番 龍光寺 ⇒ 第42番 佛木寺 ⇒ 第43番 明石寺 ⇒ 第45番 岩屋寺 ⇒ 第44番 大宝寺の順番でした。
2017年10月30日(月)朝6時清龍寺を出発して宇和島泊で四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は37番岩本寺から45番の岩屋寺までの9ヶ寺です。順路は第37番 岩本寺 ⇒ 第38番 金剛福寺 ⇒ 第39番 延光寺 ⇒ 第40番 観自在寺 ⇒ 宇和島(泊)⇒ 第41番 龍光寺 ⇒ 第42番 佛木寺 ⇒ 第43番 明石寺 ⇒ 第45番 岩屋寺 ⇒ 第44番 大宝寺の順番でした。
剣聖宮本武蔵は、この地岡山県美作市宮本において、父・平田無二斎と、主家新免家の妹お政の次男として天正12年3月(1854年)に生まれました。
武蔵の生家は、北を宮川で南を小童谷川で守り、30間(約60m)四方の強固な堀めぐらしていた、宮本の溝と呼ばれていました。山柴水明の山の丸い武蔵の里の構えは、地理的には山陽と山陰の重要な連絡路であった因播州街道に沿ってあり歴史的には中世、特に戦国時代には山陽と山陰の両勢力による略奪の地がこの旧大原町でありました。
武蔵の家系は代々十手術を伝えてきたので、当然武蔵も平和な今日では考えられない厳しい剣の教育を受けたものと思われ、幼少の頃から武術にたけており、13歳の時播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ってからそれ以降、剣の道一筋に練磨し、その間京都の一乗寺下り松での吉岡一門との戦いを始め、29歳で九州舟島において、佐々木小次郎に勝つまで生涯60余度の勝負に一度も負けたことがありません。
2018年6月18日に民泊施設となった「Nishima 25(西今25)」です。ここは、津山市街の西側に位置し、西今町の『片山邸』から今年3月29日にカフェ兼ギャラリーとしてオープンした素敵な古民家で6月15日からは民泊施設となりました。国指定重要文化財のある寺町にすぐ近い静かな場所にあります。運営するのは、長期海外生活で民泊を経験されていた櫻井由子さんです。(2018年6月3日・7月6日撮影)