美作大崎駅(津山市福力)
美作大崎駅(みまさかおおさきえき)は、岡山県津山市福力にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。なお、駅名の由来となっている旧勝田郡大崎村は「おおざき」と濁るのが正しい。
津山方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)である。棒線駅のため、津山方面行きと佐用方面行きの双方が同一のホームより発車する。
津山駅管理の無人駅で、駅舎と呼べるものはなく、直接ホームに入る形になっている。自動券売機も設置されていない。
美作大崎駅(みまさかおおさきえき)は、岡山県津山市福力にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。なお、駅名の由来となっている旧勝田郡大崎村は「おおざき」と濁るのが正しい。
津山方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)である。棒線駅のため、津山方面行きと佐用方面行きの双方が同一のホームより発車する。
津山駅管理の無人駅で、駅舎と呼べるものはなく、直接ホームに入る形になっている。自動券売機も設置されていない。
倭文歴史と文化を語る会"ふるさとの歴史再発見の旅"(平成30年5月5日)日帰りで京都市上賀茂神社競馬神事と三十三間堂の旅に参加して来ました。この旅は倭文地区の歴史を子ども達に伝えたいと企画されたのだそうです。子ども達も実際に自分たちの目で競馬を見て何かを感じてくれたことでしょう。
競馬(くらべうま)
馬は神聖な動物とされ、五穀豊穣・天下安隠を祈って、神馬(しんめ)として奉納された。上賀茂神社の競馬、下鴨神社の流鏑馬(やぶさめ)など、馬が登場する神事は多い。上賀茂神社の競馬は、1093年(寛治7)に、宮中の菖蒲の根合わせで勝った女房たちが、そのお礼に奉納したのが起りとされる。病気平癒祈願に、十列(とおつら)走馬の奉納という盛大なものもあった。(文:倭文地区歴史と文化を語る会)
白石齊さんが津山朝日新聞に「城下の仕事場」をテーマにしたエッセイを連載されていましたところ、多くの方々から「是非、まとめて出版してほしい」との反響があり、それを受けて、今般、津山朝日新聞社のご協力をいただき『町中が仕事場だった』を上梓されました。そこで、白石さんを囲んで「津山を元気にしよう」をテーマにして津山弁で気軽に語り合う会を開催することになりました。(文:津山おくにじまん研究会 藤木靖史さん)(撮影:平成30年6月9日、津山鶴山ホテル)
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。八幡神社から続いて向かったのは、西賀茂神社(杉さま古墳群・ナナミノ木)→苫勝霊場78番と石造物群→成名公民館駐車場までです。
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今)
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で
2018年5月12日美作スローライフ列車に乗って智頭駅まで行って来ました。外から見ることが多かったのですが、今回は日程も合って実際に乗車してきました。車社会ですがスローライフ列車にゆられながらの旅もまたいいもんですね。那岐駅に初めており降りたのですが、気に入りましたよ。
ごあいさつ
津山郷土博物館では、市民の皆さんに郷土の歴史や文化への理解と認識を深めていただくため、定期的に特別展を開催しています。このたび「行列を組む武士たち-津山藩松平家の行列図より-」というテーマで特別展を開催することとなりました。
江戸時代の支配階層である武士たちは、移動や旅の時に行列を組んで進みました。この行列は、その主人の武威や格式を体現したものであり、単なる行進ではありません。そのため、供の人数や持たせる道具の構成などに細かい決まりがあり、その決まりの中でできる限り立派に見せようと競い合うこともありました。
本展では、津山藩松平家に伝わった各種の行列図のほか、乗物や熊野槍など行列に用いられた道具類を合わせて紹介し、武士の行列を通して江戸時代の社会のありようを概観します。
今回、現存する松平家の行列図を全て展示します。その中でも、松平家が十万石に復帰した直後の入国行列図は、横長のふすま七枚に仕立てられた。全長十三メートルを超える巨大なものです。大名行列の詳細を視覚的に把握できる貴重な資料として注目されており、津山市庁舎の市長応接室の壁紙にも利用されていますが、その全てを一度に見られる機会はなかなかありません。本展において、多くの方々にその迫力をご体感いただければ幸いです。
最後になりましたが、本展の開催にご協力いただいた全ての皆様に、心から感謝申し上げます。
平成二十八年十月八日
津山市教育委員会 教育長 原田 良一
2018年6月3日(日)に津山駅ホームで、津山市、美咲町、(公社)津山市観光協会と連携した、津山線開業120周年記念「美作国地酒列車」の歓迎おもてなし行事がありました。岡山駅を9:22分発で中国勝山駅12:18着、帰りは中国勝山駅15:35発の岡山駅18:50着の折り返し運転です。津山駅でお迎えしていたのですが、降りて来られた皆さんが楽しそうなので今度は乗ってみたいと思いました。それに「黄福のホルモンうどん」が販売(幸福のまち 美咲×牛肉の聖地 津山 特別企画)されているのを初めて知り、美味しそうなのでゲットして帰り美味しくいただきました。お味もまろやかでしたよ。
瓜生神社(旧村上)
由緒沿革 口碑によると、五霊宮は当地の人楢本才兵衛が京都八所の五霊社から祭神五柱の御分霊を迎えて勧請したという。その年月は不詳。応仁二年再建以来数度に亘って修理、葺替の後、天保八年に再建したのが現在の本殿である。もと、五霊大明神、油宮大明神と称したのを明治四年瓜生神社と改称し、明治六年村社に列した。大正十一年神饌弊帛料供進神社に指定せられた。(岡山県神社庁編『岡山県神社誌』より)通称名 五霊様(ゴレイサマ)
彫無季(本名河野省三・1904~1992)は明治37年岡山県苫田郡津山町三丁目(現津山市本町三丁目)に生まれました。大正9年(1920)岡山県立津山中学校を中途退学し、2年余り中国上海に遊学しました。同13年(1924)帰国ののち上京し、翌年東京蔵前工業専門学校に入学しましたが、2年後に中退しました。
その後、叔父の経営する工場の仕事を手伝いながら、独学で中国の拓本などを学習しつつ、自らの書の工芸を模索しつづけました。そして、ついに書と彫刻が一体となった彫書という新しい芸術を創造しました。
昭和29年(1954)初の「彫書」個展を開催、以後個展の開催や各種揮毫、著書の出版など縦横無尽に活躍しました。また、昭和41年(1966)には淳和会を発足させ、後進の指導にも努めました。平成4年東京で没。享年87(文:平成18年3月18日津山市教育委員会「彫無季の芸術」より)(写真:津山郷土博物館特別展図録『彫無季の芸術』より転載)