芭蕉句碑(津山市日本原字日本)

basyokuhi-4.jpg

 日本原神社の前にあり、建碑は弘化2年(1845)もとは、国道53号線の南側に建てられていたが、のちに北側に移され、国道改修のため、現在のところに移転した。
 芭蕉150年忌あたる天保14年(1843)に、日本原に芭蕉句碑を建てようと志していた、俳人有元渕龍(山形)が没したので社友亀由等が、其の意志を継いで建てた碑である。
 碑面に刻まれた句は、芭蕉が那須野で詠んだものであるが、日本原野の景観が、この句意に符合するところから、選ばれたといわれている。(文:『勝北町の文化財と石造美術』より)

basyokuhi-5.jpgbasyokuhi-3.jpg

日本原神社は、日本原の産土神で、昭和33年11月2日に大吉の広戸神社と新野東の二松神社の分霊を勧請して、日本原神社を創建しました。(勝北町誌より)

basyokuhi-1.jpgbasyokuhi-6.jpg

芭蕉句碑(ひろの塚) 野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす 鼎左謹書
裏に、天保14年10月12日祖翁150年忌辰個人淵竜継意志  其社友建之
 淵竜は自然庵といい名は有元泰蔵、勝北山形の人。天保14年芭蕉150回遠忌に翁の句碑を建てんと志し社中に謀りながらその遠忌に会わず64歳で長逝す。社中はその意志を継ぎ弘化2年(1845)初冬日本原に句碑を建てる。(案内板より)(2018年8月18日撮影)


この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます。