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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,897件の記事が見つかりました。

土人形展 (M&Y記念館)

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2017年6月9日に棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)へ出かけて来ました。全国郷土玩具土人形を収集(約2000点)しておられる杉本耕司さんの集められた人形の一部です。現在杉本さんは、津山郷土玩具愛好会を主催されています。次第に作られなくなった(失われていく)物を土俗文化と位置づけて研究されています。城東むかし町家(旧梶村邸)でも展示されています。(年に数回の入れ替え)


曽我五郎・舞鶴
先年市川海老蔵・坂東玉三郎に依り京都・南座にて公演されました。
江戸末期より長野のリンゴ農家の副業として代々製作せれて来ました。
立ヶ花土人形

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おもてなしイベント(文化センター会場)

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2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

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広戸神社境内のスギ(津山市指定記念物)

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津山市指定天然記念物 広戸神社境内の杉(勝北町大吉)
 広戸神社の拝殿の前にある老杉で、目通周囲5.6m、根元周囲10.5m、樹高28.0m、推定樹齢500年、枝張りは東へ8m、北へ5m、西へ10m、南へ10m、広戸風の影響により北へ出た枝は特に短い。
 天文2年(1533)出雲国富田城主尼子経久が作北の地に侵攻し、尼子の武将三好安芸守が、広戸弾正の立てこもる矢櫃城を攻めたとき、本社は兵火にかかり焼失した。戦勝した尼子氏は、広戸神社の社殿を新築し、社頭に杉・藤を植えて神慮を慰めたと伝えられ、そのとき植えられた杉が本樹で「尼子杉」と呼ばれている。
(文:勝北町の文化財と石造美術より抜粋)(2015年11月28日撮影)

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美作国万灯会が本源寺にて執り行われました。

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 美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)が2017年7月1日(土)執り行われました。
「万灯会」とは、夕方から夜にかけて、数多くの灯明をともして、仏様や御先祖様を祀り、御供養する仏教法要の一つです。今からおよそ1270年前の奈良時代744年(天平16年)に、東大寺の前身の金鐘寺(こんしゅじ)というお寺で、万灯を灯したのが、日本に於ける万灯会の始まりとされています。
  津山に於いては、森忠政公によって現在の場所に建立された年の慶長12(1607)年、5月3日に忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。(昨年の様子)

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中山神社の鳥居

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 中山神社の正面入り口に建っている。寛政3年(1791)の建設。高さ8.5m、幅は7m弱、花崗岩製で柱は2分割、笠木は3分割されている。
 特徴として角貫に木鼻がなく、笠木と島木に反りをもたせて壮大美を強調している。このような形は他県にあまり例がなく、特に中山鳥居として一形式をつくっている。(明伸鳥居を変化した工夫である。)(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月3日・4月5日・6月14日取材)

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津山市吉見で見たアジサイ

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2017年7月1日に津山市吉見(志見山 岩尾寺2012年11月3日附近)を通過中に出会ったアジサイの花が美しかったので、写真に収めてみました。ここのアジサイロードは短い区間なのですが、それは見事な花っぷりです。色もとても美しくグラデーションも美しいアジサイたち。誰が御世話されているのか大切に育てられていると感じました。

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津山城下町歴史館が4月オープンしました。

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 江戸時代の武家屋敷だった旧田淵邸を活用した「津山城下町歴史館」が2017年4月27日に開館しました。
長屋門は修復し、傷みの激しい母屋を解体して、1147㎡の敷地にだんじり展示棟、ガイダンス棟が新たに建てられました。展示棟には、県重要文化財だんじり6基。ガイダンス棟にはだんじり1基と、旧田淵邸の模型や、大名行列図の複製などを展示し、パネルなどの資料を並べた。事業費は3棟合わせて約1億2000万円。(撮影2017年4月2日、5月3日、6月20日)

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長法寺のアジサイの花

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2017年6月24日の美しく咲いたアジサイの花です。(2010年の祭)(2015年のアジサイ)(2014年の紅葉
長法寺略縁起
  美作国金光山長法寺は天台宗比叡山延暦寺の末寺であります。
当寺の由来を尋ねるに、聖武天皇の御宇天平7年(735)行基菩薩の草創による霊場と言われ、嘉祥元年(848)第二祖慈覚大師が西国行脚の砌(みぎり)、当山に止宿し、十一面観世音菩薩を刻み、草堂を結び中興されたのであります。その後、堂塔迦藍を建立、末寺ニ十ケ寺に及び頗る盛んなものであったが、大永・天正・貞享年間にわたって再三兵火の侵す処となり、悉(ことごと)く焼失し、現今の地へは弘化2年(1845)快玄法印の移したものであります。
  当寺は又、美作西国霊場廿九番の札所であり
 ここはまたこがねの光る山なれば
  したがう法のたまやもとめん
の御詠歌があり、庶民信仰の霊場として、済世利民の益多く、今日尚益々盛んであります。 (長法寺)

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国の名勝の衆楽園にある「七面大天女」

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七面大天女
 七面大天女の総本山は山梨県南巨摩郡早川町にある七面敬慎院で摩尼殿に祀られている。日蓮宗の総本山 身延山 久遠寺の鎮守神、法華経の守護大善神として祀られた。
示現伝説に「日蓮聖人が高座石で説法中、若く美しい女性の姿で現れ、正体は龍で法華経を信じるすべての人々を守護するといい七面山の一の池に立ち去った」......永仁5年(1297)9月19日七面山に七面大明神として祀られた。示現伝説から七面大菩薩、七面大天女とも呼ばれ池の守護神としても崇敬されている。
 徳川家康の側室養珠院 お万の方が元和5年(1619)に七面山に初登詣して女人禁制をといたといわれている。寛永17年(1640)にも再び七面山に登詣している。
 津山への勧請は七面山妙徳庵の縁起によると、宝永3年(1706)6月4日、津山藩主松平宣富が江戸の七面明神を分祀して津山城内の厩(おんまや)濠の傍に勧請した。明治4年廃藩となり七面祠も廃社同様となった。

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誕生寺二十五菩薩練供養(会式法要)

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 2017年4月16日誕生寺で、日本三大練供養の一つ「会式法要」が行われました。この会式法要(二十五菩薩練供養)】は、元禄13(1700)年から続いており、日本三大練供養の一つに数えられ毎年4月第3日曜日に行われます。この法要は古く室町時代から始められ、正式名称は「法然上人ご両親追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」です。会式の法会に御縁を結ぶと、厄病魔は去り、やがて臨終の暁には無苦大往生が得られると、全国各地より参詣されるそうです。(詳しくは、2012年12月26日の取材をご覧ください。)

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