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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,897件の記事が見つかりました。

黒沢山萬福寺のアカガシ (津山市東田辺地内)

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『虚空蔵さん』で良く知られている萬福寺は、和銅7年(714年)に開山された真言宗の古刹である。
この萬福寺は福一万で、伊勢朝熊の智彗一万、陸奥柳井津の力一万と共に日本三所の虚空蔵尊である。
 また高峯黒沢山の頂上付近に位置しており、その眺望はまことに絶景である。
 なお、縁日は旧暦1月12~13日であったが、平成のころから2月最後の「金土日」の3日間に行われるようになった。参詣者は各地より数万人に及ぶという。
 お寺の境内に名木百選に選ばれた『萬福寺のアカガシ』がある。この木は樹林の中で最も大きいアカガシである。推定樹齢400年、目通り周囲4m。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)

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中山神社の石灯籠

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 瑞垣の本殿前庭にある高さ3mに近い一対の石燈籠は六角形で、手法極めて優秀な逸品である。竿に『壱対石檠 体堅且精 因為神器 徳光縦横 寛文戊申九月吉日 従四位 下美作守 源忠継』と刻まれている。
 忠継は若くして死んだ長継の世子。
これと類似の燈籠が徳守神社と田邑千年寺にある。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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夢中山 幻住寺のさつき(美咲町北)

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幻住寺(げんじゅうじ)由緒(2017年6月4日撮影)
 昔、後醍醐天皇が幕府により隠岐島に流された。その道中、津山の院庄に一週間程滞在された。ある夜、夢枕に老僧が立ち、「私は西の方角にある髻山の僧です」といい、「ご落胆なさいますな」と励まし、「きっと救われましょう」といって消えた。天皇は翌朝目を覚まされ、供の者にこのことを話され、さっそく供の者を西方にあたる髻山(もとどりやま)に行かせたところ、古寺があり、昨夜の夢に出た僧が住んでいたという。(続きはこちらから)

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愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏み

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 2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)

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2017年5月イナママとお友達とバラ園散歩

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2017年5月30日イナバ化粧品店を飛び出し、津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねして来ました。今日は5月だというのに30度を超す暑さの津山市内です。ママ曰く「地球が爆発するんじゃないかと思うくらい暑いわ~。」そんな中、ドライブがてらママとママのお友達と久米方面(圓光寺、甲本バラ園、津山圏域クリーンセンター)へ出かけてきました。

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清瀧寺本尊御開帳並びに開創1200年記念法開会

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2017年4月8日・9日、東寺真言宗別格本山 墨池山清瀧寺(津山市河面)本尊「二十七面千手先眼観世音菩薩」33年ぶりの御開帳、並びに開創1200年記念法開会が盛大に執り行われました。当日はあいにくの曇り空でしたが、僧侶の皆さん、檀家の皆さん、多くの稚児さん達も近くの公会堂から本堂までを練り歩きました。また、記念法開の後、午後からは大柴燈護摩法会(火渡り行)がありました。9:00~16:00まで本尊様開扉がなされ、多くの参列者が参拝しました。

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2017年 清眼寺のぼたん祭りの様子です。

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2017年4月29日にボタン寺で有名な清眼寺のぼたん祭り(ボタン100種300株)がありに行って来ました。ボタン祭りの期間は、4月25日(火) 10:00 〜 5月3日(水) 16:00でした。また、期間中は清眼寺本堂にて寺宝展や書道展がありました。30日には、筆供養、オカリナの演奏会などもあったそうです。(2014年のボタン祭りの様子です。

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2017年5月のイナバ化粧品店

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2017年5月8日に来られたB'z軍団の田代さんだそうです。(上の写真はイナバ化粧品店さん提供)
5月の大型連休ですがイナバ化粧品店内はお客様で大賑わいです。ママは、「はいっ!写真撮ろうか?」とファンサービスでてんてこ舞い、座る暇がないくらい忙しいのです。そして、津山市のパンフレットなどを手渡し「よろしくね!」と津山をPRしてくださっています。いつもファンと津山市を気にかけてくださって頭が下がります。

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千年寺の石燈篭両基

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 長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山 市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(撮影2017年4.月12日)(2014年の取材)

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坂元井堰(津山市山方坂元地内)

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 築造年月は明確でないが、東一宮、東山方の地には条里制の遺蹟を示す凡そ6町四方の区画が整然とした坪割りの地形があった(中村、才田及び下河原)。『美作一宮郷土の歩み』
 これらのことから、8世紀頃にはすでに、農地に水をひく水路の原型ができていたと思われる。以降何度にもわたる改修を重ねてきた。特に藩政時代にはかなり大がかりな改修が行われ、この坂元井堰は上記中村地区の潅漑対策と併せ、山方の大谷川と合流させ、戦時対応を考えて、その水を本光寺前方の「土居の内」にまで取り込めるようにしている。 坂元井堰の潅漑面積は約47町7反の広範囲である。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)

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