稲葉浩志さん、お誕生日おめでとう。
2019年9月24日イナバ化粧品店に伺ってきました。稲葉浩志さんの55歳の誕生日に全国から沢山の花束が届いていましたよ。今でこそ周りに家が沢山建っていますが浩志さんが生まれたころは家の周りは田んぼだったそうです。ママさんも、浩志さんがおなかに出来た時につわりで苦しみながら運転免許を取りに行った時の思い出や、途中からパパさんに運転を止められた話を懐かしそうに思い出されておられました。
2019年9月24日イナバ化粧品店に伺ってきました。稲葉浩志さんの55歳の誕生日に全国から沢山の花束が届いていましたよ。今でこそ周りに家が沢山建っていますが浩志さんが生まれたころは家の周りは田んぼだったそうです。ママさんも、浩志さんがおなかに出来た時につわりで苦しみながら運転免許を取りに行った時の思い出や、途中からパパさんに運転を止められた話を懐かしそうに思い出されておられました。
岡山県久米郡久米南町「醫王山佛教寺」の略歴と沿革
当山、醫王山佛教寺は和銅3年(710)喜恵上人が開山、肩野部長者乙麻呂が創建した古刹。元明天皇の勅願道場として、東西80町南北100町の地域を賜った。
元慶3年(879)二十二世、文観上人の時代、陽成天皇の勅願道場として、四十九院建立、近隣に比類なき伽藍美を誇ったが、天正9年(1581)兵火に罹れて悉く烏有に帰した。
その後再建したがわずか六院だった。慶長9年(1604)津山藩主森忠政が寺領を寄進。堂塔を再建したが、元禄10年(1697)森家が断絶となり、経営の基を失って困難を極めた。
明治初年まで六院あったが、本堂や仁王門を取り壊して、竹林寺(佛教寺別院)の文殊堂を移して本堂とした。
現在諸堂の建物は、弘法大師1150年御遠忌を記念し、昭和49年より現在に至るまで、境内諸建物の営繕を行って来た。現在の住職は九十二世である。
『竹林寺縁起』(永享7年=1435別当沙門良春、筆者宥然)に、「当国一宮、仲山大明神御社敷の本主肩野部長者・喜恵上人に帰依し奉り上人の寺を建立せんとして三百町の別所を開き、元慶3年乙亥の年四十九院を建立、夢想によって佛教寺と号す」とある。(文:佛教寺リーフレットより)(2019年9月8日撮影)
2019年9月14日~9月29日(10:00~17:00 会期中無休)保田扶佐子美術館に於いて、保田扶佐子美術館 設立10周年記念展「20世紀の巨匠 ジュアン・ミロ銅版画展」が開催されています。
「ミロと時代を共有したバルセロナの作家たちは、縦横に深い友情とつながりを持っていました。20世紀後半のバルセロナの美術文化は、これらの作家たちによって花咲きました。それは大変豊かで今でもバルセロナを訪問する世界各国の人々を魅了し続けています。
今回の展示は、ミロのアーティストブック ラピダリ「LAPIDARI(碑文)」より白黒の銅版画と、加えて、ミロと時代を共有したアントニオ・タピエスはじめ、バルセロナの有名作家たちの版画で構成されています。」(文:保田扶佐子美術館より)(2019年9月14日撮影)
2019年9月19日のイナバ化粧店です。8月のお盆からずっとお客様が沢山訪ねてきてくださって、ママさんは「滅茶苦茶忙しかったんよ~。」と嬉しい悲鳴を上げられていました。もうすぐ、稲葉浩志さんのお誕生日ですが、台風が近づいてきているのでみなさんに被害がないようにと心配されていました。
竜光山清水寺略縁起
当山は人皇第49代光仁天皇の御宇、宝亀3年、約1210年前、一源律師の開基にして、御本尊は聖如意輪観世音を奉祭する。
竜光山清水寺とわ、山脈の起伏があたかも竜の長々と横たわるに似たり、当山の高く雲をついているところわ即ち竜頭に当り、西南に自然低下し遠く旭川沿に延びるのわ竜尾のそれである。往古常に紫雲山頂をおをい、その咽喉たる東北の谷に霊水ありこの湧き出ずるをもって、古人相いはかり、山上に小堂を建てて竜神を祭る。一源律師またこの霊地に寺院を造営し、名づけて竜光山清水寺と称す、元七坊の末寺ありという。しかれどもおしむべし、天正年間、約400年前天下戦乱の時代、毛利氏威をふるい、赤松、浦上、の二氏を亡して当地方大いに乱れ、諸城を降し火を放ち当山も又その犠牲となりて、一時仏光の滅する慈境に落ちいったのである。時の住僧仏徒と相いはかり、堂塔の再興を議して現存の本堂等を再建する。
高野山真言宗準別格本山両山寺
当、両山寺は、人皇四十三代元明天皇の御宇和銅七年(714)開祖泰澄法師が観音の霊夢により草創されし霊刹で御本尊は、正観世音菩薩にして尊像は天竺毘首羯摩の作なり。山は二峯併立し恰かも金胎両部を表示し、一岳両峯真に天地自然の妙容なり、故に山を二上山と呼び、寺を両山寺と号す。開山の砌りは、真言、天台の二道場にして二十有余坊の僧坊、七堂伽藍を有し近国の名刹として頗る聞こえしがいつしか天台宗衰え真言一宗となり、現在は本坊一寺となり他は字名として残るにとどまり栄枯盛衰の跡を物語るにすぎない。養老年中(717~723)唐土の不空三蔵当山の本尊を加持し、国家安泰を志願し五智尊像を五重塔に納められるが、永禄八年(1565)尼子氏と毛利氏の奸戈により堂塔伽藍を焼失せり。此の時、本尊正観世音菩薩天野ヶ原に飛行士光明を放ちて赫々たるを朱雀天皇の御苗流僧正良尊大和尚直に尊像を守護し奉って、再び此の地に堂宇を建立し本尊を安置す今の本尊即ち是れなり。
なお、元禄元年(1688)十一月朔日、当国の大守長成公より万代不易の寄附顕然たり。而して当山、其境幽遽にして頂嶺の遠望は両眼象山恰かも平地の如く一度山頂に立てば雄大の気自ら迫り無二の霊場と言う可きである。また当山の鎮守護法善神は、仏法擁護、伽藍安全の守護神で、建治元年(1275)七月僧定乗護法の詑宣を得て、毎年陽暦八月十四日祭式(県指定重要無形民俗文化財)を修め天下泰平、万民快楽の祈念を行っている。 合掌(文:境内の案内板より)
2019年8月12日にイナバ化粧品店さんにお邪魔してきました。暦の上では立秋なのに全国的に猛暑で津山市も例外ではありません。ママはというと、今朝、お墓参りに行き汗びっしょりになって帰って来こられたそうです。店内には全国からご家族で来られたファンの方が大勢おられ、ママからパワーをもらっておられました。
2019年8月3日・4日、第41回 津山納涼ごんごまつり IN 吉井川が賑やかに執り行われました。
3日には、ステージイベントでダンスコンテストや、鶴山桜太鼓による和太鼓演技、「笑顔のまんま」(BEGIN)をみんなで歌い、願いを込めて約1,000個の風船を夜空に飛ばしたり、4日にはウエストランド・お笑いライブ・山猿・アーティストライブなどがありました。
また、4日には、県下最大5,000発の打上げ花火があり、まつりのフィナーレを飾りました。津山市制施行90周年の今年は、「ごんちゃん」や「桜」をかたどった花火が上がりました。
アジサイの花も終わりを告げているだろうと思いながらも、何だかマイナスイオンを浴びたくて2019年7月28日に小滝に行ってきました。7月も終わろうとしているのに、アジサイの花は健気に咲いていました。また、ほどよい滝の水量はミストとなって心地よかったです。(2012年の取材の様子)
小瀧は八社川上流にあり、小滝(高さ約20m)付近はよく整備されている。
両山寺五瀧の一つ、高さ10間、幅4間、傍らに大師堂がある。榜示が乢へ上る道路も左側にあって通行する旅人の足を止めしめる。瀧は小さいが雅致がある。
2019年7月23日、徳守神社の夏越祭があり、大勢の方が境内でのイベントを楽しんでおられました。
「境内で行われる奉納演芸等の賑やかし行事は、神賑いという神事の一つとされています。本祭では活気をテーマとした神賑行事として奉納演芸を開催し、皆様と共に楽しみ喜ばれた徳守さまの一層のご加護をお受けいただいて、厳しい夏を無病息災にお過ごしいただけますよう記念し開催致します。」(文:徳守神社HPより抜粋)