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取材記事内を検索ワード「伝説」で検索した結果,88件の記事が見つかりました。

百乢の地蔵菩薩立像

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 百谷(ももたに)のはずれを左にとり急坂を登りきると百乢(百谷峠)に辿りつく。百乢は往来随一の難所といわれ、坂道の距離十七町余、百乢には一里塚があった。『作陽誌』によれば百谷や一里塚について次のように述べている。「百谷は井坂村にあり近世井村という(注:百谷村は井村と寺ヶ谷村に分かれている)。坂路は峻高で後から登る人は前を行く人の腿が見えるのでモモタニの名がついた。腿と百は訓が相通じるので今では百谷という。坂長十七町余、峠に里堠がある。養野村に通じ百谷越という。伯州通路なり」とある。一里塚のあったとされる場所に、朝倉兵衛門の寄進による石造地蔵菩薩立像(峠地蔵)が旅人の安全を祈願して建つ。年銘は読み取れないが、中養野の地蔵菩薩(六地蔵)に朝倉平右衛門の名がみえる。「施主 御茶屋□倉平右エ門」とある。□は欠損部分であるが、峠地蔵と合わせてみれば同一人物に間違いない。したがって、他の六地蔵の年銘が寛政四年であるので、峠地蔵もこのころの建立であろう。(文:『第6節 近世の交通』より)(2017年4月30日撮影)

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人形仙母子地蔵

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 人形仙三十七人墓を西に約100m進み、二本杉の所より北へ約800m進むと、旧倉吉街道(伯耆往来)の美作と伯耆(ほうき)の国境の人形仙峠に、赤子を抱く形の珍しい「母子地蔵」がある。この地蔵は、高さ1.25mあり、文化5年(1808)に造立された。像要が赤子を抱いた地蔵となっているため、俗に「子抱き地蔵」とか「母子地蔵」とよばれ、人形仙の伝説にも残されている。前の水祭石は、明治14年(1881)米子の商人が奉納したものである。
銘文 (地蔵)天下太平 文化五辰□ 志主 上斎原村 十方 三界万霊 願主 作州西北條郡日月清明 六月吉日 沖村 □之助 (水祭石) 奉納 伯州米子茶屋 商人本田勝四郎 明治辛十四年巳七月吉日 (文:『鏡野町の文化財』より)(2017年4月30日撮影)

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人形仙三十七人墓

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上斎原振興センターより人形仙林道を北上し、美作北2号線との合流点より西側へ50mの所にある。
 この人形仙一帯は、江戸から明治時代にかけてタタラ製鉄が稼業されていた場所でもある。
 明治12年(1879)と19年(1886)に、全国的にコレラが大流行し、それぞれ10万人前後の病死者を出した。人形仙鉄山でも明治12年夏に流行し、当時の鉄山人口の約200人のうち62人がコレラにかかり、37人が死亡した。三十七人墓はその供養である。(文:『鏡野町の文化財』より)(2017年4月30日撮影)

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若宮神社の椋の木

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 西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)

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大佐々神社(大篠)

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大佐々神社の由来
 大佐々神社は、大層由来深い神社であり、伝説に拠れば元奥谷の古宮谷山に「月読命」を祀る神社として鎮座し、本殿は享保拾年(1725年)六月、拝殿は同拾参年(1728年)八月に建設されたことが古記録書類にも残されており、壱千年以上にわたる歴史を持った名社なり。以後、天保拾五年(1844年)五月、東北条郡大篠村東分に大築大明神と御役所届をし、嘉永七年(1854)現在地に遷座された。

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五鉢の隈(東一宮)

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 直径15m~24m、高さ7.5mの円丘で、古くからの言い伝えによれば仁徳天皇にご寵愛された黒日売の持ち帰った金の鉢5枚を、この土中に収めたと言う。この鉢に黄金の雛が棲み毎年除夜にかぎり一声する、この声を聴く者は長者に成れると言う伝説がある。また、一説には、葦の群生した荒れ地の開墾で発生した石礫収集処分小山だとか、昭和30年頃裾を掘ったが、石と赤土であったと聞く。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月19日撮影)

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元魚町「お祭り麒麟館」の展示風景

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 元魚町「お祭り麒麟館」の展示風景 グリーンライフ津山元魚町の1階(地域交流スペース)に元魚町「お祭り麒麟館」がある。この施設は協同組合 津山銀天街が管理、津山まちづくり倶楽部、協同組合 元魚町商店街、元魚町町内会、徳守だんじり若頭会が展示協力をしている。(文:元魚町『お祭り麒麟館』案内より)(撮影:2017年6月4日)

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国の名勝の衆楽園にある「七面大天女」

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七面大天女
 七面大天女の総本山は山梨県南巨摩郡早川町にある七面敬慎院で摩尼殿に祀られている。日蓮宗の総本山 身延山 久遠寺の鎮守神、法華経の守護大善神として祀られた。
示現伝説に「日蓮聖人が高座石で説法中、若く美しい女性の姿で現れ、正体は龍で法華経を信じるすべての人々を守護するといい七面山の一の池に立ち去った」......永仁5年(1297)9月19日七面山に七面大明神として祀られた。示現伝説から七面大菩薩、七面大天女とも呼ばれ池の守護神としても崇敬されている。
 徳川家康の側室養珠院 お万の方が元和5年(1619)に七面山に初登詣して女人禁制をといたといわれている。寛永17年(1640)にも再び七面山に登詣している。
 津山への勧請は七面山妙徳庵の縁起によると、宝永3年(1706)6月4日、津山藩主松平宣富が江戸の七面明神を分祀して津山城内の厩(おんまや)濠の傍に勧請した。明治4年廃藩となり七面祠も廃社同様となった。

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羽留石(はどめいし)

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 中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)

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湯郷(かさね岩の伝説)の近くのお題目岩

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お題目岩(美作市)概要: 元禄15年(1702)、聞法院理賢と聞法院妙賢が巨石に法華経「南無妙法蓮華経」を刻み込みました。題目とは法華経の中で記されている「南無妙法蓮華経」の文句の事で法華経を採用する宗教団体が勤行の際に用いられます。全国的にも題目石、題目岩と呼ばれる巨石、巨岩が存在し多景島(滋賀県彦根市)や岡山県和気町、最上稲荷神社(岡山県岡山市)、総社市清音軽部、登別市登別温泉町、岡山市富山地区には各地区毎に題目石が建立されています。(文:湯郷温泉観光・旅行見所ナビより)(2016年11月8日撮影)

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