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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1117件の記事が見つかりました。

一遍上人伝承地(旧勝北)

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一遍上人伝承地 種別 / 記念物(史跡) 指定年月日 / 昭和57年12月23日
所在地 / 中村393番地 所有者 / 新善光寺
 時宗の開祖、一遍上人がその教えを広めたといわれる地です。京都の観喜光寺が所蔵する「一遍聖絵」は、念仏を唱えながら諸国を巡り歩いた一遍の生涯を描く絵巻物であることは一般によく知られています。
 その中に美作の中山神社に滞在したことが載せられており、詞書の一節に「それを(中山神社)たちて、かなもりと申所におわしたるけるに・・・・」とあります。その「かなもり」は、現在の金森山新善光寺がある場所だろうとされています。一遍上人が伯耆の国から美作に入り、中山神社を訪れたのは弘安8年(1285)のことでした。(文:『津山市教育委員会 津山の文化財より』)(2017年8月12日撮影)

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百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ー

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 司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。

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8月のイナバ化粧品店「パパの思い出話」

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 2017年8月26日のイナバ化粧品店内は全国のB'zファンの方が集まっておられとても賑やかでした。初めて来られる方には「どこからきたん?」と話しかけるママです。男の子も女の子も、年よりも子どもも分け隔てなく話しかけるママです。「私が元気でおられるのは、みんなのお蔭。感謝!感謝!」だそうです。

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鉄砲町のお大師様

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 津山市鉄砲町に大師堂があり、軒先に阿弥陀如来・薬師如来の札が架かっている堂宇がある。
長年解らないまま月日が過ぎていましたが、2017年8月やっと鉄砲町の池田さんをお尋ねしてきました。「お大師様で、昔は隣の方々がお涼みなどしていましたが、今ではお涼みもお祀りもされていませんし、知った方々はいなくなってしまいました。一時、極楽山 光厳寺さんにお願いして一二度拝んでもらったこともありました。今は家の敷地内にあるので、私がお祀りしています。先代がいなくなって詳しい事はわかりません。」とのことでした。その後、光厳寺の住職をお尋ねして案内していただきました。(2015年5月9日撮影)

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サムハラ神社(大阪)

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祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神であり、サムハラは三神の総称である。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。 1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。戦後ほこらは再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がいる。(文:ウィキペディアより抜粋)(2017年8月11日撮影)

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津山市総社の八十八ヶ寺霊場巡拝

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 2017年5月3日に津山市総社にあるデイサービスセンター椿寿荘敷地内にある八十八ヶ寺の事を、理事長の小林 敏隆さんからお聞きしました。この弘法大師像は小林さんが友人に声をかけて創建されたそうです。小林さんは四国八十八カ寺になかなか出かけて行けない人のために、四国八十八カ寺を回り、お砂を頂いて来たそうです。その後、鐘楼も建立してこられたそうです。今では地区の皆さんが管理されておられます。

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津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~

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 「津山郷土博物館 平成26年度特別展 津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~(苅田家コレクションより)」が平成26年10月4日(土)~平成26年11月3日(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で開かれました。
 苅田家は江戸時代から続く商家で、その邸宅は宝暦年間に建てられたと言われています。このたび苅田家からその邸宅を津山市に寄付されることになり、それに合わせ苅田家で所蔵していた古文書や書画類の多くが寄贈されることになりました。この書画類の中には、津山を代表する文人画家広瀬台山や飯塚竹斎の作品も数多く含まれています。
 この展覧会では、苅田家の書画類の中から広瀬台山と飯塚竹斎の文人画にスポットを当て、津山の商家が守り伝えてきた絵画コレクションの一部を紹介します。(文:津山郷土博物館チラシより)(2016年10月4日撮影)

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稲荷神社(東一宮、坦地区)

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 五穀をつかさどる倉稲魂を祀ったもので、建立食不詳。以前はお詣りする人も多かったとのことであるが、今では社に通じる参道も荒れており、殆ど参拝する者がいない。なお、横野川改修工事により社前の道が整備されるものと思われる。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月4日撮影)

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大佐々神社(大篠)

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大佐々神社の由来
 大佐々神社は、大層由来深い神社であり、伝説に拠れば元奥谷の古宮谷山に「月読命」を祀る神社として鎮座し、本殿は享保拾年(1725年)六月、拝殿は同拾参年(1728年)八月に建設されたことが古記録書類にも残されており、壱千年以上にわたる歴史を持った名社なり。以後、天保拾五年(1844年)五月、東北条郡大篠村東分に大築大明神と御役所届をし、嘉永七年(1854)現在地に遷座された。

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絵本作家 いせひでこの世界 こころの木 絵本の原画展

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 勝央美術文学館では、夏休み向け企画展として、画家で絵本作家のいせひでこさんの絵本の原画展を開催します。木と人といのちのかかわり、そしてその豊かさをテーマに創作しているいせさんの、卓越した技術で描かれた瑞々しい絵本原画120点を一堂に紹介いたします。旅先での入念なスケッチをもとに丹念に描かれたその作品たちは生命の賛歌にあふれ見るものを魅了します。この夏休みに是非、ご家族や大切な方とご一緒にご覧ください。勝央美術文学館 館長 竹久 保(2017年7月29日撮影)

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