女院塚(津山市神戸)

nyoinzuka6.jpg

女院塚は作楽神社の鳥居をくぐった所の駐車場の片隅にあります。


 通称、女院くろ 後鳥羽上皇が隠岐に御遷幸の途次、この地で病歿された寵妃姫法師を葬った塚である。現在地のやや北東にあったものを平成11年に移転した。女院塚保存会 代表 日原桜道
(撮影:2017年9月18日)

nyoinzuka4.jpgnyoinzuka5.jpg

女院畔(にょいんぐろ)2011年3月22日取材したものです。
 大字院庄字女院畔107ノ1番地の田圃中にあり、陸上に植えてあった古松は枯れ、墓趾も崩れて小さくなっている。昔、承久の変(1221)に後鳥羽上皇は北条義時のために捕らえられて隠岐へ遷されたが、途中后宮が病を発せられたので院庄に御駐輦になり、病気平癒のご祈祷をせられたが遂に薨去されたのでここに葬られたという。因に后宮は伊賀の局と申され、祈祷所の跡は吉田神社として神戸の氏神となっている。(昭和54年10月23日発行:院庄誌より)

nyoinzuka1.jpgnyoinzuka2.jpg

女院塚

当神社参道東へ500㍍の所にある女院塚の霊主姫法師は人皇82代後鳥羽天皇の御妃なり承久3年7月13日京都を出発隠岐に生還の途次院庄の此の地に於いて御逝去され女院塚の地に埋葬さる 平成11年11月嬉辰建之 京都桜道吟社家元 桜道 日原行雄


nyoin1.jpgnyoin.jpg

2017年9月23日現在の女院畔(にょいんぐろ)の跡地