2015年 白加美神社へ初詣
2015年1月1日の白加美神社の雪景色ですが、辺り一面シーンと静まり返っていましたよ。
とにかく寒い!年明けとなりました。氏神様にお参りして、昨年無事に過ごせたことを感謝し御礼申し上げてきました。さてさて今年はどんな年になるでしょうか?地方の景気が上向いてみんなが健やかにすごせますようにとお祈りしてきました。
2015年1月1日の白加美神社の雪景色ですが、辺り一面シーンと静まり返っていましたよ。
とにかく寒い!年明けとなりました。氏神様にお参りして、昨年無事に過ごせたことを感謝し御礼申し上げてきました。さてさて今年はどんな年になるでしょうか?地方の景気が上向いてみんなが健やかにすごせますようにとお祈りしてきました。
2015年1月2日正午過ぎに雪が解けてきたのでやってきました。入り口でお聞きしたら雪を冠った津山城(鶴山公園)を撮りに朝から大勢のカメラマンが来られたそうです。入り口を過ぎ、ふと上を見るとこの石垣はスマートなんだと気付き写してみました。冬の鶴山公園も素敵ですね。
2014年10月26日(日)恒例の徳守神社の例祭がありました。今年も大勢の皆さんが来られていました。田町の奴踊りも今年は子どもではなく、大人の奴踊りでした。また、今年は30年ぶりに出動した「御花宮」のお神輿もお目見えしました。少し残念なのが、だんじりの数が6台で昨年に比べ少なかったので、毎年出せるように若者がもっともっと増えたらいいですね。
野介代の塞の神社の入口左にこの大日如来が祀られています。何でもない日にもお花が飾られていて、地区の方に大切にされているんだなと感じました。(2014年5月14日取材)
林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。
野介代のお薬師様 施主 勝田郡植月北村 早瀬兵作。御親戚にもなる菅野昭夫さん(野介代の塞ノ神社奉納)によれば、早瀬氏は出雲のお薬師様の熱心な信者でもあり、とても裕福であったそうで、作州一円に薬師堂を作るといい、職人さんを連れて建てている最中に亡くなったという事でした。ここのお薬師様は十九番目(取材2014年3月11日)
・お薬師堂とは薬師如来(やくしにょらい)という仏さまを祭ってある仏堂、または寺院の一般的な名前。
薬師如来は現世利益につながる仏として信仰されいて、大小あわせて、日本全国にたくさんの「薬師堂」がある。※現世利益(げんせりえき)=生きているうちに、いいことがあること。(野介代町内会からのおしらせより)
津山市玉琳 天下泰平 奉納 大乗妙典六十六部日本廻國 日月清明 文化十一申庚八月吉祥日 東新町 願主 みよ
日本全土66か国を回国し、国ごとに法華経一部ずつ納めることから、この名が起った。66所の霊場も、六十六部の流行にともなって成立したものである。(明治4年11月10日太政官から禁止の布令がでている)
津山市林田755(若宮谷)。祭神 大巳貴命(オオナムチノミコト)(大国主命)。少彦名命(スクナヒコノミコト)。森忠政が鶴山城の鬼門の守護のため、元和6年(1620)3月23日大隅に遷座した。村民は氏神を失ったので、跡地に小祠を建てて若宮神社と称した。元禄年間(1697~1703)松平藩の時に大隅神社の旧号をとなえるようになった。末社 御先社、三宝荒神社。(取材:2014.6.15)
因幡往来節分岐点近くに祀る今宮(津山市川崎字玉琳の稲葉街道沿いにあります。)
当地の神社は、その昔近江国滋賀郡坂本村の紀澄弥という法師がこの郷に来住して、日吉神社の御分霊を奉祀し、日吉神社として称して祀ったという。爾来、次第に住民が増加し、産土神として尊崇するようになった。神社の南方には今宮と云って紀澄弥を奉祀する社が祀られている。(岡山県神社誌より)
(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)(2014年6月23日取材)
津山市玉琳 (おたびどころ、おたびのみや、みこしやど)
神社の祭礼に神輿が本宮から渡御して仮にしばらくとどまる所。