大倭村 村社 八幡神社(津山市南方中)
由緒沿革 創立年代は詳かでない初の折居神社又は折居八幡宮と稱へて居た。
寛平四子年再建したが慶安4年11月火災のため神器奮記全く焼失して傳ふるものがない後寛文元年假宮を建て元禄二巳年9月10日と正徳3年8月と天文2年5月との三回に建立又は修繕して今日に至った。
明治12年9月22日村社に列し大正4年10月村内無挌社八坂神社及稲荷神社を合祀した。
社殿 本殿梁行4尺 桁行4尺5寸(元文2年建設)、拝殿梁行2間半 桁行3間 幣殿、神庫(以上明治11年建設) (文:『久米郡誌』より) 2014年3月29日取材
明神鳥居 境内の社叢は杉桧と樫の老大木を主としたお宮の森
拝殿と幣殿と神輿庫は明治十一(1878)年の建築とされている。拝殿と本殿の間には切妻、瓦葺の幣殿がある。
本殿は中山造りで二重繁垂木、桧はだ葺き棟の両端に千木があり勝男木は三本である。
大倭村 村社 八幡神社。祭神:譽田別命・素盞嗚命 保食命
祭日:例祭10月15日、新年祭 4月15日、新嘗祭 11月15日。
大きな木
本殿の裏手には六社の境内神社がある。
右の写真は御手洗で自然石を巧みに利用して瓢箪型の水溜りを彫り、其の周囲は盃と瓢箪の紐を組み合わせた彫刻で、文字の「奉納」、「若連中」も、ぐっとくだけた草書体である。(久米町史)
石燈籠の側に仏堂が一宇あり、石仏一体が安置されている。
(上記参考文:『久米郡誌・久米町史』より抜粋)
八幡神社(南方中)
大字南方中字八幡270番地
作陽誌には折居神社となっていて、折居神社 ニ在り 南方中村ニ。境内東西十六間、南北四十三間。と書かれている。
創立年代はさ詳かでないが、古くは折居神社、又は折井八幡宮と称していた模様で、寛平四(872)年に再建した軒札もあったが慶安四(1651)年十一月の火災によって神器旧記共にすべてを焼失して今は何一つ残っていない。後、寛文四(1661)年仮宮を建て、元禄二(1689)年九月十日と正徳三(1713)年八月と元文二(1737)年五月の三回にわたる建築で今日に至っている。
明治十二(1879)年九月二十二日村社に格付けされ、大正四(1915)年十月、御大典記念事業として無挌社の八幡神社と稲荷神社を合祀した。但し、村社という社格は太平洋戦争敗戦後他の神社と同様に廃止となった。
祭神は誉田別命・素盞鳴命・保食命の三柱の神である。
祭日は例祭が十月十五日、祈年祭四月十五日、新嘗祭十一月十五日
(文:久米郡誌より抜粋)