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宇多山 圓光寺(久米川南)旧久米町

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 当山は天台宗二祖慈覚大師の創建による。
 今からおよそ1150年の昔、開祖された円光寺は、当時その他に大日堂、薬師堂、西光寺、因果寺、宝林寺等の多くの諸堂があった。しかし、天文、永禄(1559年)の頃から次第にすたれはじめ、元禄2年(1689年)には、現在の円光寺だけとなった。
 仁和3年(887)~寛平9年(897)代に精舎の創建を見るに至ったと伝えられている。当時は、宇多天皇の宇多をとって宇多寺と呼んだ。(2014年3月29日)

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圓光寺 

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圓光寺

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花しろき大木のひまにふる池のみつかきひかる春の夕くれ(尾上柴舟)

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大正7年5月建立 現在の梵鐘は昭和30年10月鋳造。梵鐘には当山縁起が記されている。

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圓光寺本堂 天明3年建立 本尊釈迦牟尼如来(秘仏)4尺座像木像

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圓光寺本堂と水子地蔵(昭和53年9月建立 子供の守り神として信仰されている。)

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圓光寺

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圓光寺のしだれ桜 津山銘木百選

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観世音菩薩立像
昭和6年8月建立 旧久米村内33ヵ所に観音像が安置されており、当寺観音像が第一番とされる。各地区に安置されている観音像の所在作成年月日作為者等は不明なものが多い。

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山王権現神社
 山王権現祭礼 山王権現は天台宗の鎮守神。山王の名は、伝教大師が中国天台山国清寺の例にならって、比叡山の鎮守の神を山王と呼んだことに始まるといわれる。本建物は、慶応3年9月に葺き替えがなされている。


久米村大字久米川南 天台宗 宇多山圓光寺 由緒沿革

 當山は宇多天皇の朝天台宗第二祖慈覺大師の創建に依る天皇脱屣後陰に諸国を巡行し給ひ當國久米邑に止り給ふに當り當寺此地に数里に瓦って尋ぬるに家なく求むるに食なく從者大に供御に窮した此時一野人來りて芹コウを献ずる有り帝は大に之を美し給ひ還闕後詔して其人を問はしめ普く國中に求められたけれども遂に應ずる者が無かった。
帝は其後其人後に圓光のありしに記憶し給ひ之を以って是常人に非らざるを覺り給ひ因て其地に精舎の創設を見るに至ったのである。
後人之を宇多寺と號して◎坊敷宇地方の偉観であったが天文永禄の頃漸次郊嘘と成り今は惟た圓光の一院を残すのみで其地の院坊は只地名として榮ある昔を語って居る此地今に芹を産し宇多芹と名けて一郡の嘉する所である。
財産 田一町一反二畝二十一歩。畑五段五畝二十七歩。山林一町七段三畝十六歩。
基地 當山には相應和尚の彫刻と稱する辨財天一軀を保存し尚境内には鎮守山王権現の一社がある。
花しろき大木のひまにふる池のみつかきひかる春の夕くれ(尾上柴舟)

(資料提供:天台宗 宇多山 圓光寺)


円光寺の縁起
 第五十九代宇多天皇は位を後醍醐天皇に譲られた後、陰に諸国の名山霊地を遊歴して美作の国久米の村に来られた。其の時帝は数里の間人家のない所を通られ大変な空腹であり、従者も気を揉(も)んだが如何ともすることが出来なかった。その時一人の野人があって芹(せり)の羹(あつもの)を献上した。帝はそれを召し上がり大変な美味を覚えた。京都にお帰りの後、詔(みことの)りしてその野人を探されたが名乗って出る者がなかった。帝はこれは常人ではないと悟られ、其の地にお寺を建立された。後の人は此の寺を宇多寺と名づけた。本尊は観音菩薩で人はこれを「宇多芹」と称して有名である。(作陽誌、美作風土略、久米郡誌)

 本尊は観音菩薩で人は之を「宇多観音」と呼んで尊崇した。又、大日堂・薬師堂・西光寺・因果寺・宝珠寺等皆宇多寺の院内にあったものである。ところが天文・永禄の頃(山陰の尼子氏が美作國を征服した頃)兵燹(へいせん)にかかってなくなり只円光寺のみが僅(わずか)に残った。
 今(元禄四年の頃)も尚付近に芹を産す。名づけて「宇多芹」といって郡内では有名である。以上が作陽誌の記事である。
 当寺は第二代の天台座主慈覚大師によって開基されたと言われているが年代はわからない。現在の建物は天明五(1785)年の建築ということである。
本尊は、作陽誌によると千手観音となっているが、1m27cmの釈迦牟尼仏である。
 当寺のちがい棚の上の天袋の障屏画は朱肉で描かれており、狩野法眼の落款がある。

(文:久米町史より抜粋)