少彦名神社(油木北)旧久米町
大宗油木北字宮1608番地
当社は古くは「赤子の宮」・「赤子大明神」・「児大明神」・「児の宮」・「児神社」等と呼ばれていたが、明治6(1873)年2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とし、油木北・油木上(以上久米町)・北・南(以上久米郡旭町)の四大字の産土神である。
祭神は、少彦名神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・大己貴命・素盞鳴命・事代主命・大山咋命・御年神・綿津見神・瀬織津姫命・倉稲魂命・奥津彦命・奥津姫命・天香々背男神・大宮賣命・猿田彦命である。
祭日は、例祭10月13日、祈年祭2月20日、新嘗祭11月28日。
少彦名神の勧請は保元年間(1156-1159)より以前のこととなる。当社の建立修復に関する棟札、文献等を記録すれば、これは当時倭文荘の地頭江原親次建立のものであり、親次は大字油木北と旭町大字北との堺にあった高山城の城主であり、又真庭郡篠向城の城主でもあった宇喜多の有力な武将である。
当社には明治41年12月21日、氏子区内にあった次の小社21社が合祀された。
(油木北)岩滝神社 輿淵神社 日枝神社 稲荷神社 森神社 八坂神社
(油木上)西宮神社 香々背男神社 和田神社 荒神社 八千堂荒神社
(山手公文南)明山神社 内田神社 米山荒神社 堂ノウネ荒神社 上之一荒神社 末信荒神社
(山手公文北)大森神社 大御崎荒神社 ノベ荒神社 下モ一荒神社
当社には宮座と考えられる12頭なるものがあり、今では其の名称のわからなくなったものもあるが今尚伝えられているものに、爲貞 宗近 江草 堀坂 阿原 安藤 大長の名があり、其の他は明確でない。
拝殿
本殿はやや東に振った南向きで二間二面、間口奥行共に3m、中山造りで棟の両端に千木があり、勝男木は3本、千鳥羽風がするどい鋭角になってグッと天空に伸び上がっているのが印象的である。
屋根は銅板葺であり向拜は唐破風である。
境内
拜殿は間口6m32、奥行3m95、茅葺の入母屋造り平入りとなっており、拜殿と本殿は巾2m46の幣殿で連続している。
境内神社は四社が祀られている。
神輿庫
(文:久米町史より抜粋)2014年9月22日取材