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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1121件の記事が見つかりました。

阿波八幡神社のスギ

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阿波八幡神社のスギ 所在地/阿波村位登山 所有者/阿波八幡神社 推定樹齢/500年 目通り周囲/5.0m 樹高/40m 阿波村指定天然記念物(昭和44年10月30日付)
 県道加茂用瀬線に面して一際茂った森にある。全村一社の八幡神社で、当社の花祭は有名である。社叢は位登山と古称され阿波村の天然記念物に指定されいる。また境内には、スギ・ヒノキ・ケヤキ・モミ・トチノキなどが成育しており、特にスギの巨樹が多くなかでも本樹は通直で成育もよい。
 スギは村の木にも指定されており、村の象徴的な存在である。(文:『津山の名木百選』より)(2017年2月4日・4月15日撮影)

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地元の人が地元の風景を撮影した懐かしき平福地域の今昔

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2017年3月10日~12日まで佐良山農業研修施設・佐良山公民館で、「さら山景観展」(主催:佐良山住民自治協議会)がありました。地元の人が地元の風景を撮影した懐かしき平福地域の今昔ですが、時代の移り変わりを写真を通して見ると客観的に見えていいものだなと思いました。

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坂元稲荷神社 (津山市山方字古観音寺地内)

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 いつの頃からかは判然としないが、五穀の神として倉稲魂神を祀ったもので、また商売の神(正一位)として神の使役に狐を従えている。
 毎年2月初午の日に参詣する稲荷詣でがあり、絵馬を献ずるなど子ども連れで毎戸に銭を乞い歩く萬年講などがあったと聞く。現在ではこれらの行事もなくなったが地域や横野方面からの信者など、お参りが絶えることなく続いている。
 なお、平成7年県道拡幅工事のため現在地に移動されたものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月12日撮影)

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美土路家の屋敷神・構屋敷跡(一宮)

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 津山市街から北に向かって行くと、中山神社の近くにある難波酒造手前の一角にある。本光寺住職にお聞きすると、元々は美土路家の屋敷神だったそうです。昔美土路家はとても広大な土地を所有していたそうで、ここも屋敷の一角だったそうです。(2016年2月3日・2017年2月8日・6月13日撮影)
 「美作一宮 郷土の歩み」に『城所屋敷』の記述がある。美作の守護であった赤松氏の重臣城所備後が居を構えていたとのこと。後に中山神社に仕える泉氏、その後を美土路氏が居住した。古老によれば「一町四方の土塁と堀に囲まれていた」と。里人たちはその一画を「構屋敷」と呼んだ。
 現在残る痕跡としては、現「難波酒造」敷地内に残る東西15m、高さ3m近い土塁の一部があり、最近まで公会堂東にあった防火用水プールもその堀の跡であったようだ。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)

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千磐(ちいわ)神社のスギ(加茂町大字知和)

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所在地/加茂町大字知和字宮ノ前・所有者/千磐神社・推定樹齢/650年・目通り周囲/5.3m・樹高/39m
 県道津山智頭八東線より東側に面して本殿にいたる参道が続いている、この参道は矢筈山登山道と併用して利用されており、人が訪れる機会の多い神社でもある。千磐神社はもと王子権現と言い、素盞鳴命を祭神とされている。本樹は境内にある二又杉の巨樹で、藤つるがからまっており藤の花が開花したときは見事である。(文:『津山の名木百選』より)(2017年2月4日撮影)

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出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその1)

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2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。今回が出雲街道歩きは最終回とのお話で50名の定員を大幅に超える78名の参加がありました。10:30分受付を済ませ、新庄村ふれあいセンターで美味しい昼食を取った後、12:00バスにて乢根(たわね)まで行き、四十曲峠を超えて来ました。レポートその1は四十曲峠~嵐ヶ乢まで。

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愛宕神社(東一宮)

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愛宕神社 津山市東一宮
 祭神は「いざなみのみこと」。
かつてはこの集落の鎮護と防火の神として敬われて、年1回の春の作道作りのあと、神前で簡単な祭事と集会が行われていた。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真

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吹屋町
寛永2年(1625)に、瓜生原村と金屋村から移住した鋳物師によって成立したとされる町である。江戸時代前期の様子を伝える絵図では鋳物師町と記載されているものもある。吹屋とは鋳物師の別称で、この町に住む職人によって、美作地域の多くの寺院の梵鐘が鋳造された。また、日常的には、鍋・鎌の修繕なども手がけていた。(文:津山まちづくり本舗 津山城下町まちなか お社巡りより)(写真提供:中山須美子さん)

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津山やよいライオンズクラブの「世界ライオンズ100周年記念奉仕」

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2017年3月29日に吉井川河川敷に於いて、津山やよいライオンズクラブが「ライオンズクラブ100周年記念」として、クラブ会員20名がお揃いウインドブレーカーを着用し、火ばさみと分別ゴミ袋を手に今津屋橋北詰から新大橋までの国道53号線の両サイドの歩道と吉井川河川敷(北側)で清掃活動を実施されました。その後、100周年記念として、津山市の観光に役立ててくださいと津山市観光協会・ボランティアガイドにポータブルハンズフリーマイク3台を贈呈されました。この日は手が凍えそうなとても寒い朝でしたが心ほっこり清々しかったです。

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大森神社(東一宮)

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大森神社(牛頭天王) 津山市東一宮
 字天王にある「大森神社」は、牛頭天王をお祀りしている。牛頭天王とは、祇園精舎の守護神であって薬師如来の化身と称される。また祇園とは、孤独長者の買う設備のある壮厳を極めたところをいい、地獄の獄卒の一つで体は人の如く、頭は牛の如きものをいう。
 この神社に祈願すれば、疫病退散の効能が著しいと言われ、一宮の市盛んな時には、参詣者特に多くご利益をいただいたという。当時は境内も広く木立も多く立派な神社であったが時代の流れに押され、ささやかな姿を止めている。なお、現在も近隣の人々により年2回祭事が執り行われている。v(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)