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取材記事内を検索ワード「山城」で検索した結果,673件の記事が見つかりました。

矢筈神社(津山市加茂町)

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千磐神社(往時権元と称し矢筈城主の信仰、最も厚かりし神社である)の末社 矢筈城主(高山城主)草刈氏の守護神として城内に奉祀された神社であり、その後現在地に移されたものである。相殿には、矢筈城に関係した武将の霊が祀ってあります。昭和58年11月 矢筈城址保存会(2012年9月20日取材)

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竹本山 医王寺(津山市加茂町青柳)

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 当社は青柳にあって、竹本山 医王寺と号し醍醐派真言宗に属する当山派山伏寺である。本尊は大日如来である。

 開山は不明である。もと字寺山にあったが、文永二十一年(1274)に僧聖覚房が中腹に移建し、さらに天文二十一年(1552)に矢筈城主草苅衡継が現在地に移したと伝えられる(『苫田郡誌』)。本尊大日如来は、像長一尺の一本造りである。寺の行事は、正月二十八日には、部落ひとびとが本堂で大師講を行っている。2012.9.20取材(文:加茂町史より)

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片金山明王院 金龍寺(津山市加茂町室尾)

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片金山明王院 金龍寺縁記
 当寺は、真言宗醍醐派に所属し、片金山明王院金龍寺と称し「千手十一面の二相両具をそなえた観世音菩薩、千手観世音菩薩」を本尊とし室町時代の文安5年(1448)行基菩薩の法系孫と言われる恵秀法印の開基になり、当初は、裏山、現在の寺山の中腹(当青柳の庄時代交通の要路であったと言われる)にあり七堂伽藍をかまえそなえた寺院であったが、天文21年3月(1552)火災にかかり、ことごとく焼失し、同年8月寺地を現在の処に移し、開基より三代目、数円法印再建す
 その後、元和元年(1615)津山城主、森忠政公の命により津山留錫の玉林院法印智観の資子、宥智東蔵坊法印、これを継承し、室尾城主、河端丹後守公の祈願寺として、寺領250石を賜り周辺村(現在の部落)わ檀家とし、尚神仏習合寺院として現在の三宝神社の別当を勤め、別寺名を実安山神宮寺とも称し、当山派系(真言宗醍醐三宝院末寺)の修験道寺院をも加えた密教寺院であった。
 然し、明治元年(1868)神仏分離令に加えて排仏毀釈に会い解体せられ、その上、明治5年(1872)修験道廃止令に依り衰退し,本宗(密教系寺院)の寺院の姿の一部を止めるに至り現在に至っている。
 然し、今当寺に相承の法流は、真言密教の中核、小野三宝院流、及び修験道の大峯山法、恵印三未耶法流である。
玉林院智観法印とは、大和国大峯山直轄の密教寺院であり、勅願所である内山永久寺(明治初年の排仏毀釈により廃寺)の正大先達頭として諸国を歴訪し、津山に留杖し森公の相談役として家老待遇で迎えられていた。2012.9.20取材(文:案内板より)

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2012年11月14日 長法寺の大イチョウと紅葉

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名木百選 長法寺のイチョウ イチョウ(イチョウカ) 推定樹齢200年
 明治の詩人薄田泣菫がその名著「二十五弦」に出した長詩の一節のモデルといわれているイチョウ。長法寺は紫陽花でも有名なお寺で、明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子も見事です。
 イチョウの木が黄色に色づくころ、境内のモミジも色づいて綺麗でしたよ。

長法寺の取材はこちらあじさい祭の様子はこちら

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2012年11月14日の鶴山公園のモミジです。

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なんて美しいモミジでしょうか?何度行っても癒されます。今度の土日(2012年11月24日・25日)は「秋の津山城!ご当地グルメフェスティバル」、「つやま地域産品まつり」が同時に開催されますよ~。

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23回目 津山城東むかし町(2012年11月4日)

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 2012年11月4日に23回目の「津山城東むかし町」のイベントがありました。

このイベントは、城下町の構造や長屋形式の町家が多く残る伝統的な町並みがつづく城東町並み保存地区で毎年あります。当日は屋台村や様々なイベントが盛り沢山あり、大勢の人出で賑わっていました。

この日、城東地区は歩行者天国(9時から17時)ということもあり、小路などぶらぶら歩きながら城東地区を散策しました。そして、今年もまた新しい発見がありました。

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妙法山 経王寺(津山市下野田)

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 山号は妙法山、日蓮宗・日蓮宗津山妙法寺の末寺でした。『下野田誌』によれば、本尊は三宝尊・宗祖尊像です。天正(1573~92)のころ、宇喜多氏の老職をつとめた岡豊前守家利が植月中村(現勝央町)小山の堡(宮城城)に住み、元亀時代(1570~73)に討ち死にした親せきや家来の菩提を弔うため、京都の日蓮宗妙顕寺に請願して宮山城跡の下に寺を建立し、妙法山経王寺と号しました。そののち本寺を下野田村に移転しました。(勝北町誌「神社と寺院」より)2012年9月28日・10月2日取材

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城西まるごとフェアー2012

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2012年10月17日(日)10:00~16:00に、2012年第17回津山城西まるごと博物館フェアが「手仕事のまちが蘇る アート&クラフト展」と題して作州民芸館周辺で執り行われました。当日は売り切れ御免でクラフト展、模擬店広場(城西のなつかしい味が大集合)、城西お宝さがし、ミルクホール、木工教室、西小学校図画展示、作州絣の実演・体験。また、城西浪漫館ではカフエ、むかし話の部屋、西小科学教室、城西レトロ市場、ステージ広場ではちびっこ達が大活躍などなど盛り沢山のイベントでした。

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きてみんちゃい高倉!"たかくら塾"~地域づくり実践講座~

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2012年9月23日(日)自分たちの地域は自分たちでつくる!第3回「津山"たかくら塾"」が開催されました。NPO法人英田上山棚田団 理事の西口和雄(@かっち)さんを講師に、お隣の美作市、上山棚田への視察をかねて現地開催となりました。当日は、津山"たかくら塾"の塾生5人・高倉自治協議会6人で、その他は幸雲南塾や県内外からの一般参加者の方々が一緒に勉強しました。(「津山瓦版」は、会員さんでもある高倉自治協議会の皆さんを追っかけ密着取材させていただきました。とれたて新米のおにぎりが美味しかったですよ~。高倉自治協議会


●津山市"高倉地域"について
津山市は古くから、岡山県北・美作地方の拠点として中心的役割を担ってきました。
現在も津山城跡(鶴山公園)を中心にした城下町の風情を残しつつ、周辺には豊かな森・水・里山のある、歴史と自然の調和したまちです。
高倉地域は、農村地域としての風景を残しながら、利便性にも恵まれている一方で、
子どもと若者の減少により地域の高齢化が進んでおり、その対策が急務となっています。
2011年10月に、『住んでよし、いってみたい高倉』を目指し「高倉自治協議会」を設立し、市との協働による地域づくりをスタートしました。
地域の資源を活用した絆づくり、仕事づくり、人づくりなどを中心に、交流人口や定住人口の増加による地域の活性化を目指しています。

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廣戸神社(大吉字平野)

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廣戸神社(大吉字平野) 2012.9.2取材
 「美作神社資料」によれば、宝亀元年(770)、山城国(京都府)男山八幡宮(石清水八幡宮)を廣戸村奥津川字宮谷に勧請し、廣戸八幡宮と唱えました。その後、文治5年(1189)に廣戸村大吉字宮の奈留に社殿を移し、応永5年(1398)大吉字平野に遷座しました。
 祭神は品陀和気命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・大山祇命・武内宿禰・須勢理比売命・志那津比古命・志那津比売命の7柱の神です。境を接して建てられた廣戸神社と五穀寺の境内は、奈良時代から始まる神仏習合(混淆)の姿をとどめています。
(神社と寺院より)※神社よりいただいた沿革は最後に載せてあります。
祭神:品陀和気命 大山祇命 息長帯命
    武内宿禰 須勢理比賣命 支那津比古命
    支那斗辧命 (大雀命)風神社...
※廣戸神社の宮司さん曰く、風神社は今は自衛隊の基地で着弾場になっているそうです。鳥居の1本が残っているとか。

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