谷崎潤一郎と勝山の町

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都わすれの記(2012.5.10取材)
勝山町は旭川の上流なる山峡にありて小京都の名ありといふ、まことは京に比すべくもあらねど山近くして保津川に似たる急流の激するけしきの嵐峡あたりの面影なきにしもあらざればしか云ふにや、街にも清き小川ひとすぢ流れたり、われらは休業中の料理屋の離れ座敷一棟を借りて住む、二階の六畳二間を書斎にあてゝ故帝鴻銘翁が短冊に書したる有 人對 月數 歸期 の七字を柱に懸けたるは、此の句恰も今のわが身にふさはしければなり、あゝわれ齢六十路におよびてかゝる邊陬に客とならんとは、げに人の運命ほど測り難きはなし
 なつかしき都の春の夢さめて
  空につれなき有明の月
 まどの戸をあくれば入り来やまざとの
  人に馴れたる雀うぐひす

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ここが赤岩旅館(現大塚章保の表札)荷風と潤一郎が対座した2階の床の間

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文化センターに貼られていた疎開日記

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とても風情のある町並みと、静かに流れる川面です。

武家屋敷館は、明和元年(1764)三河国西尾から国替えになった三浦明次が勝山城を修築し、畑だった旦地区に武家屋敷を建て、家臣団を住まわした。その中で当時の家老格であった渡辺唐兵衛の屋敷が保存してあります。

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渡邉邸(武家屋敷)

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玄関を入ると生け花が綺麗に飾られ、部屋には当時の額がそのまま残っています。

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庭も綺麗に整えられ、台所に通じていたのはお女中の部屋だとのことでした。

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土蔵、着物

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土蔵の資料館には歴史を感じさせてくれる甲冑、槍、衣類等が展示してありました。


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醤油倉(今は製造していないようです。)

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鳴門橋を渡ってから旭川の向こう岸から城山や太鼓山を眺めて「小京都みたいだ」と言ったそうです。

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よく下駄を履いて通ったことでしょう。

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勝山のメインストーリーと上の段

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谷崎さんは、この景色もみているはず。