![八幡神社(津山市新野山形字宮山)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/11/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B1%8B%E6%A0%B9-thumb-120x120-106222.jpg)
八幡神社(津山市新野山形字宮山)
![岩谷山 「妙福寺」(津山市中北上)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/05/kumetera15-thumb-120x120-118149.jpg)
岩谷山 「妙福寺」(津山市中北上)
![田熊 南北朝動乱時代の山城 下木の岩黒城址](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/01/%E5%B2%A9%E9%BB%926-thumb-120x120-130427.jpg)
田熊 南北朝動乱時代の山城 下木の岩黒城址
![県指定史跡 久米廃寺(くめはいじ)跡](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/07/haiji20-thumb-120x120-136614.jpg)
県指定史跡 久米廃寺(くめはいじ)跡
![22世紀の森(加茂)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/11/22_8-thumb-120x120-144386.jpg)
金峯山修験本宗 長命山 多寶寺
往昔の吉備中山は和歌題詠の名勝であった。その中山の麓山形の地に、長命山 多宝院とと唱へる修験道場があり、慶長年中津山の城主森美作守忠政が、津山城艮の鬼門除祈願所として、陣具を奉納せられたとの傳があり、現在津山市大谷の石山摩利支天も此時に祀られたとのことである。昭和年中より文化年代に渉っての住職、七代目大僧都宗春、八代目権大僧都宗栄の二代は、相続いて苦行を修し、厄難除けと併せて、女人安産に霊験顕著であった。その為め世人の崇敬を受け、隆盛の道場であったが、慶応年中には無住となり、堂宇破損ついには風の為め倒壊するに至ったのである。當時堂内にあった佛像はこれを字水原に移し、小堂を建てて保存したのであったが、寺跡は明治以降山林と化し、其後周辺は開墾されて畑となり、僅かに寺号のみが傳へられたのであった。近年に至って宗教法人法附則第五項の規定によって、県知事の認証を得、昭和二十七年十一月十三日登記手続きを完了、寺号を長命山 多宝寺と号し、旧時の遺跡である、山形東俗称宇根の地に堂宇を建立、金峰山修験本宗に所属し、住職は管長の任命によって、大阿闇梨僧都孝範が就任し、再來天下泰平万民豊楽の祈祷を執行、毎朝鳴り渡る法螺貝の音は、那岐連峰にこだまして、勝北平野の静空を流れ、八万四千の煩悩の夢を覚して居るのである。(文:新野村史より)2012.10.27取材
多寶寺入り口の碑
多寶寺本堂
この狛犬は怖い!
灯籠
本堂と末社?
遠くから見た多寶寺