2013近畿・中国・四国 B-1グランプリ in 津山
2013近畿・中国・四国 B-1グランプリin津山が5月25日・26日に執り行われました。両日ともうだるような暑さの中25日(土)23,000人、26日(日)48,000人で合計71,000人の来場者がありました。8府県16団体が出展し、ゲスト参加は八戸せんべい汁研究所(青森県)や浪江焼麺太国(福島県)でした。本当に遠い所から参加くださった皆様に感謝です。
2013近畿・中国・四国 B-1グランプリin津山が5月25日・26日に執り行われました。両日ともうだるような暑さの中25日(土)23,000人、26日(日)48,000人で合計71,000人の来場者がありました。8府県16団体が出展し、ゲスト参加は八戸せんべい汁研究所(青森県)や浪江焼麺太国(福島県)でした。本当に遠い所から参加くださった皆様に感謝です。
2013年5月3日午後に思いついて津山城(鶴山公園)へ上がってきました。上がりがけには小雨がぱらついて来て、大慌てで写真だけ取ってきました。淡い色の藤の花がとても綺麗でした。昨年は見ていられないほど少ない花でしたが、今年は多くの花がついていましたよ。昨年の様子はこちら 2010年の様子
勝部神社について
一(名前について)
昔は様々な仕事に其の職種ごとに名前があり、住む地域も決められていました。今もその名残として、それらの仕事に従事していた地域の名前が残されています。(綾部、倭部(志戸部)等
「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり
「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられます。
2013年4月3日の津山城(鶴山公園)のさくらです。
今年は美作国建国1300年の年でもあり、ここでもイベントが沢山用意されています。津山城(鶴山公園)の石垣のストーリーを知りながら見学するとなお「素晴らしい!」と感激していただけます。沢山の津山の人に知ってほしいです。
2013年4月13日(土)津山さくらまつりのイベントに出かけてみました。当日は晴天になり、爽やかな天気となりました。
お部屋いっぱいに七段飾りが飾ってありました。それに、浪漫館のお雛様はとても可愛いどんぐりのお雛様がいましたよ。また、隣のお部屋では松平家の展示がされていました。(2013年3月9日取材)
津山城「鶴山公園」で毎年春に行われる「津山さくらまつり」。2013年4月1日(月)は天候にも恵まれ大勢の来園者のみなさんんと「津山さくらまつり」オープニングセレモニーが執り行われました。さくらも開花した中で津山情緒保存会による踊り連が華を添えました。また、オープニング終了後、入園された方に先着1300人に「紅白餅」のプレゼントがありました。(2013.4.1)
「津山城下町雛めぐり」に行って来ました。平成25年3月2日(土)~4月3日(水)
中心商店街一帯の約80店舗でお雛さまが飾られています。4月6日(水)まではエンゼルホールで「おかみさんのひな祭り」があり、筝や尺八の演奏もありました。
今年はつるし飾りが沢山あり、会場内は華やかでした。また、おかみさんぜんざいや、小物やお菓子が販売されていましたよ。(2013年3月3日取材)
都わすれの記(2012.5.10取材)
勝山町は旭川の上流なる山峡にありて小京都の名ありといふ、まことは京に比すべくもあらねど山近くして保津川に似たる急流の激するけしきの嵐峡あたりの面影なきにしもあらざればしか云ふにや、街にも清き小川ひとすぢ流れたり、われらは休業中の料理屋の離れ座敷一棟を借りて住む、二階の六畳二間を書斎にあてゝ故帝鴻銘翁が短冊に書したる有 人對 月數 歸期 の七字を柱に懸けたるは、此の句恰も今のわが身にふさはしければなり、あゝわれ齢六十路におよびてかゝる邊陬に客とならんとは、げに人の運命ほど測り難きはなし
なつかしき都の春の夢さめて
空につれなき有明の月
まどの戸をあくれば入り来やまざとの
人に馴れたる雀うぐひす
金峯山修験本宗 長命山 多寶寺
往昔の吉備中山は和歌題詠の名勝であった。その中山の麓山形の地に、長命山 多宝院とと唱へる修験道場があり、慶長年中津山の城主森美作守忠政が、津山城艮の鬼門除祈願所として、陣具を奉納せられたとの傳があり、現在津山市大谷の石山摩利支天も此時に祀られたとのことである。昭和年中より文化年代に渉っての住職、七代目大僧都宗春、八代目権大僧都宗栄の二代は、相続いて苦行を修し、厄難除けと併せて、女人安産に霊験顕著であった。その為め世人の崇敬を受け、隆盛の道場であったが、慶応年中には無住となり、堂宇破損ついには風の為め倒壊するに至ったのである。當時堂内にあった佛像はこれを字水原に移し、小堂を建てて保存したのであったが、寺跡は明治以降山林と化し、其後周辺は開墾されて畑となり、僅かに寺号のみが傳へられたのであった。近年に至って宗教法人法附則第五項の規定によって、県知事の認証を得、昭和二十七年十一月十三日登記手続きを完了、寺号を長命山 多宝寺と号し、旧時の遺跡である、山形東俗称宇根の地に堂宇を建立、金峰山修験本宗に所属し、住職は管長の任命によって、大阿闇梨僧都孝範が就任し、再來天下泰平万民豊楽の祈祷を執行、毎朝鳴り渡る法螺貝の音は、那岐連峰にこだまして、勝北平野の静空を流れ、八万四千の煩悩の夢を覚して居るのである。(文:新野村史より)2012.10.27取材