横川のムクノキ(美作市)
このムクノキは樹齢約1000年、幹の太さは目通り周囲9.4m、樹高25m、枝張りは南北30mあって県下最大のムクノキです。ムクノキは関東以西の本州、四国、九州に分布し、山地にも生えますが、しばしば人家付近や道路わきに植えられます。5月の若葉が伸びる頃、淡緑色の小さな花を付け、秋には直径12mmほどの黒い実を付け、この実は甘くて食べられます。ムクノキは家具等に使われる他、葉は細工物を磨くのに使われます。 環境省・岡山県(文:立て看板より)(撮影2017年11月19日)
このムクノキは樹齢約1000年、幹の太さは目通り周囲9.4m、樹高25m、枝張りは南北30mあって県下最大のムクノキです。ムクノキは関東以西の本州、四国、九州に分布し、山地にも生えますが、しばしば人家付近や道路わきに植えられます。5月の若葉が伸びる頃、淡緑色の小さな花を付け、秋には直径12mmほどの黒い実を付け、この実は甘くて食べられます。ムクノキは家具等に使われる他、葉は細工物を磨くのに使われます。 環境省・岡山県(文:立て看板より)(撮影2017年11月19日)
津山城(鶴山公園)に松尾芭蕉の句碑がある。津山と松尾芭蕉の縁を調べてみました。
全国に知られた富豪で俳人でもあった蔵合の五代目孫左衛門直良は、元禄(1688-)から享保(1716-1734)年間頃、全盛を誇った蔵合家当主。西鶴が『日本永代蔵』にえがいたのも直良の時代と思われるが、芭蕉とも交友を結び俳人でもあった富豪の面影をしのばす。俳号は「推柳」という。句集『夢三年』(寛政12年、岡山の佐々木松雨が編集)の中に、芭蕉の友人・山口素堂の一文をのせている。その中に「津山の住、推柳子のもとへ赤木氏より、わが友芭蕉の翁が絵かきて自ら賛せるを送らせー」とあり、芭蕉と蔵合直良推柳の交友を窺わせる。芭蕉が送った自画賛については享保元年(1716)に、やはり芭蕉門の俳人・月空庵露川が門人の燕説を供に津山を訪れた時の紀行『西国曲』に次のように記されているという。紀行には蔵合の繁栄ぶりを示す記事もあり、西鶴の『日本永代蔵』をさらに裏付ける。(2015年4月21日撮影)
津山の春の風物詩、「津山さくらまつり」が2017年4月1日より市内各所で開催されますした。今年は4月1日~15日.まで開催され、楽しいイベントが盛りだくさんでした。郷土芸能ステージやお茶席、グルメイベントなど期間中は様々な催しがあり、取材した4月11日・12日はたくさんのお客様が来られていました。さくらの花も満開。また、ことしは桜の状態が良いため、4月16日まで津山さくらまつりが延長されました。
平成29年10月13日・14日・15日(日)の3日間、美作国の国分寺で開扉法要がありました。今年は33年に一度の大法要にあたるそうです。
『ご本尊の秘仏お薬師様と大きな角塔婆は五色の綱で結ばれています。塔婆開眼供養法要に続き開闢法要の途中でお薬師様のお扉が開けられると、塔婆から下がったその綱からはより強くお薬師様のお力をいただけます。みなさん一心に手を合わせ、綱を触ってお願い事をしていました。また、最終日の15日にはお薬師様にお願いごとを叶えていただく「薬師供祈願法要」と、お扉を閉める「閉闢法要」が行われました。』(文:美作国の国分寺HPより)(2009年9月2日取材)、(2017年6月11日取材)
月下美人は、この花が夜に咲き始め、翌朝までにしぼんでしまうことに由来します。花言葉の「はかない美」「はかない恋」もそれにちなみます。
日本での栽培下では6~11月に咲き、この季節に株の体力が十分に回復すれば2~3ヵ月後にもう一度咲く。ゲッカビジンの花言葉は、「はかない美」「はかない恋」「あでやかな美人」花冠は20~25cm程度であり、白い。香りが強いです。
日本での栽培下では6~11月に咲き、この季節に株の体力が十分に回復すれば2~3ヵ月後にもう一度咲くことができます。つぼみは初期は垂れ下がっているが開花直前になると自然に上を向いて膨らみ、夕方に芳香を漂わせはじめます。これもコウモリがホバリングをしながらやや下を向き、舌を伸ばして花蜜と花粉を摂食する行動との共進化と考えられています。
私が長年気になっていた事で私の代に解決しておかないと誰も解らないままになると思い、里の家前の安藤きしこさんに力を借りて調べる事にしました。子どもの頃、父に連れられて行っていた「たばこ畑」のすぐ下に、椿の木と一緒に祠があったような気がします。(椿と石と石の間に祠があった?ような気がしていました。)今となっては、何年も祀られていない上に、椿の木は大きくなり、藤の木が覆い茂り、字も風化されて解りません。ただ、前の安藤きしこさんに聞けば、野田の人が多く参られていて、ここにお参りした後に岩黒城跡のお大師様におまいりして、また帰られていたと聞きました。そして、上り口には石の段々があった。道の反対側には茶店があった。(現在は安藤きしこさん宅の畑になっている)。そして、この山が寺山と呼ばれていたそうです。
2017年6月24日、アジサイの花を観に声ヶ乢まで行って来ました。声ヶ乢には広戸仙の登山道があり、今は道が整備されています。せっかくなので車で行ける所まで行ってみようと思い、金山林道を辿っていくと愛宕神社の看板と鳥居が見えてきました。車を降りて鳥居をくぐると東屋のような休憩所があり、更に進むと滝と愛宕神社が見えてきました。愛宕神社の詳しい由緒は解りません。(2007年8月27日取材のプチ旅行)(峠の茶屋は閉じられていました。)
浮田佐平(初代)が津山の名産品を作ろうと考案した「佐平焼」の特別展示が、2017年11月3日~5日まで佐平館でありました。
初代佐平さんは、未完成の「佐平焼」を市場に出したのでは津山物産の名を汚すと、当初焼いては倉庫にしまいこんだと言われています。その一部が展示されています。また、蔵を改造した資料館も一般公開されました。(撮影2017年11月3日)★詳しくは(2015年11月9日撮影)、(2017年10月25日撮影)
2017年11月11日恒例の「傘大モミジ」の様子です。気候の変動のせいでしょうか今年はピークを過ぎていました。モミジの根元には、高浜虚子が読んだ大紅葉の句碑もあります。また、この日はもみじ祭りがあり、地域の皆様が色々と手作りの品でもてなしてくださいました。(2012年11月10日・11日に「傘大もみじまつり」がありました。)
神楽尾城は、東西約20㎞、南北約10㎞に広がる津山盆地のほぼ中央に位置する神楽尾山(標高308m・二等三角点)に築かれた中世の山城です。今回は田邑側から登ってみました。この画像は2014年のものですが、ずっと気になっていたので、アップすることにしました。とても見晴らしが良くて最高でした。もう、何十回、何百回と登っていられる方ともご一緒出来たし、清々しい好青年ともすれ違いました。登山とまではいきませんがいい運動になります。歴史的な事は前回に取材しておりますので、今回は様子まで。(2014年5月10日取材)