紫式部の墓伝説(物見)

苫田郡誌に載っていた「紫式部の墓」(2015年8月31日取材)
「上加茂村大字物見の畑中に在り、周圍に石を累ね其の上に小き墓堂ありしが今は腐朽して在せず、址に椿樹を生す。傳(つた)へ曰ふ紫式部因幡より中國に至る時此の地に於いて歿(ボツ)せしを埋葬せし處(ところ)なりと。」(文:苫田郡誌より引用)

苫田郡誌に載っていた「紫式部の墓」(2015年8月31日取材)
「上加茂村大字物見の畑中に在り、周圍に石を累ね其の上に小き墓堂ありしが今は腐朽して在せず、址に椿樹を生す。傳(つた)へ曰ふ紫式部因幡より中國に至る時此の地に於いて歿(ボツ)せしを埋葬せし處(ところ)なりと。」(文:苫田郡誌より引用)
8月11日のお盆まじかのグラスハウス近くのサルスベリの花が綺麗に咲いていました。このサルスベリの花ですが、神社とかお寺によく植えてあるのですが何故か不思議になってネットで調べたら、「中国の伝説で、恋人と百日後に逢うことを約束した乙女が、約束の百日目の直前に他界、その死んだ日の後に咲いたという花、日本では元禄時代の園芸書「花譜」に、「紅花が100日間咲く」と説明があったので、"百日紅(ひゃくじつこう)"。
また、木の肌が滑らかなので、猿も滑ることから、"猿滑"とついた.木の肌を掻くとくすぐったそうなので"クスグリノキ"という別名もある。」だそうです。
高津神社 大字里公文字葉山
祭神は大日霊貴命で、配祀は倉稲魂命・奥津彦命・奥津姫命・軻遇突智神・天目一箇神・天香々背男神・素盞鳴命・大山祇命・月読尊・級長津彦命・級長戸辺命・蛭児命・保食神祭日は、例祭10月17日、祈年祭2月23日、新嘗祭11月14日、挿秧祭5月1日
神号は、文化2年(1805)から「高津大神宮」と唱え、明治維新後「高津神社」となって今日に及んでいる。
山尾神社(大字一色字山尾)
祭神は大山祇命で境内神社に八幡神社と高村神社がある。祭日は例祭が10月17日、祈年祭2月17日、新嘗祭11月17日である。
此のお宮は寛文9(1669)年12月に火災に遭い、御神体と豹犬だけが残り、他の神器旧記悉く焼失したので、由緒沿革を詳にすることが出来ないのは残念なことである。
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消えゆく山下校舎 1962(昭和37)年 ≪岡山県立津山高等女学校、岡山県立津山女子高等学校、岡山県立津山成美高等学校、山下校舎≫
1903(明治36)年の女学校開校以来、戦後の女子高等学校山下校舎と、美作の女子中等教育に大きく貢献したこれらの建物は、椿高下新校舎の完成を以て幕を閉じることとなった。
(資料提供:岡山県立津山高等学校)
小野のお通
江戸時代のはじめのころのことです。
高野押入村に、女の子が生まれました。名をお通といいました。小野は、母方の姓です。
お通は5才で、和歌をよみました。10才になると、布を織ることをおぼえ、12才で、むずかしい漢学の本がよめるようになりました。
そのうえ、とても美しい娘だったので、美作の国中で評判になりました。
16才になったときうわさを聞いた都のお金持ちが、およめにほしいともうしこみました。お通は気がすすまないようすでしたが、およめにいくことがきまりました。
鶴亀神社(2014年9月19日取材)
大字坪井下の鶴坂に「鶴亀神社」という小さな祠があって瘡類に御利益があるとされている。
このお宮については、昔、鶴之亟と妹の亀という兄妹があった。妹の亀は世にも珍しい美貌の持ち主であった。
亀が18才の時であった。亀に懸想していた中間其は或る夜鶴之亟の不在を見すまして、亀をかつぎ出した。山道にさしかかった時、亀は中間の耳を噛みきったので、中間は怒って亀を殺してしまった。
やがて、口の中に男の耳をふくんだ亀の死体は発見された。そこで鶴之亟は、耳の無い男を妹の仇として仇討ちの旅に出た。
人の運命の鍵をにぎる星の神様。長寿、息災、招福を祈願する。
わが国では室町時代から、日蓮宗において妙見信仰が盛んに行われるようになった。
光善寺内、通称妙見山の山頂にあったが、現在は山根稲荷の横に遷座されている。祭りは4月の第2日曜日行われている。(2014年6月27日取材)
2014年5月18日(日)阿波ふるさとまつりの会場を後にして、お夏伝説で有名な所を訪ねることにしました。途中山の中に入るのですが、はたして車でお夏さんのお墓まで行けるのかと不安に思いましたが、無事辿り着きました。山奥の静かな所でした。
お夏の墓は阿波川の上流、お夏が身を投げた深山渓谷の渕にある。阿波の外れであり、山深いところにあって阿波の中心部からは遠い。お夏の墓は今も深山渓谷の上流、阿波山のふもとにあって、野の花が時折添えられているという。
幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番
ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。
寺の背後には、スダジイ、アカガシなどの巨樹が点在する常緑広葉樹を主体として、落葉広葉樹を混交する原植生に近い自然度の高い樹林が形成され、寺院と一帯となって、すぐれた自然環境をとどめています。(文:岡山県看板より)2014年6月8日・9日取材