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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1125件の記事が見つかりました。

2015年 (二宮)高野神社の秋祭り

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 高野神社の秋祭りが2015年10月25日(日)執り行われました。午前中は神事が執り行われ、神社境内で巫女舞い、獅子舞などの踊りがありました。その後、宇那提の森(ムクノキ)まで神輿ご巡幸があり、神楽や獅子舞が奉納されました。また、午前11時から各町内から11臺の山車・飾り山車がウエストランドに集合し、美作大学沖縄県人会によるエイサーの踊り、作州銭太鼓の演舞等のイベントが開催された後、各だんじりはお旅所に集合し、傘鉾の御神幸が厳かに執り行われました。(2009年の秋祭りの様子はこちらから

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2015年 徳守神社の秋祭り

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 2015年10月25日(日)徳守神社の本祭りが真っ青な秋晴れの空の下で執り行われました。
徳守神社の祭礼は美作津山藩初代藩主森忠政が慶長9年(1604年)に同宮を再建して間もなく始まったとされている、400年の歴史を持つ祭りです。
 だんじりが集合した奴通りでは、津山鶴丸太鼓や田町こども奴行列の踊りを始め、津山情緒のおどりなどが披露されました。また、御神輿が到着し、獅子舞や巫女舞等が奉納されお祭は最高潮になりました。今年はお花善神社の御神輿が子供神輿として、氏子の子供たちによって担がれました。

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2015年 宵のまち歩き「徳守神社の文化財だんじり見学」

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2015年10月24日(土)「宵のまち歩き」(宵祭りを楽しむ会)が行われ行ってきました。
 約30名が参加し、文化財のだんじりや神輿・田町子ども奴の練習風景を見学してきました。
まずは城西浪漫館長でもあり、だんじり研究家で知られる延原誠さんがガイドを努めてくださり、徳守神社の大神輿に続き、祭りの安全祈願に訪れただんじりについて説明してくださいました。その後、田町こども奴行列の練習に立ち寄りました。最後に、宮脇町の休憩所でお接待を受けながら、再度、各町内のだんじりの説明を受けました。参加者の皆さんはほろ酔い加減で説明を聞き大満足でした。

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民芸社で津山牛の制作工程を見学!

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2015年9月4日(金)に画家の桜井由子さん津山民芸社の白石さんをお尋ねしてきました。今回は「民芸品が出来る様子を見てみたい。」と桜井由子さんのたっての希望で実現しました。同じ伝統文化をこよなく愛する芸術家同志。理解されにくい芸術文化の話や、後継者がいない等の話をしながら、何とかならぬものかとお話ししていらっしゃいました。

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2015年 大隅神社の秋祭り

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2015年10月18日(日)快晴の秋晴れの中、大隅神社の秋祭りが執り行われました。この大隅様が津山まつりの最初のまつりとなります。神輿も重要伝統的建造物群保存地区を通られるた時は、往古の昔を偲ばせてくれるようなロマン溢れる風景でした。また、今年はだんじり全11臺が出動して賑やかで華やかなお祭りとなりました。イーストランドに勢ぞろいしただんじりの中を進む大隅神社のお神輿に皆さんが大きな声で声援を送っていました。

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天石門別(あめのいわとわけ)神社(美作)

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 美作三宮といわれる天石門別(あめのいわとわけ)神社は、社殿の後に滝があることから滝宮とも呼ば れています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命(あめのたじかろうのみこと)の助けで 平定できたお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。社地には、籠殿、拝殿、本殿が整っているうえに、古代祭祀遺跡「盤 境」(いわくら)といわれる石積の塚も残っています。環境庁・岡山県(看板より)

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ロバート キャンベルさんを招き「曲水の宴」を再現。

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曲水の宴《動画1》《竹内津山観光協会長挨拶》《キャンベルさんのお話》《動画2
 流觴曲水ともいう。「觴」とは盃のこと。陰暦の3月上巳の日や3月3日に開催され、緩やかに蛇行しながら流れる水の岸辺に座して、流れ来る盃が自分の前に到達するまでに詩歌を詠ずるという風流な行事で、古代中国にその発祥があるという。水辺で行われていた禊ぎに関連する行事から、遊興の催事へと変化したといわれる。
 中国の事例では「衆楽雅藻」の序文でも「永和之蘭亭」と称されている如く、永和9年(353)3月3日に開催された曲水宴が、後に王羲之の書作品「蘭亭序」により広く知られることになった。
 日本にも古くから伝わっていたらしく『日本書紀』や『万葉集』にも曲水の宴を行ったことが記載されている。
 明治3年(1870)に衆楽園で行われた曲水の宴では、詩を成した者は盃を取り、できなければ飲めないという定めであったが、流水には盃だけではなく、こなもちや酒の肴も流されており、鴎の群れが波に揺れる様であり、また落ち葉が流れ下っていく様であったと描写されている。(文:公益社団法人津山市観光協会チラシより抜粋)

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三宝荒神社(高野本郷)

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三宝荒神社は津山市高野本郷にある三宝荒神社ですが、町内の方にお聞きしたら、詳しい事は解らないそうですが、長老からは「どこの町内にも荒神様があり子どもを守ってくれる神様だ。」と聞かされていたとのことです。毎年11月第二日曜日に神主さんと町内の方が約100人程集まり、賑やかにお祭りをされるそうです。また、お正月にはご近所の方がお祀りされているそうです。(2015年1月25日取材)

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紫式部の墓伝説(物見)

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苫田郡誌に載っていた「紫式部の墓」(2015年8月31日取材)
 「上加茂村大字物見の畑中に在り、周圍に石を累ね其の上に小き墓堂ありしが今は腐朽して在せず、址に椿樹を生す。傳(つた)へ曰ふ紫式部因幡より中國に至る時此の地に於いて歿(ボツ)せしを埋葬せし處(ところ)なりと。」(文:苫田郡誌より引用)

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鶴山八幡宮(八子の八幡さま)

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鶴山八幡宮は 往古より鶴山頂上にありましたが、慶長8年森忠政公美作国々主に任ぜられ、この山に築城するに当たり、先ず八幡宮を一旦久米郡除山(現在作陽高校のある覗 山)に遷座されましたが、慶長15年藩主森忠政公霊夢により、府城の西北に当たる現在の地、山北八子不知夜山(いざやま)に再び遷座、寛文9年二代藩主森 長継公荘麗極彩色の社殿を建立(現在の社殿がこれで国の重要文化財)社領50石を寄進、寛永12年社領30石を加増、元禄元年に三代長成公又社領30石加 増し崇敬するなど森家代々ゆかりの深い神社です。現在津山地方北部の大土産神です。(2008年取材2011年取材

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