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神実山 慈恩寺(大字桑下)旧久米町

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 当慈恩寺の所在する桑下村は延享4(1747)年、相州小田原藩大久保氏の領有となり、文化10(1813)年までその領有が続くのであるが、その間大久保氏の祈願所となり、大久保氏歴代の位牌が今もまつられている。
 又、某家保存の「美作庄久米北条郡」神実山慈恩寺由緒 の抜き書き によると、此の寺には 石頭山親道寺の前身があり、僧親道が住職として不動明王をまつっていた。此の石頭山親道寺を貞観2(860)年に慈覚大師が神實山慈恩寺として開基したものと解釈出来る一節がある。それから、天正4(1576)年江原兵庫助、同又四郎が本堂を再建した事情について次の様に書かれている。

「第21世快盛法印に至り國乱に遭遇し、堂宇外院兵火の炎に罹り、悉皆焼失し、只だ仏像のみ保存せしに第22世快紹法印専ら興隆に竭力し、伽藍を再建し、江原兵庫輔平久清、仝又四郎親次等之が大信者となり本願主となる。」とある。第21世快盛は永禄11(1568)年から天正3(1575)年まで八ヶ年当寺の住職で、其の在職中前後の出来事を拾ってみると、
 永禄9(1566)年、毛利氏により、さしもの尼子氏も滅亡、美作の諸城、毛利氏に属す。
 永禄10(1567)年8月、慈恩寺、天台宗を離れ真言宗となる。
 元亀2(1571)年、岩屋城宇喜多の手に帰し浜口家職之を守る。
 天正2(1574)年、毛利輝元、毛利左近太夫元尊、高津大神宮を再建する。此の頃、江原兵庫、油木北高山 城築城。
 天正4(1576)年、江原親次篠向城主となる。
といった風に作州全体としては毛利勢が優勢で、公文方面では高津神社の再建があるのに対し、宇喜多勢は岩屋城を奪取し、宇喜多の部将江原兵庫は高山城を築き、又篠向城主になったりする様に、毛利と宇喜多の二大勢力の鍔ぜり合いの場としての間において慈恩寺は兵火のためにに焼失したものと考えられる。(文:久米町史下巻より抜粋)2014年9月18日取材

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作陽誌の記載で、貞観二(860)年、第三代天台座主円仁(慈覚大師)によって創設されたもの。

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境内

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鐘楼

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客殿

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本堂、天正四年江原兵庫之助建立 銅又四郎建立 宝暦元年再建

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竜王堂