出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその1)
2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。今回が出雲街道歩きは最終回とのお話で50名の定員を大幅に超える78名の参加がありました。10:30分受付を済ませ、新庄村ふれあいセンターで美味しい昼食を取った後、12:00バスにて乢根(たわね)まで行き、四十曲峠を超えて来ました。レポートその1は四十曲峠~嵐ヶ乢まで。
2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。今回が出雲街道歩きは最終回とのお話で50名の定員を大幅に超える78名の参加がありました。10:30分受付を済ませ、新庄村ふれあいセンターで美味しい昼食を取った後、12:00バスにて乢根(たわね)まで行き、四十曲峠を超えて来ました。レポートその1は四十曲峠~嵐ヶ乢まで。
2017年4月5日曇りの千光寺の枝垂桜の様子です。この日のサクラの状態は住職に聞いたら、ほぼ満開だそうです。桜の木の根元には新しく和傘が置いてあり、これまたすてきな演出でしたが、時折突風が吹いて和傘がひっくり返るハプニングもありました。風が止んだ後に皆さんと一緒に撮影させていただきました。★2010年の様子です。
2017年4月5日に東一宮下河原公園付近のさくら並木を通ってみました。毎年、津山市内では一番早くさくらが開花する通りだと思います。満開の頃は、何とも言えない美しい光景を見せてくれます。
★2015年に撮った満開の頃の様子です。★
4月1日(土)10:00~10:30「津山さくらまつり」のオープニングセレモニーがありました。残念ながら今年は全国的にもさくらの開花は遅れているようで、津山でもまだつぼみの状態でした。ここ津山の桜は「さくらの名所百選」に選ばれているさくらの名所です。毎年オープニングを飾るのは「津山情緒保存会」のみなさんの踊りです。テープカットの後に入園された方先着1000名に「紅白餅」がプレゼントされました。
2017年3月29日に吉井川河川敷に於いて、津山やよいライオンズクラブが「ライオンズクラブ100周年記念」として、クラブ会員20名がお揃いウインドブレーカーを着用し、火ばさみと分別ゴミ袋を手に今津屋橋北詰から新大橋までの国道53号線の両サイドの歩道と吉井川河川敷(北側)で清掃活動を実施されました。その後、100周年記念として、津山市の観光に役立ててくださいと津山市観光協会・ボランティアガイドにポータブルハンズフリーマイク3台を贈呈されました。この日は手が凍えそうなとても寒い朝でしたが心ほっこり清々しかったです。
北側グリーンヒルズの一角、一番高くて展望の良い県道沿いにある。遺跡は土が高く盛り上げられ住居跡は見られないが石名鑑がある。碑文は下記の通り。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)
大田西奥田遺跡の縄文時代の住居跡だそうです。1993年の発掘調査により、直径3.2m・深さ25cmの竪穴式住居が発見されました。この住居跡は今から7~8千年前の縄文時代早期のもので、この時期の住居跡としてはきわめてめずらしいものです。又、この住居跡の近くからは落し穴もみつかり、この付近に集落が広がっていたものと思われます。このため遺跡の範囲を盛土のうえ遺跡広場として保存することにしました。(2016年4月17日撮影)
2016年3月22日、インターンシップで鏡野から津山市内の高校へ通っている高校生をお引き受けして城東地区を巡ってきました。感想に「普段はなかなか歩く機会のない城下町でしたが、ひとつひとつ丁寧に見たり、いろいろな方と話をしたりしながら歩くと、いつもは何気なく車から見ていた景色とは別の視点で見学することができました。また、何も知らずに歩くより、各地の説明を聞きながらめぐる城下町はひと味違う雰囲気でした。」と嬉しいレポートを残してくれました。
※平成25年8月7日、文部科学大臣から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
2017年2月19日のグリーンヒルズの散歩の様子です。この木は斜めに立っています。いろんな人がこのイスに座りながらお弁当を広げたり、犬の散歩の途中に座っていたり、この木はそんな人々を眺めているんだろうなと思いながらグリーンヒルズをぐるりと回ってみました。また、近くには「津山市立みどりの丘保育所」もオープン、近くに植えてある桜の木々も大きくなると周辺も様変わりするのかなと思いました。清々しくも、まだまだ風は寒い日でした。
明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
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2017年3月5日・6日津山市中心商店街で「おかみさんの雛まつり」がソシオ一番街であり行って来ました。
商店街の中では雛まつりコンサートや押し花教室などがありましたよ。今年は十三参り、二十歳、寿などの帯結びが展示されていました。また、それぞれの店舗でも昔雛の展示や、幼稚園生の折り紙で作った可愛いお雛様の展示もありました。