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出雲街道、勝間田宿「下山家古文書展」

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 令和2年10月27日(火)~11月8日(日)まで、勝央美術文学館町民ギャラリー1で「出雲街道勝間田宿 下山家古文書展」が開催されています。

はじめに
 出雲街道は、古代には畿内と出雲を結ぶ道として発展し、人々や文物が行きかう交通の要路でした。江戸時代になると参勤交代のため街道が整備され、休憩や宿泊の拠点として整備されていきました。
 勝間田は参勤交代の宿場町として整備され、美作七宿のひとつとして栄えていました。宿場内には、諸藩の参勤交代にあたって、大名や供の者が泊まった旅舎が二つあり、おもに津山藩主などが宿泊した下山本陣と、松江・勝山藩主などが宿泊した木村本陣がありました。今回の展示では、下山本陣と本陣を営んでいた下山家に焦点を当て、関連の古文書を展示いたします。

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第7回 作州忍者鶴山隊学習会開催!

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 令和2年10月14日(水)13:30~15:30津山市大谷にある「津山市中央公民館」にて、「第7回 作州忍者鶴山隊学習会」が執り行われました。
 「此処の処すっかり秋の気配に入りましたこの頃ですが、その後コロナも終息の気配もまだ見えずの昨今ですが、今年令和2年2月22日に於いての作州忍者鶴山隊創設一周年に於いては、隊員の皆さんのご尽力により執り行わさせて頂き改めてお礼申し上げます。有り難うございました。
 その後、6月の定期総会に於きましてもコロナの感染拡大せぬようにと学習会も延期続きとなっていましたが、この度今年度初めての学習会を行いたいと思います。」との隊長の挨拶があり始まりました。

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くらやさん経由でイナバ化粧品店へプチGo toトラベル。

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 とても気持ちの良い日になった2020年10月24日津山市沼にある「くらや」さんの駐車場であった「くらや工場祭」で、みたらし団子を買おうと急いでいたら、「〇〇さ~~~ん!」と大きな声がしたので振り返るとありゃママではありませんか。おなじみのB'zファンの皆さんもいて「こっちがええかな、いや、あっちかな!」と言いながら一緒に記念撮影してきました。その後、イナバ化粧品店に伺い、あまりにも良いお天気なので川崎八幡様へ車でお参りをしようとスタッフに道を尋ねたら「道が狭いで!」と言われどうしようかと迷っていたら「私が教えてあげる!さぁ~いこうや!」とママ。無事に到着しお参りを済ませ、境内で大きな深呼吸を始めたママ、よぼど気持ちが良かったのね!

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津山城下パークピクニック(社会実験)

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 2020年10月17日(10:00:~21:00)・18日(10:00~17:00)旧津山国際ホテル跡地(津山市山下98-2)で【津山城下パークピクニック】が行われました。城下パークピクニックは、津山市中心部に出現した公共の空きスペースにおいてwithコロナ・afterコロナを見据えた経済活動支援を行うとともに、欲しい未来の景色を市民自ら書き出し、より良い形で次世代に繋ぐための公共空間活用社会実験です。(城下パークピクニックは、津山デザインミーティング城下事業の関連プログラムです。)
※津山デザインミーティングとは・・・"次世代にどのような未来を繋ぐのか"をテーマに2019年度より継続している津山市中心部一帯の将来ビジョン形成を目的とした事業です。(文:現地パネル説明より)

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<古墳時代> いろいろな須恵器

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 市内から出土した須恵器です。日常的に食器として使われる杯から、古墳でしかみかけない提瓶、いわゆる珍品である取手のついた碗や子持ちはそうなど、一口に須恵器といっても用途やかたち、土や焼きの質がさまざまです。
★再発見
 同じ須恵器でも普通使いの品と特別に作った品とでは大きな違いがあります。杯蓋といった普段使いの須恵器では、器の面を整える際に胎土に含まれる小石が動いて出来た凹みをそのままにしていますが、子持ちはそうなど特別に作った須恵器ではそうした凹みがありません。最後まで丁寧に仕上げていたことがうかがえます。

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つやま町燈路~コロナに負けない町・城東!~

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 2020年10月17日(18:00~20:00)、城東地区(13町内会)の小路や空き地に手作り燈籠を並べ、町に明かりを灯すイベントが行われました。17日の朝は雨が降っていて、どうなる事かと心配しましたが、夕方には雨も止んで程よい気候となりました。並べる燈籠は牛乳パックを利用した手作り燈籠です。今年初めてのイベントで、地域おこし協力隊として城東地区に関わっている土山さんが、牛乳パックで灯籠をと呼びかけ、13町内の皆さんが協力して牛乳パック灯籠で小路を彩るイベントが盛大に執り行われました。何よりも良かったのは、町内の皆さんが明るい笑顔で「来年はもっと多く作るから、見に来てな!やるで!」と云われ、こんな前向きな言葉聞いたの今年に入り初めてでした。

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里山塾「きのこ鑑定会」(神代)

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 久米ロッジ周辺には、古代の蹉跌採集の遺構が残る様に、花崗岩や火山灰に由来する岩石が風化した赤土の上に形成された里山となっていて、燃料が石油・電気に取って代わられるまでは薪炭林としてアカマツやコナラが利用されてきた。
 現在コナラはその頃の名残の地際で複数本に分かれた株が多くみられるが、アカマツはマツ枯れの被害を受け表土の薄い場所以外では散見される程度となり、ソヨゴ等の雑木が茂ってきている。林床は落葉等の腐食が厚く積もった場所も多い。そのため当地で見られるきのこは、コナラ等のブナ科樹木と共生するものが多く観られ、この辺りで食用とされているアミタケやハツタケ等のマツ科樹木と共生するきのこは少ない。
 一方で腐植が増えた事で落葉や落枝を分解するきのこは多く観られ、倒木や切り倒された丸太にはサルノコシカケ類等の木材腐朽性のきのこが観られる。また、湿気が保たれている場所には冬虫夏草の仲間も数種類確認されている。(文:「宿毛山の自然観察」パンフレットより)(2020年10月11日撮影)

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高野本郷の国道53号線沿いに立っている石碑

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 高野本郷に立つ石碑ですが、通るたびに気になっていたので高野公民館の館長にお聞きしたら、「調べてはみたのですが、地区の方にお聞きしても解らなかった。」のだそうです。
 知人に聞いたら「享保5年を調べると、美作地方は作物が不作で8月に入ると、雨が多く田は青できとなり、見入りが心配されている矢先、9月13日(西暦 1720年 10月14日 )には大霜が降り、干害と霜害とにより大凶作となったため10月百姓の多くが津山に嘆願に出かけている。
 享保6年(1721)前年の干害、早冷えで、農作物は収獲皆無の状態になった。これらの凶作と関係があった石碑とも考えられますし、嘆願書を提出すると代表が責任を取らされ処刑されたことかもしれませんね。」とのことでした。(2018年10月24日撮影)

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そよ風に揺られているコスモス畑

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 津山市田熊の田熊橋のたもとに1枚の田んぼがある。決して大きくはないその田んぼにびっしりとコスモスが咲いていた。10月5日のほんの少し前にも通ったがその時はまだつぼみが多かったのが、今日は奇麗に咲き誇っている。那岐山も望めて素敵でした。(撮影:2020年10月5日・11日) 

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出雲街道を歩こう会「勝間田宿」

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2020年9月27日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
 出雲街道とは、播磨の国 姫路を発し、出雲の国 松江に至る約215kmの古道を言う。また、終点は松江を過ぎ、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国平定をしたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和狸に国譲りが行われ、朝廷より優遇されて、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。街道は人、物、文化を運ぶ役を果たし、その重要性は五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵し、同等の街道として発展しました。その後の街道も時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存し得いる道で合理性が高く、最も古い道を採用しています。今回は「出雲街道(東部Ⅱ)」よりの特別企画第一弾として、勝間田宿の会の主催で、3区を歩こう会を開催いたします。(文:案内資料より)

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