山田方谷家塾 牛麓舎跡(高梁市)
牛麓舎は、山田方谷が有終館の学頭(校長)として藩から与えられた邸宅で天保9(1838)年に開いた家塾です。
この地が、臥牛山(がぎゅうざん)の南山麓にあったので牛麓舎と名づけられました。方谷の学風を慕って入門するものが常に数十人あり、進鴻渓、大石隼雄、三島中洲、寺島義一など、のちに藩政に活躍した人材を輩出しました。
牛麓舎は、山田方谷が有終館の学頭(校長)として藩から与えられた邸宅で天保9(1838)年に開いた家塾です。
この地が、臥牛山(がぎゅうざん)の南山麓にあったので牛麓舎と名づけられました。方谷の学風を慕って入門するものが常に数十人あり、進鴻渓、大石隼雄、三島中洲、寺島義一など、のちに藩政に活躍した人材を輩出しました。
吉井川の清流のほとり、空を衝くように茶臼山がそびえ立つ。
備前軍記によると戦国時代に山城があったと記載され、県の史跡になっています。
四季を通じて楽しめる山頂に、城型展望台とともに高瀬舟舟宿を移築し、大型竪穴遺構を推定復元して人々に親しまれる公園にしました。
茶臼山城址展望台
建物は、茶臼山が山城跡であったことから「城」の形態を採ったもので、現存する同時代の山城の遺構に見られるいくつかの要素を基本に構築したものである。構造は、鉄骨一部鉄筋コンクリート造三階建、延床面積181.32m、高さ14.2m、最上階展望室は、街並みから約135mあり、これは超高層ビルのおよそ35階の高さに相当する。ここからは、吉井川、吉野川流域の景色はもとより、はるか北方の中国山脈も眺望することができる。
桁行2間、梁間1間半の切妻造、桟瓦葺の平屋です。一方の妻側に半間の庇(ひさし)を設けて戸口とし、他の三方は窓を大きくとって明り障子を立てまわす開放的なつくりとなっています。
臥牛亭は、江戸幕府14代将軍徳川家茂(いえもち)・15代将軍慶喜(よしのぶ)の2代の将軍に信頼され、2度にわたって老中を勤めた、藩主板倉勝静(かつきよ)が農民の苦労をしのぶため、御根小屋(藩庁)の一郭に農園を設け、明農圃と名付け自ら農耕をしたと言われています。さらにその一隅に小亭(12.4㎡)を建て、農耕の神々を祀り五穀の豊穣を祈りました。
明治6年(1873)に御根小屋の全建物と共に撤去されましたが、山田方谷はこれを惜しみ、対岸の蓮華寺境内へ、その後八重籬(やえがき)神社に移築され、臥牛亭あるいは明農亭として現在に至っています。平成22年に保存修理を実施しました。
昭和33年2月24日指定 高梁市教育委員会(文:現地案内板より)
今年も千光寺の梅の花や三州の花が満開の季節になりました。
2021年3月10日暖かな春の日に誘われて、城東地区にある千光寺に伺ってきました。山門で見かけたピンク色の可愛い梅の花です。青空に映えて可愛く咲いています。黄色い木はさんしゅうの木です。宮崎県の民謡「稗つき節」に「庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ〜」と歌われています。歌詞のなかの「さんしゅうの木」が山茱萸ではないかと言われています。(一方には山椒と言う説があります。)
(公社)津山市観光協会が、令和3年3月5日(金)~3月8日(月)10:30~13:30(事前予約制)で、コロナ禍により甚大な影響を受けている津山市内の生産者・事業者 を応援するため「飲食店の意地!生産者のこだわり!津山応援企画」来てみんちゃい!テイクアウトマルシェを開催。津山市内の飲食店が、津山産の食材を使った弁当(つやま和牛のステーキ、季節の野菜や山菜、トマトとベーコンのカレーなど)を事前予約販売しました。
また、当日は地元産新鮮野菜の販売やキッチンカーによる物販も開催されました。
開館にあたって
高梁市では、地域の将来展望を見据えた取組の一環として策定した「高梁市まち・ひと・しごと総合戦略」(平成28年1月)の中で、「心豊かな人材の育成」を目指すこととし、「郷土の偉人山田方谷の顕彰と啓発」を、その施策の一つに位置づけています。
具体的には、幕末期に財政破綻した備中松山藩を立て直した「山田方谷」の改革理念やその手法、そして多くの人々に感銘を与えた「思想」について、市を挙げて学ぶとともに、「山田方谷」の残した偉業を全国に発信し、「学びのまち」高梁を形成することとしています。
本館は、その目的達成に向けて、「山田方谷」の偉大な事績について、「儒学者への道」「備中松山藩の藩政改革」「教育への情熱」の三つのテーマを設定して、各種の歴史資料や解説パネルにより、わかりやすく展示・紹介しています。
また、市内はもとより県内各地の「方谷ゆかりの地」や、方谷に関する書籍・映像を紹介し、「山田方谷」に関する情報を発信する拠点施設として整備しました。(山田方谷記念館)
作州忍者鶴山隊創設2周年記念講演(第9回学習会)
終息の気配のないコロナウイルスに阻まれ、作州忍者鶴山隊活動、学習会も延期続きとなりましたが、令和3年2月22日(月)13:30~15:30 第9回の学習会が津山市中央公民館大会議室で行われました。第9回は、私達津山とも関係の深い「元禄・赤穂事件」と題して、四十七士・茅野和助の後裔でもあり赤穂事件の真相研究に携わっておられる「茅野大治」氏を講師にお迎えして実施されました。
風情あふれる旧出雲街道「城東町並み保存地区」のひな祭りです。
代々受け継がれてきた歴史のある雛人形や豪華な飾りはそれぞれのご家庭でご自慢の品々でしたが、生活様式の変化によってかつてのような「雛まつり」を祝うご家庭が少なくなりせっかくの素晴らしい「雛飾り」の多くが仕舞われたままになっています。そんな、「お雛さま」を玄関先やお店のショーウインドウに飾って皆さんに見て頂き一緒にお雛まつりを祝う、そして雛まつりを楽しみながら街を巡り城下町津山の歴史や文化を感じて頂くのが「津山城下町雛めぐり」です。
<城西地区>今年も雛まつり(3月3日~4月3日まで)があり2日目に伺ってきました。
平日でもあり、雲行きもあやしくなってきましたが、通りに面した吊るし飾りがとても素敵でどうしても見たくて巡ってきました。毎年、飾られているお宅が増えているように感じられます。また、各家の前に飾られた色とりどりの花が通りを一層華やかに飾っています。
期間中は、オーガニックコーヒー/紅茶や、ちらし寿司の販売(3月7日・21日のみ)もあるそうですので、この機会に城西地区を散策しながら雛めぐりをお楽しみください。
ソシオ・一番街で<中心商店街>おかみさんの雛まつりが、3月3日~7日まで開かれています。
ソシオ・一番街特設会場では、ずらりと並んだ雛壇に飾られたお雛様が出迎えてくれます。
3月6日・7日(10時~16時)ソシオ一番街で手づくりマルシェが、また、3月6日(11時~)にはガラポン抽選会があり楽しめます。
実は、元来「磯遊び」は、ひな祭りに海に出かけて遊ぶことをいいます。地方によっては山に行くところもありますが、海や山にご馳走を持って行き、遊ぶのが昔の節句の過し方だったようです。ひな祭りに、はまぐりがつきものなのは磯遊びから来ていると言われています。