明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)
明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)昭和43年5月1日指定
明治3年(1870)津山藩の目木触・河内触有志の発起により両触の郷学として、早川代官ゆかりの地に創設されました。
備中聖人と称された山田方谷を顧問に、方谷の門人を講師に迎えました。明親館の名は、「智仁義徳武に親しむ」(親)ことによって「ひらけた国にする」(明)の意味で、方谷自ら命名しました。
明治6年(1873)に血税一揆の焼き討ちにあったことなどから、廃止されました。
平成14年3月1日 真庭市教育委員会(文:現地立て札より)
山田方谷先生ゆかりの地 明治3年(1870)、「大学」を講義
山田方谷先生ゆかりの地 明親館跡
金谷農村公園
真庭市指定文化財 早川代官遺愛碑 昭和38年5月1日指定
天明10年(1787)久世代官所の第20代代官として、この地で仁政を施した早川八郎左衛門正紀が惜しまれながら、久世を去って7年後の文化7年(1810)に江戸の私邸で病没しました。
その知らせを受けた美作・備中の人々は大いに悲しみ、早川代官の三回忌には、有志により、ここ大旦こうげに「遺愛碑」が建立されました。
碑文は、菊池正因が撰文し、高島青が揮毫しています。平成14年3月1日 真庭市教育委員会
(2021年2月21日撮影)