美作の大庄屋「青井家」

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青井家 青井平内 勝南郡岡村 出石藩
大庄屋まで
 青井家の家伝によれば、赤松円心に仕え、今井姓を名乗っていたが、母方の青山氏の姓とあわせ青井に改姓したという。のち、宇喜田直家に従い、天正5年(1577)岡村に移住したという。岡村など8か村が出石藩領になった延享4年(1747)、青井平内は明見村古田氏とともに大庄屋に任命された。平内の父は祠に祀られている道林禅定門という。
大庄屋として
 青井平内の子軍太は、寛政10年(1798)、岡村絵地図を作成している。出石藩は、岡、為本、明見、入田、金井、中原、百々、周佐8か村を支配し、青井氏、古田氏が管轄した。

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所在地
 岡村は、勝間田宿の東隣にあり、村内を出雲往来が通る。南には滝川が流れている。岡村は、森藩改易後、元文4年(1535)大阪城番丹羽領、寛保2年(1742)幕府領、延享4年(1747)出石領、天保7年(1836)幕府領、同9年(1838)津山領と変遷をしている。杉田玄白に指示した小林令助は、後に出石藩医になった。岡村で医業を営み、嘉永4年(1851)没した。

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旧屋敷(写真提供:青井様)

屋敷・墓地
 屋敷は、岡集落の中央部にあり、新築した住居に子孫が住む。宅地内は細やかに手入れされ、再建された門や蔵が往時を忍ばせている。墓地は背後の山麓にあり中国自動車道を越えて行かなければならない。多くの墓石や五輪塔が三段にわたって残っている。菩提寺は真言宗真福寺(勝央町勝間田)である。
子孫
 明治になり、青井新十郎が岡村戸長を勤めた。
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(撮影:2020年2月23日)