美作の大庄屋「中島家」(高野本郷)

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中島家 中島九郎兵衛 東南条郡高野本郷村 森藩
大庄屋まで
 中島氏の記録は、鎌倉時代末に中島隆家が高野郷の地頭職であったことに始まる。康永3年(1344)に出された足利直義の安堵状から中島隆家が元徳2年(1330)息子幸家に高野郷の地頭職を譲ったことがわかる。その後、信長の中国攻めに従い、天正6年には羽柴秀吉の配下となり、高野・広野・林田・田中・新野などで1150貫文の知行を安堵された。秀吉の三木城攻めに従軍している。高野城に居城したという。九郎兵衛が森藩の大庄屋を勤めた。
大庄屋として
 九郎兵衛のあと六郎兵衛・五郎兵衛が大庄屋を勤めたが、詳細は不明である。享保年間本家は絶家した。一宮中島家はここから分家した。

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所在地
 高野本郷村は、古代の高野郷の名を継ぐものであり、加茂川右岸の豊かな田園地帯である。押入上村より野村へと因幡往来が通る。

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屋敷・墓地
 屋敷地は、加茂川の右岸にあり、子孫が居住している。墓地は屋敷近くにあり、享保年間以前の墓石が建つ。菩提寺は天台宗永案寺(津山市高野本郷)である。
子孫 
 近くには、一族が住んでいる。
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)

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中島家墓地

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堂宇