直 頼高 文学碑(文化センター)
「おのつから あゆみもおそくなりにけり さくら花さく のべのかよひち」 直 頼高
美作三歌人の一人とされる頼高(安政6年~大正8年)は上之町、大隅神社の神主として梅の木に囲まれた「梅の下舎」で美作歌壇を指導、歌誌「水甕」主宰、尾上柴舟に歌の手ほどきをした。秋久家に老梅が残る「梅の下舎」跡がある。
薬研濠北
「おのつから あゆみもおそくなりにけり さくら花さく のべのかよひち」 直 頼高
美作三歌人の一人とされる頼高(安政6年~大正8年)は上之町、大隅神社の神主として梅の木に囲まれた「梅の下舎」で美作歌壇を指導、歌誌「水甕」主宰、尾上柴舟に歌の手ほどきをした。秋久家に老梅が残る「梅の下舎」跡がある。
薬研濠北
2014年10月8日に津山老人福祉センターに集合して、「平成26年度 津山歴史講座 第7回(現地見学)大庄屋巡り―美作東部(加茂川流域)―美作の歴史を知る会 宮澤靖彦・多胡益治」があり参加して来ました。最初に野村の保田家に伺う為細い道路に入る手前に塞の神様が祀られていました。
塞の神
塞の神は、「才の神」ともかく。もと境の神である。村の境や峠等に祀り、外部から侵入する悪霊を防ぐのが目的だった。
この塞神三注は一般のそれと異なり、排仏毀釈の運動と関連がある。時代の動きに敏感で、国学に造詣の深い保田定静氏は地蔵を移し塞神を祀った。 塞神三注とは、久那斗神、まる岐神、道の神をいう
エノキ跡/勝北町市場/町文化財(史跡)平成2年9月19日指定
西村の県道勝北・三浦線のかたわらに、町指定文化財(天然記念物)のエノキがあった。
樹齢200年あまり、樹高13m、この地方特有の広戸風の吹きつける方向の枝は強風にすくみ、その姿は、まさに広戸風の生き証人といわれる。
永年の風雪に耐えたエノキも、平成2年9月19日に発生した広戸風のため倒れる。「西村のエノキ」と呼ばれて多くの人に親しまれ、幼い日の通学や遠足、奥仙の草刈り、薪とりなど、かずかずの懐かしい思い出を抱かせてくれた木であった。
人びとの心に、いつまでも残る木エノキを、後世に語り伝えたい。(文:『勝北町の文化財と石造美術』より)
植月城跡 勝田郡勝央町植月中字小山(岡山の中世城館跡)
永正九年(1512)宮山城と改名する。10㍍余りの高台のうえにあり、本丸は一三間×一三間、二の丸は一八間×一八間、北側に約一間半の築地が現存する。
菅原満佐の四男公興が宝治2年(1248)、植月、広野の地頭職となった時築城したといわれ、植月一族の本城である。城主は公興ー安嗣ー重嗣ー重佐ー重長ー重可ー可直ー佐豊ー基可ー重直ー重豊ー重政ー基佐ー能佐ー佐峻ー佐教。
四代重佐は菅家一族とともに京都六波羅討伐に出陣戦死す。この功で大正5年正五位の追賞をうける。(城跡に記念碑が立つ)永正9年城主基佐は、日吉神社を現在地に遷座し、本城も宮山城と改名する。三星城に味方し出陣するも、城主佐教をはじめ多くの一族戦死する。城は岡豊前守が接収、城主となる。毎年4月8日、植月一族城跡に集まり、先祖供養を盛大に行っている。(文:『勝央町誌』より)(2018年8月18日撮影)
日本原神社の前にあり、建碑は弘化2年(1845)もとは、国道53号線の南側に建てられていたが、のちに北側に移され、国道改修のため、現在のところに移転した。
芭蕉150年忌あたる天保14年(1843)に、日本原に芭蕉句碑を建てようと志していた、俳人有元渕龍(山形)が没したので社友亀由等が、其の意志を継いで建てた碑である。
碑面に刻まれた句は、芭蕉が那須野で詠んだものであるが、日本原野の景観が、この句意に符合するところから、選ばれたといわれている。(文:『勝北町の文化財と石造美術』より)
武蔵神社
武蔵生誕地碑前から因幡街道を200㍍上った右側、字天王山にある。 郷土の生んだ剣聖「宮本武蔵」」を祀る神社として、昭和46年(1971)4月、武蔵奉賛会の趣意に賛同した全国1300余名の人たちからの浄財530万円をもって建立した。
拝殿の正面上部の「武蔵神社」の額は、彫書芸術の創始者である彫無季謹作書のものである。また、社頭には、武蔵が好んだ唐の詩人白楽天の詩の一節「寒流帯月澄如鏡」を刻んだ「戦気の碑」が建てられている。
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。八幡神社から続いて向かったのは、西賀茂神社(杉さま古墳群・ナナミノ木)→苫勝霊場78番と石造物群→成名公民館駐車場までです。
(2017年8月20日撮影/津山駅前国道53号線沿い)
西東三鬼
明治33年(1900年)、津山市生。昭和37年(1962年)没。
新興俳句の旗手として活動の先頭に立つ。山口誓子を擁し「天狼」を創刊し、初代編集長を務める。自らも「激浪」「断崖」を主宰した。毎年4月1日には墓碑のある成道寺で、門下生や由縁の人々によって三鬼忌が行われている。また、津山郷土博物館には彼の遺品や遺墨などが集められ公開されている。
「うつくしき五郡の山に護られて 学ぶ少女はいみじかりけれ」
明治2年、大阪府生。昭和17年没。明治・大正のロマン主義歌人。歌集「みだれ髪」を出して有名になった。「明星」の主宰者、与謝野鉄幹と結婚。人間解放の歌風で明星派の代表歌人。昭和8年に「美作学園」で講演した。(文:城下町津山文学碑めぐり資料より)(2018年5月16日撮影)
秋風や城といふ名に石枯るる(津山文化センター東 薬研濠東)
明治18年、岡山県苫田郡生、昭和27年没。昭和20年、東京から疎開し津山市田町に住む。師の渡辺水巴没後、俳誌「曲水」の二代目主宰者となる。句風は穏やかで曇りなく、絵画的な美しさを持つ。(文:津山文学碑めぐり案内)(2015年10月25日撮影)