武蔵神社と宮本武蔵の墓(美作市)
武蔵神社
武蔵生誕地碑前から因幡街道を200㍍上った右側、字天王山にある。 郷土の生んだ剣聖「宮本武蔵」」を祀る神社として、昭和46年(1971)4月、武蔵奉賛会の趣意に賛同した全国1300余名の人たちからの浄財530万円をもって建立した。
拝殿の正面上部の「武蔵神社」の額は、彫書芸術の創始者である彫無季謹作書のものである。また、社頭には、武蔵が好んだ唐の詩人白楽天の詩の一節「寒流帯月澄如鏡」を刻んだ「戦気の碑」が建てられている。
武蔵神社参道案内
武蔵が好んだ唐の詩人白楽天の詩の一節「寒流帯月澄如鏡」を刻んだ「戦気の碑」
武蔵神社の拝殿内部 この額は彫無季の額
本殿 佐々木小次郎外60余名の供養塔
独行道
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依枯の心なし
一、身をあさく思世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思ひよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅におゐてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみすることなし
一、兵具は格別余の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思ふ
一、老身に戝宝所領もちゆる心なし
一、佛神は貴し佛神をたのまず
一、身を捨てても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
正保二年五月十二日
新免武蔵玄信
寺尾孫之亟殿
武蔵の墓
武蔵神社の裏に五輪塔が四基、一石五輪が一基ある。墓地の奥に、武蔵の祖父にあたる平田将監の墓がある。その右手に、無二斎夫婦の墓が立っており、自然石の正面に「真源院一如道仁居士 光徳院覚月樹心大姉 武蔵父母也」と刻まれている。その左側の高さ一六五㌢・周囲一三〇㌢の石碑に「賢正院玄信二天居士 宮本政名武蔵之碑」と刻まれ、熊本の弓削の里より分骨したものと伝えられている。
宮本武蔵の墓 武蔵の両親の墓
(2018年5月27日撮影)(文:「武蔵の郷めぐり」パンフレットより)