ふるさと資料館「温故懐館」春の特別展
恒例のふるさと資料館「温故懐館」春の特別展(2017年5月1日~3日、午前9時~午後4時まで)が津山市総社であり拝見してきました。(2013年の様子)
家具・書や絵など、江戸時代から昭和の作品を約10,000点展示されています。今回はそれに加えて、郷土の画人「伊賀大年・田外白鷺・押柄憲璋・押柄江春」の作品も展示されました。
恒例のふるさと資料館「温故懐館」春の特別展(2017年5月1日~3日、午前9時~午後4時まで)が津山市総社であり拝見してきました。(2013年の様子)
家具・書や絵など、江戸時代から昭和の作品を約10,000点展示されています。今回はそれに加えて、郷土の画人「伊賀大年・田外白鷺・押柄憲璋・押柄江春」の作品も展示されました。
2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。
第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」
「山田純造生誕180周年記念 海田の医家山田家の人と学問」会期:11月19日(土)~平成29年2月19日(日)
山田家は、海田(現在の美作市)で代々医業を営んできた家系です。医家として6代めにあたる純造は、大坂にあった華岡流の医塾合水堂で学び、天然痘予防の牛痘種痘の普及にも尽力しました。山田家の医院「仙巌堂」には、治療を求める人たちが雲が湧くように集まったといいます。山田家には、代々収集された医学書や医療器具が伝来しており、これらは華岡流という蘭漢折衷の医学を習得した医師の学問や医療活動の状況を知ることができる、大変貴重な資料です。
本展では、本年、純造が生誕180周年を迎えるのを機に、山田家の人々とその医業をご紹介します。蘭方(西洋医学)を学び、地域の医療に尽くした医師たちの活動を、ぜひご覧ください。
(文:津山洋学資料館)(2016年12月3日撮影)
【つやまギャラリーⅤ】津山洋学資料館が所蔵する浮世絵のうちから美人画を中心に展示。喜多川歌麿や三代目歌川豊国らが描いた、大江戸美女の艶姿が、2016年12月2日~8日まで、登録有形文化財の城東むかし町家(旧梶村家住宅)で展示されました。衣装や髪型、髪飾りなど色鮮やかな美しい江戸時代の遊女や町娘が生き生きと描かれていて往時を忍んで見学してきました。(2016年12月7日撮影)
2016年7月2日(土)~9月25日(日)「言の葉の海へ-オランダ語翻訳に挑む-」が津山洋学資料館で開催されています。
江戸時代の日本は厳しく海外との交流を制限しており、ヨーロッパ諸国の中では唯一オランダとだけ交易を行っていました。そのため西洋の学術や文化はオランダ船によって長崎の出島にもたらされました。蘭学者たちは、西洋の学問を学ぶため、オランダ語の翻訳に挑みました。そして新しい知識を得て、まだ日本にないモノや概念には、新しい言葉を作りだしました。(2016年7月17日撮影)
津山洋学資料館 春季企画展
日本とロシア-箕作阮甫・秋坪の対露交渉- 会期:2月20日(土)~6月19日(日)
◆嘉永6(1853)年、日本との開国交渉を行うため、ロシア海軍提督プチャーチンが長崎に来航しました。その対応使節の一員として津山藩医箕作阮甫が派遣され、外交文書の翻訳や外交交渉における助言などを行っています。また、その養子秋坪は幕末に2度ロシアを訪れ、国境交渉に携わりました。今回の企画展では2人の業績を中心に、日本とロシアのかかわりがご紹介します。
◆主な展示資料...「北蝦夷地異国船渡来御届書」「魯西亜人之図」「別段風説書」「長崎表江ヲロシア舟渡来之事」「魯西亜蒸気船之図」「魯西亜書簡和解」など(文:津山洋学資料館)
大石神社の境内にある義士木像法安殿なのですが、ここには神崎与五郎と茅野和助の木造があるとお聞きし、神崎与五郎や茅野和助がどのような姿だったのかを知りたいと思い訪ねてきました。
説明板によると、「大石神社境内には四十七士の討入り関係遺品、浅野家・大石家に伝わる宝物を展示している義士宝物殿・同別館、義士自刀二百五十年を記念 し当代一流の彫刻家による浅野長矩像を始め四十七義士の木像を納めた義士木像法安殿、大石内蔵助邸長屋門・庭園の四ヶ所が資料館として拝観できる。」だそうです。
郷土資料館の向かいの清友家に入ってみました。築200年を越える清友家は勝山町並み保存地区にあり、醤油醸造業を営んでいた家だそうです。入口には、醤油を船着き場まで運んだレールが、まだ残っていて驚きました。お家の方が大切に守って来られているのが伝わってくる清水家のお雛まつりでした。(2016年3月5日撮影)
津山城(鶴山公園)は、春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れます。桜の季節は、ぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。 また、新緑の頃の藤、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、 本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。そこで、往時を忍んで天守閣の特集をしてみました。『津山城の石垣についての取材はこちら』
『津山城(鶴山公園)の過去の取材はこちら』2015年4月2日津山城(鶴山公園)内の銅版を撮影(複製写真:弥生の里文化財センター許可済み)