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取材記事内を検索ワード「資料館」で検索した結果,143件の記事が見つかりました。

狩野 久先生と巡る飛鳥の旅(奈良)

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2016年4月24日、「狩野 久先生(奈良文化財研究所名誉研究員)と巡る飛鳥の旅」と題して、奈良県明日香地方を訪ねてきました。朝7:00津山市役所⇒10:30飛鳥資料館⇒11:30甘樫丘⇒12:30あすか野(昼食)⇒13:30石舞台古墳⇒14:30伝飛鳥板蓋宮跡⇒15:30飛鳥寺⇒16:30藤原宮跡⇒20:00津山市役所着で盛りだくさんの行程でした。
 今回は、狩野先生がご案内くださるとのことで、大勢の皆さんが参加されていました。
飛鳥資料館では、第一展示室で、高松塚古墳をはじめとする古墳の出土遺物、日本最初の水時計である水落遺跡や飛鳥寺・川原寺など、飛鳥を代表する遺跡の出土品と模型が展示してありました。
また、第二展示室の山田寺東回廊は、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺よりも古く、1,000年以上もの間地中に眠っていた建築部材を使い、保存処理に14年という歳月がかかったという記憶に残る回廊でした。

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和時計 ー西洋の技、日本の心ー

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 平成29年度津山洋学資料館夏季企画展「和時計 ー西洋の技、日本の心ー」いかにして日本は近代国家と成り得たのか?、洋学と共に日本の近代化を支えた機械技術の源流を探る。会期:2017年7月1日(土)~9月24日(日)
 日本にもたらされた西洋の機巧(からくり)としては鉄砲が有名です。その鉄砲と同時期に時間を測る機会ーー時計も日本に紹介されました。当時の職人たちはゼンマイや歯車、カムといった西洋からもたらされた仕組みを改良し、また、日本の不定時法に合わせた、どこにもない独自ののものーー和時計を作り上げたのです。
 洋学という江戸時代に日本に移入された西洋の科学知識と、和時計に象徴される機械技術、これらは明治以降の近代化を支えた両輪といえるでしょう。(文:津山洋学資料館)(2017年8月30日撮影)

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百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ー

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 司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。

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宇田川興斎旧宅跡(北町) 

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宇田川興斎旧宅跡 未指定(史跡) 北町8番地の7 
 津山市北町の城北橋の西詰の一角に津山市教育委員会が建てた解説板がある。ここが箕作家と並ぶ津山洋学のもうひとつの柱、洋学者宇田川家の四代目宇田川興斎の屋敷であったところである。この場所は、土地所有者本島大道より津山市が寄贈を受け、平成9年10月に整備された。興斎は文久3年(1863)から明治5年(1872)までのあしかけ11年間津山に住んでいた。この北町の屋敷の後、林田町に家を借りて住んでいるが、その場所は不明である。当時は明治維新前後の激動の時代であり、津山にいる間、興斎は東奔西走し、公私ともに多忙な日々を過ごした。

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ふるさと資料館「温故懐館」春の特別展

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 恒例のふるさと資料館「温故懐館」春の特別展(2017年5月1日~3日、午前9時~午後4時まで)が津山市総社であり拝見してきました。(2013年の様子)
 家具・書や絵など、江戸時代から昭和の作品を約10,000点展示されています。今回はそれに加えて、郷土の画人「伊賀大年・田外白鷺・押柄憲璋・押柄江春」の作品も展示されました。

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おもてなしイベント(文化センター会場)

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2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

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出雲街道を歩く(河辺から津山城下)

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第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」

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山田純造生誕180周年記念 海田の医家 山田家の人と学問

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 「山田純造生誕180周年記念 海田の医家山田家の人と学問」会期:11月19日(土)~平成29年2月19日(日)
 山田家は、海田(現在の美作市)で代々医業を営んできた家系です。医家として6代めにあたる純造は、大坂にあった華岡流の医塾合水堂で学び、天然痘予防の牛痘種痘の普及にも尽力しました。山田家の医院「仙巌堂」には、治療を求める人たちが雲が湧くように集まったといいます。山田家には、代々収集された医学書や医療器具が伝来しており、これらは華岡流という蘭漢折衷の医学を習得した医師の学問や医療活動の状況を知ることができる、大変貴重な資料です。
本展では、本年、純造が生誕180周年を迎えるのを機に、山田家の人々とその医業をご紹介します。蘭方(西洋医学)を学び、地域の医療に尽くした医師たちの活動を、ぜひご覧ください。
(文:津山洋学資料館)(2016年12月3日撮影)

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つやまギャラリーⅤ 浮世絵 江戸の美人たち

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【つやまギャラリーⅤ】津山洋学資料館が所蔵する浮世絵のうちから美人画を中心に展示。喜多川歌麿や三代目歌川豊国らが描いた、大江戸美女の艶姿が、2016年12月2日~8日まで、登録有形文化財の城東むかし町家(旧梶村家住宅)で展示されました。衣装や髪型、髪飾りなど色鮮やかな美しい江戸時代の遊女や町娘が生き生きと描かれていて往時を忍んで見学してきました。(2016年12月7日撮影)

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津山洋学資料館夏季企画展「言葉の海へ」

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2016年7月2日(土)~9月25日(日)「言の葉の海へ-オランダ語翻訳に挑む-」が津山洋学資料館で開催されています。
 江戸時代の日本は厳しく海外との交流を制限しており、ヨーロッパ諸国の中では唯一オランダとだけ交易を行っていました。そのため西洋の学術や文化はオランダ船によって長崎の出島にもたらされました。蘭学者たちは、西洋の学問を学ぶため、オランダ語の翻訳に挑みました。そして新しい知識を得て、まだ日本にないモノや概念には、新しい言葉を作りだしました。(2016年7月17日撮影)

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