新型コロナウイルスの終息を願ったサプライズ花火
2020年7月7日(火)七夕の日、津山市大田のグリーンヒルズ津山で、新型コロナウイルスの終息を願ってサプライズ花火が打ち上げられました。ほんの少し雰囲気だけですがアップしてみます。この花火は、津山青年会議所が見物客が密集するのを防ごうと、事前の告知なしで行った花火です。この他、真庭市、美咲町、奈義町でそれぞれ花火が打ち上げられたそうです。
2020年7月7日(火)七夕の日、津山市大田のグリーンヒルズ津山で、新型コロナウイルスの終息を願ってサプライズ花火が打ち上げられました。ほんの少し雰囲気だけですがアップしてみます。この花火は、津山青年会議所が見物客が密集するのを防ごうと、事前の告知なしで行った花火です。この他、真庭市、美咲町、奈義町でそれぞれ花火が打ち上げられたそうです。
久米町をほゞ東西に走る出雲街道の西の端、大字坪井上の追分(正確には真庭郡落合町の地内である=今は真庭市)に大きな六角柱の道しるべがある。昭和47年6月16日、落合町の指定になって保護されている。今では土に埋もってわからないが、礎石もあるそうである。
此の道しるべをたてることを主唱し、骨を折った人達は、全員とまではゆかない迄も、殆ど大部分の人がその姓名からして久米町の人達であると言ってもよいのではあるまいか。
六角柱の各面に目標の神様と、その神様までの里程が刻まれていることは図の通りである。文久三(1863)年の建立である。(文:『久米町誌下巻』より抜粋)(2019年6月29日撮影)
2020年6月19日の曇り空でしたが、奈義町高円591-1にある山野草公園にアジサイの花を求めて行ってきました。橋の上から覗くことはあったのですが、下まで降りて散歩するのは初めてでした。
山野草公園は、那岐山麓一帯に自生している山野草を保護し、種を保存するために公園内に移植されたものです。約3.4haの園内には、サクラソウ・エビネ・サギソウ等の山野草20種類、約2万本が植栽されているそうです。行ってみると上から眺めるのとはまた雰囲気が違っていてとても広く感じました。それにアジサイの花が沢山植えてありましたし、つつじやなでしこ等の花が咲いていて良かったです。
2019年2月27日に「ザ・シロヤマテラス津山別邸」がオープンしました。そのオープニングに行ってきました。ホテルニューアワジグループが岡山県で初めて運営するホテルです。ホテルは地元市民等に愛され交流人口の増加や新たな観光客の誘引など、まちづくりの一翼を担い、賑わいを創出する拠点として期待されます。
津山市北部の阿波(あば)にあるキャンプ場で、氷ノ山後山那岐山国定公園にもなっています。
阿波森林公園内には、バンガロー、テントサイト、オートキャンプサイト、炊事施設、トイレシャワー棟、あずまやなどが整備されています。公園付近には放流したニジマス釣り・つかみ取りが楽しめる「渓流釣り場」があり、そこでは天然アマゴも生息しており、釣りの穴場となっています。(2020年6月23日撮影)
津山市沼にある的場公園で、高専橋から柳通りから1本東の道を北に向かっていくとほどなく公園が見えてきます。住宅街の中にあるので静かです。春にはさくらが咲いて奇麗な公園です。公園の周りには可愛いお花が植えられていて思わずほっこりしました。(2020年3月23日撮影)
2020年2月11日の冬の「奈義町総合運動公園」です。
ピンと張りつめた空気の中で、雄大な那岐連邦が見渡せる環境の良いところにある奈義町総合運動公園を訪ねてきました。前回も秋に訪ねましたが、何度でも訪ねたい公園でもあります。子ども達にとって思いっきり遊べる環境の良いところにあります。また、園内には、奈義海洋センターがあり、そのすぐ脇には立派なスケートボード場があります。スケートボードで遊びたい方には穴場です。
2020年4月5日津山駅の南側にある大隅公園まで行ってきました。ここは桜の花と列車のコラボを撮影しに何度もお邪魔した公園です。砂場と鉄棒しかありませんが、すぐ隣が津山駅なので目の前で列車を見ることができます。(2016年津山まなびの鉄道館の記事)
津山市川崎にある兼田児童公園に出向いてきました。ここにはイナバ化粧品店にもほど近く何度か来ていましたが、今回は南側入り口から入りました。さっそく滑り台や遊具が見えてきました。そしてもう一つ、公園内には兼田荒神社が祀られています。(2020年6月7日撮影)
山田純造さんの生家をお尋ねしてきました。現在は子孫で現役医師の山田信夫さん(中島病院で名誉院長)に色々とお聞きしてきました。築200年以上経ったこの家は色々と直しているとのことですが、柱や梁は昔のままで風情がありました。また、お庭の庭木は綺麗に手入れしてあり、伝統を守ることは大変な努力がいることを改めて感じました。
山田家は、海田(現在の美作市)で代々医業を営んできた家系です。医家として6代目にあたる純造は、大坂にあった華岡流の医塾合水堂で学び、天然痘予防の牛痘種痘の普及にも尽力しました。山田家の医院「仙巌堂」には、治療を求める人たちが雲が湧くように集まったといいます。
(2016年12月3日山田純造生誕180周年記念の講演より)