大佐神社(新見市大佐)

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方谷の母の生家のすぐ近くにあり、4歳の時の板額「つる」が奉納されている。(記念館で展示中)

 大佐神社は6,805㎡の広大な社叢に囲まれて鎮座している。本殿は大同3年(808)に造営され、江戸末期に再建されたものである。
 社屋は本殿拝殿の二棟で、本殿は三方千鳥破風造りで、蟇股内に十二支を彫刻し、色鮮やかな鶴を配した手のこんだ彫刻は参拝者の目を楽しませる。
 広大な社叢は県下でも屈指のものであり、鳥居から拝殿へ通じる参道200mには巨木杉並木が300本を数え、100有余本は樹齢数百年で、昼なお暗い参道は、まさに神秘的な静寂さを漂わせている。
大佐町指定重要文化財:大佐神社(本殿・社叢)/指定:昭和39年8月30日(大佐町教育委員会)

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山田方谷(1805~1877)は、明治3(1870)年、長瀬(高梁市中井町)から亡き母のふるさとである小阪部(新見市大佐)へ住居を移し、小阪部塾を開きました。新しい時代の教育に情熱を捧げるとともに、祖父母の墓を守ったのです。小阪部での暮らしは、幕末の動乱の時代とは違い、穏やかなものであったようです。その生活の中で目に映る景色や自分の気持ちを詠んでいます。明治10年6月26日、73歳を一期として、小阪部塾で家族らに見守られ静かに永眠しました。ここ新見市大佐は、山田方谷先生終焉の地であります。(文:「山田方谷先生 小阪部移住・開塾150周年記念建碑」より)

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大佐神社奉納額漢詩(明治4年8月19日)
小阪部寓居。與諸生同賦。(探韻)    小阪部寓居。諸生と同に賦す。(探韻)
 訳文:山峡の市場を見学して歩いた。静かに暮れてゆく趣が味わい深い。村はずれに店を出した商人たちが帰ってゆき、あたりはひっそりとしてきた。酒屋の軒につるされた幟を夕日が冷たく照らしている。真赤に色づいた柿の実が店頭に並べられていて、秋の気配の深さを感じさせる。菜を背負うて山から帰ってくるすげ笠姿が列をなして行き、塩俵を運ぶ駄馬の鈴の音が静かに聞こえる。この土地がいつでもこんなに落ち着いた情緒をもっているのであれば、この土地に家屋敷を買って住み着き、時を楽しみながら暮らしてみてもいいと思う。

小阪部郷黌寓中。與諸生同賦。(探韻)    小阪部郷黌寓中。諸生と同に賦す。(探韻)
 訳文:小阪部村の秋は更けてゆき、平和な静けさを楽しんでいる。冬期の農閑期に講義を開こうと思うので、このままこの地に逗留することにした。隣に住んでいる農夫は人情こまやかな人である。塾に学ぶ冠者と童子の人数もだんだん増えてきている。鶏は生徒たちの早起きをうながすようにあちこちの村落で鳴き、月は夜更けまで書を読む学生のために窓辺を照らす。こうして書物を読み続けているが、一向に成果が上がらず、田を耕し生産に従う人たちの業績にくらべてはずかしい思いがする。黄金の雲のような、よく稔った稲を、農夫たちはもう刈り取っている。
※宮原信著『山田方谷の詩-その全訳』明徳出版社(1982年初版発行)を参考にしました。
(文:大佐山田方谷記念館駐車場に設置された「山田方谷先生 小阪部移住・開塾150周年記念建碑」より)

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大佐神社境内にある社叢は県下でも屈指のもので新見市指定天然記念物

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隋神門                     境内にある社叢は県下でも屈指のもの

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大佐神社の拝殿

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拝殿                      本殿

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社務所                     境内の大きな社叢

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大佐神社裏参道