備中松山城「御根小屋跡」(高梁市)

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 岡山県指定史跡 備中松山城御根小屋跡
 御根小屋は備中松山藩の藩主の居城であり、藩の政務を行う役所である。
当藩では城が標高430mにあるため、平時の政庁として御城山の麓に造られたものである。北は臥牛山に接し、南は小高下谷川を堀に見立て、西は現JR伯備線で限られたほぼ三角形の地形で、その面積は約34,000㎡。旧制高梁中学校(現在の県立高梁高校)は、その跡地に建てられており、石垣は御根小屋の原型を今に伝えている。
 創建年代は不明であるが、天正3年(1575)の兵乱で焼失した記録があることから、その歴史は、戦国時代まで遡ることができる。現在の姿は、江戸時代初期に代官の小堀遠州が再建をはかり、天和3年(1683)当時の藩主水谷勝宗により完成された。
 幕末の資料では、登城には惣門を経て御殿坂を登り、中門を通って御殿に至る。中門の北側に作事処(現テニスコート)がある。高梁川で運ばれた米などは川端町で陸揚げされ、御蔵坂を通って米蔵に、武具は一段高い石垣上にある武具蔵(現運動場)に保管されていたことかが記載されている。
 備中松山城御根小屋跡は、平成3年4月に岡山県の史跡に指定された。

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県立高梁高校

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県立高梁高校                  目の前はJR伯備線の線路

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グラウンドに続く石垣

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長い石垣が青空に映え美しい。

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目に前には線路があり、梅の木の古木には梅の蕾が沢山ついていました。

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現地案内板

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幕末期の御根小屋の様子             明治30年後半の様子

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備中松山城「御根小屋跡」の配置図(文:現地看板から転載)(2021年2月6日撮影)