ミニミニ企画展 ー子から丑へー

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 「令和2年の干支、子(ね)と令和3年の干支、丑(うし)にちなみ、ねずみや牛に関する作品が展示します。その他にもお正月に関する資料などを展示し、博物館の新年をおめでたい雰囲気で迎えます。」とのキャッチフレーズに思わず行ってみたくなり、遅ればせながら1月16日に津山郷土博物館を訪れてきました。3階の会場の一角にコーナーがあり、ひときわ目を引いたのは、飯塚竹斎の大根鼠図でした。これは「大根食うねずみ」と「大黒ねずみ」をかけたモチーフであると考えられ、おめでたい図柄だそうです。津山郷土博物館にはお宝がいっぱいです。

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写真左:七福神図/狩野由信(如水)
 江戸時代の絵画を代表する狩野派の絵師は、全国の大名家に抱えられていました。
 由信は、はじめ池淵宇助といい、明和4年(1767)に絵師として津山藩に召し抱えられ、天明2年(1767)に狩野姓を許されました。七福神はおめでたい図で、津山藩狩野派の絵師達による七福神図が数点残されています。

写真右:大根鼠図/飯塚竹斎
 飯塚竹斎は、寛政8年(1769)、津山藩士の広瀬家に生まれ、飯塚家へ養子に入ります。天保5年(1834)には、藩主斉民の側に召し出され、絵を描くことを命じられました。この作品は、大根を食べる鼠が描かれています。これは「大根食うねずみ」と「大黒ねずみ」をかけたモチーフであると考えられ、おめでたい図柄です。

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写真左:美作孝民記/文政3年(1820) 甲田行喜
 この本は、江戸時代、医師が親孝行の実例を収集したものです。夫が難病に伏し、子供や義理の両親の世話をしながら働いている女性の様子を描いています。この女性は、自らも炭を持ち、荷をのせた牛を引いています。耕運機などの農機具が普及するまで、牛は人々の暮らしと密接に関係していました。

写真右:スケッチ 牛/河井達海(たつみ)
 河井達海は、明治38年(1905)津山市で生まれました。昭和4年(1929)に第十回帝展に初入選を果たしたあと、第六回文展特選など数々の賞を受賞します。昭和24年には、大阪学芸大学(現:大阪教育大学)教授となり、多くの人たちの指導にあたり、昭和52年には勲二瑞宝章を叙勲しました。油彩画を中心として、人物や花、風景などさまざまなモチーフのスケッチも多数残されています。

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郷土玩具 子 丑/庄野ヒカル
 庄野ヒカルは、明治40年(1907)、津山市田町で生まれました。大正12年(1923)に女子美術学校に入学、卒業後は洋画や洋裁なども勉強しました。昭和26年(1951)から津山服装専門学校でデザインと服飾史を教えながら、自らも熱心に勉強し、昭和38年第1回ピエール・カルダン賞を受賞します。2位は世界的なデザイナー三宅一生でした。その後も教師を続けながら、西洋人形、子供、花などを中心に多くの作品をのこしました。

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スケッチ 牛/植月正紀
 植月正紀は、昭和12年(1937)に津山市で生まれました。独学で絵を学び、昭和33年から6年連続で国展に入選し、昭和48年からは国展の審査員を務めました。初期は抽象画を描き、その後樹木の油彩を多く描きました。