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取材記事内をタグ「高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場」で検索した結果,32件の記事が見つかりました。

高貴山 奥之院 宗傳寺(美咲町)

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第十五番 高貴山奥之院 宗傳寺
 宗傳寺は開創盛時、七間四面の本堂をはじめ七堂伽藍が整い、支院は七十二を数えた作州の名刹であります。弘仁六年(815)弘法大師御年四十二才の行脚の折、美作和気郷に仏法弘通の霊地があるのを見定められ、国家鎮護の祈願所として一宇を建立、行基菩薩の御作開眼仏なる六観世音像の安置された霊験あらたかなる聖地であります。
 当山鎮守「高龍権現」は弘法大師入唐の時、育王山清瀧寺鎮守高龍権現に誓願、帰朝の後当山に勧請されたものと作陽誌にあります。元弘二年(1332)後醍醐天皇隠岐にご遷幸の途次、当山にお立ち寄りになられたと伝えられており、南麓には「古御帝」の遺跡があります。
 文安元年(1444)尼子の兵火に罹り堂塔悉く焼失し、唯塔頭「自性院」(現華蔵寺)のみ南麓に下りて草庵を結び、難を免れた聖観世音菩薩を本尊とし、「高貴山華蔵寺」と号して法灯連綿と継承しております。

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大寺山 勇山寺(真庭市)

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第三十三番 大寺山 勇山寺(いざやまじ)
  当山は、神亀三年(726)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が六尺五寸の薬師如来を彫刻し、七堂伽藍を創建して国府大寺と号しました。実に1200有余年前にして、当国唯一の古刹でした。
 その後弘仁六年(815)十一月、弘法大師が来錫し、厄難除けのため、不動明王・矜伽藍童子・制多伽童子の三尊を一木より彫刻し安置されました。彼の成田山の姉妹作として、日本三体の一つです。
 不動尊は内に応病与薬の徳を秘し、外に悪魔降伏の相を現わし、現当二世に社会浄化の利益を施します。その彫刻は大師の御手よりなされたので、本尊の誓願深く籠らせました。故に、古今の名将や遠近の士女等、之を仰信して加護をうけられた人たちが多くいました。
彼の征夷大将軍は・源頼朝は文治五年(1189)に寺領百石を寄付し、山名忠政は赤松討伐のとき戦勝を祈り、また、天正十年(1582)領主牧家信は二十石を寄付して、堂宇維持のために充てられてました。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)

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高貴山自性院 華蔵寺(美咲町)

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第十六番 高貴山自性院 華蔵寺
  かわいらしいお地蔵さんに迎えられ、百観音のお砂踏みをしながら蓮の台に運ばれていきます。仁王さまの厳しい眼差しに身を引き締めながら山門(鶴山城より移築)をくぐると、十二支八体仏のご本尊さまと連山の眩しい緑をバックに、燃えんばかりと咲き誇る霧島つつじの大木にまず目を奪われます。
 華蔵寺は、弘仁六年(815)弘法大師の開かれた高貴山宗傳寺が前身となります。宗傳寺は文安元年(1444)尼子の兵火に罹り堂塔悉く焼失しましたが、唯 塔頭「自性院」のみ南麓に下りて草庵を結び、難を免れた聖観世音菩薩を本尊とし、高貴山華蔵寺と号して宗傳寺の法灯を連綿と継承しております。
 本堂には美作結縁灌頂にてご縁を結んでいただいた両界曼荼羅がお祀りされております。
 本堂をあとに振り返ると泉水には悠々と泳ぐ大きな錦鯉たち...奥には本格的なお茶室が静かにたたずんでいます。
 お大師さまのお招きに歩みを裏山へ進めると、四国八十八ヶ所お砂踏み霊場が続いており、山頂には阿弥陀さま(第十五番宗傳寺)がお待ちになっておられます。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)

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鈴峯山 蓮乗院 薬水寺(美作市)

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 当寺は天平年間、聖武天皇の時代に行基菩薩によって開山されました。寺号を浄瑠璃寺と称し、薬師如来をお祀りしました。
 その後、正元元年(1259)に最明寺の北条時頼入道が、全国行脚の途中に立ち寄られました。
 その時眼病を患っており、本堂におこもりになったところ、「鬼門の方、山上の小池の清水で眼を洗うべし」という夢を見、さっそく洗うと、眼病がたちまちに平癒しました。
 そこに弁財天を安置し、寺号も薬水寺と改めました。
 弁天池の改修、社を再建しながら現在に至ります。しかしながら、平成になって山上に林道が開通したりと環境の変化のため、現在は残念ながら弁天池の清水はわずかながらしか湧いておりません。

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壽寳山 長善寺(鏡野町)

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壽寳山 長善寺
 寺の創設は古く、高野山聖無動院が本寺で、開祖、年代は不詳です。当初は富西谷字名越の高台にあり、山中山長善寺と呼ばれていました。
 平安末期、富荘では総鎮守、布施明神の別当寺となっていました。
 享保六年(1720)頃火災により全焼し、縁起・寺宝等すべてを焼失しました。敷地付近には室町期の宝篋印塔など数基あり、往時の足跡を残しています。その後現在の平地に建立され、山号を壽寳山と改められました。
 当寺では村内八十八ヶ所のお参り場所が、大正五年に小豆島から勧請され栄えていましたが、戦後衰退し近年再興されお参りをしています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年10月5日)

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黒見山 寶聚院 観音寺(美作市)

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 美作市にある観音寺は、別名もみじ寺と呼ばれ親しまれているお寺です。11月上旬にはもみじ祭りが開催され、写真や俳句コンテストなどが賑やかに行われます。境内には色とりどりのモミジが絵にも言われぬくらい美しく思わず写真を撮りたくなります。
(作東町指定天然記念物 観音寺の森)
東作誌によるとこのあたりは江見の郷のうちで山家五か村を称して「山家の庄」といったという。その景観を今も残しているのがこの森だそうです。(2014年11月16日取材の時の様子

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第25回 花の山寺 桜と紅葉まつり

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 2019年11月3日~11月17日まで「第25回 花の山寺 桜と紅葉まつり」が真庭市にある普門寺で開かれました。11月9日に伺ったのですが、モミジがすでに紅葉しているもの、これから紅葉するもので赤、黄色、緑と色鮮やかでした。また、近くでは、そばや団子等の特産品の販売もありました。
ここは、一年のうちに数回の花を咲かせる「四季桜」でも有名なお寺です。今年、びっくりしたのは菅官房長官のお人形が出迎えてくれました。本当によく似ていました。(2017年5月14日取材

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梅本山 観音寺(鏡野町)

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 弘仁十三年(823年)、山岳権現信仰の発達していた時代、藤原雄友の創建で、この地の泉山山中に井水権現を本尊として神仏混合の社殿を建立し、当観音寺はその宿坊の役目をしていました。
 後に勢力分離の国策のため、泉山に泉嵓神社として残し、観音寺は今この地に移転されました。その後は西屋城の戦でこの地に没した多くの兵士の菩堤を弔うために、慶長五年(1600)に頼照上人が中興となって再建されました。
 山号に梅本山とあるのは、菅原一族の一部がこの地に土着して、道真公を奉祠したのを契機に、梅本山と号したのだと思われます。
 持佛堂に阿弥陀如来と秘佛の訶利帝母尊(鬼子母神)をお奉りしていますので、子育てのお寺として信仰されています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年10月日)

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八木山 知足院 福泉寺(鏡野町)

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  当山は寺伝によれば、行基菩薩が諸国巡礼の折、当地に立ち寄られ自ら観音像を刻まれ安置、寺号を福岡山福泉寺とし、開創されたお寺です。
 その後、弘仁年間には弘法大師も密教を広めるため、当寺に立ち寄られました。その折、寺号を知足院と改められました。そのため、当山は知足院ともいいます。
 宝暦年間に落雷により火災となり、伽藍が悉く焼失してしまいました。
 境内を現在地、米山に移して寺号を八木山福泉寺と称しました。本堂は文政二年(1819)、庫裏は明治元年の建立です。 

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男女山 金光院 吉祥寺(鏡野町)

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 当山はかつて七百有余年の昔、男山(おんやま)の東麓に山を負い、香々美川を眼下に堂・伽藍の荘厳さは、想像に絶するものであったといいます。
 しかしながら、慶長年間に暴風雨のため、男女山の半腹より崩壊し、境内・外の土地、建物及び什器を流失するところとなりました。そのために字旧寺に移しましたが、その後再び洪水のために流失し、今の地に移しました。
 明和三年(1766)、観深上人が堂宇を建立し、大変壮観であったといいます。残念なことに明治十三年火災により焼失し、堂宇を再建しました。
 平成十六年より堂宇・境内の整備事業を行い、伽藍の荘厳大いに整い、現在に及んでおります。
(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月16日)

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