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取材記事内をタグ「史跡・歴史的建造物」で検索した結果,237件の記事が見つかりました。

史跡 美作国分寺跡

史跡美作国分寺跡とその特徴
  美作国分寺は、総国文寺となる東大寺と伽藍配置が極めてよく似ています。また、寺域(お寺の範囲)も二町(約220m)四方で、国分寺の基本的な規模に一 致するといわれています。その上、創建時に屋根に葺かれた軒瓦の文様は、平城宮で用いられた瓦の文様と瓜二つという特徴があります。
  美作の国は、713(和銅6)年に備前の北部6郡を分割してつくられた新しい国で、その国府(国の中心の役所)は津山市総社に置かれました。美作国分寺の特徴である都との密接な関係は、そういった事情を反映しているかもしれません。
  奈良時代中ごろに建立された美作国分寺は、その後変遷を重ねながら、平安時代末には衰退したようです。
  美作国分寺と対になり建立された美作国分尼寺は、発掘調査の結果、国分寺の西方約500mのところに存在していたことが明らかになりましたが、伽藍配置等の詳細はまだ分かっていません。

 平成16年2月27日国指定重要文化財(史跡)指定

2009.9.2
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中山神社

▲中山神社本殿(国指定重要文化財)建造物大正3年4月17日指定

中山神社の沿革
  文武天皇慶雲四年(707)の創祀。貞観六年(864)官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年(1081)には正一位の神階を授かる。
  平安時代の代表的説話である「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。
  国家非常時(元寇など)には勅命により特に全国七ヶ国の一宮(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)を選び、国家安穏を祈願せしめ当社も其の中に選ばれて祭祀を厳修したとされる。
  建武中興破れて約四百年間は、美作国中戦乱の巷と化し、永正八年(1511)と天文二年(1533)の両度に祝融の厄に遭い宝物・古文書等悉く焼失したが、永禄二年(1559)に至り、出雲国尼子晴久が戦捷報賛の為、社殿を再建し歴代藩主の崇敬厚く、「一宮さま」と親しまれ、明治四年(1871)六月には、国幣中社に列格す。
  現在も、鍛金・冶工・採鑛等の守護神、農耕・牛馬の守護神として広く崇敬されている。

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美作総社宮

 
   

▲美作總社宮は、社記に欽明天皇25年(およそ1400年前)、大巳貴命(大国主命)を字本館(西方約1キロ)にお祀りしたのが始まりと伝えられ、和銅6年(西暦713)備前国から6郡を割いて、はじめて美作国が置かれ、その翌年、国府がこの里に開庁されました。
その後、美作国司が大巳貴命を主祭神として、一宮中山神社、二宮高野神社の両大社をはじめ、美作65郷のすべての神祇を合祀して、總社宮と名づけ、その後およそ500年間歴代の国司は、みなこの御神意を奉じ、国内の政治を執り行いました。(2009.1月取材)

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美和山古墳群(みわやまこふんぐん)

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国指定史跡 美和山古墳群(指定年月日 昭和52年3月8日 指定面積 32,025㎡)
美作地方最大の前方後円墳を含む古墳群です。北から1号墳(胴塚)(前方後円墳、全長80m)、2号墳(円墳、蛇塚、直径34m)、3号墳(円墳、耳塚、直径37m)と60年度の確認調査で発見された6号墳(円墳、直径16m)の4基の古墳で構成され、地元では「伝説」にもとづいて、それぞれ胴塚、蛇塚、耳塚と呼びならわしています。
  1、2、3号墳とも、墳丘斜面を直径30センチ程の葺石で覆い、円筒埴輪や器財型埴輪が用いられていることが分かっていますが、埋葬施設などはいずれも未発掘で分かっていません。 
  各古墳の大きさや、発見されている埴輪、古墳の形などから考えて1、2、3号墳は、古墳時代前半期(4~5世紀)にこの地域で勢力をのばした豪族の墓であると考えられます。
  また、戦国時代(14~16世紀)この地に美和山城が築かれていたことが文献にしるされていますが、1号墳の東西の張り出しはその美和山城の土塁の跡とみられます。

2009.8.16取材
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鶴山八幡宮(つるやまはちまんぐう)

津山市観光 鶴山八幡宮(八子の八幡さま)

▲本殿(国指定重要文化財)

鶴山八幡宮は 往古より鶴山頂上にありましたが、慶長8年森忠政公美作国々主に任ぜられ、この山に築城するに当たり、先ず八幡宮を一旦久米郡除山(現在作陽高校のある覗 山)に遷座されましたが、慶長15年藩主森忠政公霊夢により、府城の西北に当たる現在の地、山北八子不知夜山(いざやま)に再び遷座、寛文9年二代藩主森 長継公荘麗極彩色の社殿を建立(現在の社殿がこれで国の重要文化財)社領50石を寄進、寛永12年社領30石を加増、元禄元年に三代長成公又社領30石加 増し崇敬するなど森家代々ゆかりの深い神社です。

現在津山地方北部の大土産神です。

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津山扇形機関車庫

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津山扇形機関庫
津山の鉄道遺産のシンボル。津山観光への入り口です。まずは、津山駅と津山機関庫の雄大な風景を楽しんでください。架線がなく、南側に山を望む立地は、地方において鉄道が全盛期を誇った雄大な風景がそのまま残る場所です。

マニア必見。日本にほとんど残っていない扇形機関車庫。
https://www.e-tsuyama.com/event/2007/11_kikansha/index.html

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