中山神社

▲中山神社本殿(国指定重要文化財)建造物大正3年4月17日指定

中山神社の沿革
  文武天皇慶雲四年(707)の創祀。貞観六年(864)官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年(1081)には正一位の神階を授かる。
  平安時代の代表的説話である「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。
  国家非常時(元寇など)には勅命により特に全国七ヶ国の一宮(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)を選び、国家安穏を祈願せしめ当社も其の中に選ばれて祭祀を厳修したとされる。
  建武中興破れて約四百年間は、美作国中戦乱の巷と化し、永正八年(1511)と天文二年(1533)の両度に祝融の厄に遭い宝物・古文書等悉く焼失したが、永禄二年(1559)に至り、出雲国尼子晴久が戦捷報賛の為、社殿を再建し歴代藩主の崇敬厚く、「一宮さま」と親しまれ、明治四年(1871)六月には、国幣中社に列格す。
  現在も、鍛金・冶工・採鑛等の守護神、農耕・牛馬の守護神として広く崇敬されている。

★御祭神
・主祭神/鏡作神(かがみのつくりのかみ)  鏡作部の祖神石凝姥神の御神業を称えた御名
・相殿神/石凝姥神(いしこりどめのかみ)  天孫降臨の五部神 八咫鏡を造りませる神/天糠戸神(あめのぬかどのかみ)  石凝姥神の父神

※只今工事中ですが、2009.10月位には覆いもとれるそうです。(2009.6.6)

▲燈籠

▲狛犬

▲名木百選に選ばれた中山神社ムクの木(推定樹齢500年)

▲鉾立石

▲亀石


社殿 
  現社殿は、永禄二年(1559)出雲国富田城々圭尼子晴久戦捷報賛の為、十八年の歳月をかけ、再建されたもの。
  本殿は単層入母屋造妻入・桧皮葺にて間口五.・五間、奥行五.・五間、建坪約四一・五坪の宏壮雄大なもので大正三年国指定重要文化財。
  これに巾二・五間、入三間の向拝を附し釣殿を介し、入母屋造平入・桧皮葺の拝殿へと連ねた形式を他地方の例のないことから「中山造」と呼び美作の多くの神社の模範とされた。

★中山神社年中祭典日
1月/1日 元旦祭
  /3日 元始祭
2月/3日 節分祭
  /11日 紀元祭
  /17日 祈年祭
3月/21日 春分祭
4月/29日 春季大祭/御田植祭
6月/30日 大秡式
7月/18日 夏越祭
9月/23日 秋分祭
11月/3日 秋季大祭/御神幸祭
  /15日 七五三祭
  /29日 新嘗祭
12月/31日 大秡式/ 除夜祭
毎月/1日 月首祭
  /15日 月次祭

(参考資料は中山神社より提供頂きました。)

▲鳥居横の案内板

▲中山鳥居、中山神社の鳥居は、両柱を支える貫はあるが、その柱より出た部分は木鼻と云いますが、その木鼻が全くないため全国的に珍しく評価されています。花岡岩製で、高さは約11メートル。寛政三年(1791)の作。

▲表参道

▲神門

津山市指定重要文化財

▲御手洗川にかかる橋

▲中門

▲本殿

▲神楽殿

▲拝殿

▲拝殿向拝

▲せんだんの木


「中山神社お田植祭り」

毎年4月29日には「お田植祭り」が開かれ、地元の人々が扮した20余人の鍬人が、雌雄2頭の獅子とともに笛や太鼓に合わせて鍬を振ったり苗を植えたりする様を演じ、五穀豊穣を祈る。

▲社務所

▲社務所の上がり口にあるタイルは日本最古と言われているそうです。

▲石垣

▲ 手水舎

▲銅牛

▲国司社(くにししゃ)
地主神として大国主命を祀る。社殿横には「鉾立石」があり国難の際、本殿に移し、祈念された。

▲御先社(みさきしゃ)
中山の神の祖神を祀る。中山の神の側にあって供をするという義で、一般には稲荷神として信仰されている。

▲総神殿(そうしんでん)
山上山下120社を合祀。寛保二年再建。御手洗川手前にあったものを大正二年移築。幸宮・宇都宮・小原神社をも合祀。

▲境内に咲いていたドクダミが清楚。

▲中山神社横を流れている鵜の羽川の石(羽止石)

中山神が鵜の羽を浮かべたところ、その羽がとどまったとされる石。


猿神社(さるじんじゃ)
今昔物語二六巻にみえる「中山の猿」の霊を祀るとされ、現在、猿田彦神として祀られる。牛馬の安産守護の神として信仰を受け、今も尚、ぬいぐるみの小猿を奉納する風習が残る。

▲途中急勾配になっています。


▲御鳳輩庫の横から奥へ進む。

▲猿神社への道

▲猿神社途中の鳥居

▲猿神社

▲猿神社

多くの願主によって奉納された、猿のぬいぐるみがある。


中山神社々務所

〒708-0815津山市一宮695

TEL0868-27-0051

FAX0868-27-2377

◎津山ICから車で約15分

◎JR津山駅より車で約15分


中山神社祝木(なかやまじんじゃいぼぎ)のケヤキ(市指定天然記念物)

 中山神社大鳥居前の県道沿いにある。推定樹齢800年で、胸高8.95m、根元10.5m。地上5mから七枝に分かれ、内部は空洞となっている。道路に面して祝木社の小祀がある。祝木とはこの木の下で中山神社の先住神を祝い祭ったという伝説にちなんでいる。

「中山神社縁由」によると、慶雲3年(706)中山神は美作国を鎮護するため英多郡楢原に天下った。次に水無瀬河奥の泉水池(現津山市一宮)に現れ、さらに田辺の霧山に移った。そこで麓の川に鵜の羽を浮かべたところ、その羽が長良嶽の麓にとどまった。その地にはすでに先住神の大巳貴命(おおなむちのみこと)が鎮座していたが、命から国譲りをうけ、慶雲5年(708)現在地に社殿を建てて永くこの地に鎮座することになった。そして、大巳貴命は祝木のもとに移住して鎮座したが、のち数10m南の地に宮地を求めて国司神社となったとする。(文:津山市の文化財より)

▲祝木

▲中が空洞になったケヤキ


◎鍬振り神事4月29日のお田植祭

 境内で白装束に黒烏帽子を付けた氏子12人が笛や太鼓に合わせ、参道の石畳の上を田んぼに見立てて木鍬を頭上で振り回してから地中に打ち込む様子を繰り返します。古くから農耕、牛馬の守護神として美作一円から崇敬されています。また、「今昔物語」の中にも、当神社の猿退治の説話が面白く紹介されています。


◎あしひきの山を奇しみゆく水のさやけく清し中山の宮 平賀元義

◎中山の中たえわたしみしめなはいにしへにこそ曳かへしけれ 高崎正風

◎まかねふく吉備の中山弥高き神のみいつを仰く尊さ 松岡利起

◎中山の神のみもろに昔より名にしあふちの花のさかりは 丸山莞爾

◎牛馬も神まゐりする中山の高きみゐつそ世にたくひなき 源千秋

(中山神社)