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取材記事内をタグ「史跡・歴史的建造物」で検索した結果,237件の記事が見つかりました。

瀧尾山 西法寺

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瀧尾山 西法寺(2011.7.10取材)
 この寺は天台宗(伝教大師・最澄)瀧尾山西法寺といい、天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。昔は妙原の大谷山にありましたが、山津波にあって寺が壊れたため、寛文11年(1671年)に堀坂へ移したもので、ご本尊は不動明王です。
 お不動さんは右手に剣を左手に綱を持ち、左目を閉じ口を斜めに噛みしめ、しかめた顔をして体の色は青黒く、火炎を背中に負って険しい岩場に立っています。
 大日如来の命令を受けて、人の心に住む悪魔を退治するといわれています。恐ろしい姿でですが、本当は心のさしい仏様で、心がよくない方向に向かっていると正しい方向へ戻してくださるといわれています。
 この本堂は文政8年(1825年)に建てられたもので、本堂が無事に完成することを願って参道口に六体地蔵が寄付建立されました。また平成14年4月に内仏殿と庫裏を改築し内仏殿には阿弥陀如来を中心に、伝教大師最澄、檀信徒のご先祖を祀っています。
 この寺は、加茂郷88ヶ所霊場第54番札所です。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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本谷山 神宮寺(観音様)

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本谷山 神宮寺(観音様)御堂(2011.7月9日、7月17日取材)
 神宮寺(観音様)は元禄7年(1694年)掘坂と妙原の人々の浄財により建てられた十一面観世音菩薩が祀ってあります。今でも毎年7月16日の夕方から18日の夕方まで、人々が替わり合って昼夜鉦(かね)をたたき念仏を唱え、いろいろな災難や病気に罹らないように、一心に祈る習慣が続いています。
 御堂の正面の壁(漆喰)には、鏝絵(こてえ)と言われる珍しい絵が鏝で描かれています。また御堂のなかには百万遍の念仏を唱えるのに使った数珠があります。
 観音様を“南無観世音菩薩”と唱えると、火難、賊難、雷難、蝮難、薬難、病難、不慮の事故などからのがれると、お釈迦様が説かれた観音経の中にあります。
  十一面観世音菩薩は頭の前に三つの優しい顔、左に三つの怒った顔、右に牙を出してほめている顔三つ、そして真後ろは大笑いしている顔一つ、正面を向いている顔一つ、これは同行二人を表しており、観音様の顔を入れて十二の顔となっています。
 ここは、加茂郷88ヶ所霊場第53番札所でもあります。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

 

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堀坂神社

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▲堀坂神社(2011.7.9取材)
 堀坂神社は老松山1047番地の山林の中に厳粛に建っています。神社の創立は承安3年(1173年)の頃、社号は天満大自在天神宮(天満宮)で、一般的には天神様をお祀りしているといわれています。ご祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)学問の神様菅原道真公の先祖神と、大国主命(おおくにぬしのみこと)縁結びの神を祀っています。社殿は本殿、弊殿(へいでん)、拝殿、社務所、神楽殿、神輿庫で神輿は2基です。社殿も再々火災にあいましたが、今の本殿は宝暦2年(1752年)堀坂村領主、常陸国土屋藩(茨城県土浦市)土屋能登守篤直が再建したものです。昭和57年に拝殿を中心に改築し、同時に神楽殿の屋根及び神輿庫も改修しました。 
 境内には荒神社、若宮神社、愛宕神社、松稲荷神社、祖霊社、外2社があります。
 歳旦祭 1月1日 祈念祭(春祭り) 3月25日 夏祓祭(夏祭り) 7月24日 秋例祭(秋祭り) 10月25日(近い日曜日) 新穀感謝祭 11月23日 除夜祭 12月31日(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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光伯(こうはく)地蔵(西吉田)

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植月秀俊さんの奥様のお話では、光伯地蔵様の縁日には夜店がでて賑やかだったそうです。また、足が治るとの言い伝えから、足が悪い人がわらじを持ってお参りに来ていたそうです。昔はとても大きなわらじがお供えしてあったそうです。(2011年6月25日取材)

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加茂の金刀比羅神社

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▲加茂の金刀比羅宮(2011.6.25取材)

当社は中原日詰に鎮座す
 日詰山には、寛文年中、四国金刀比羅宮の分霊を奉還し安置す。明治42年、宇野原口、楢井行重、百々、中原成安、才ノ谷社を合祀し安置す。大三輪大明神、惣道天明神、大山祇社、大月大明神、日野目大明神、末社には19の命を祭り奉還す。
相殿に大物主命、速玉之男命、伊弉冉命。
・神を祭祀せば=悪い病いのたたりなくなると言う。
・神を祭祀せば=農耕、養蚕、織物を治め一番大切な祖神がある。
・神を祭祀せば=心おちつき事に当たりなしとげらるるという。末社、荒神社は安産の神、稲荷神社に商法の繁昌、木山神社山の神、末社多くの神々を安置す。広く県外からも参拝し祈願者も多い。
祭日は次の通り行う。
祈願祭 元旦~3日 豊作繁栄 4月10日 難病除 7月10日 大祭(例大祭) 10月10日 年の礼祭 12月10日
◎尚、大平内閣総理大臣が幹事長時代に神社の社碑を書き下されてあります。
◎又、山上には40年代の桧材で展望台を作ってあり、加茂郷が一望出来るようにしています。
金刀比羅神社(案内板より)

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津山で一番早い夏祭り「八頭(やかみ)神社」

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▲八頭(やかみ)神社の夏祭りが2011年7月3日(日)にありました。この夏祭りは津山市の中で一番早い夏祭りだそうです。ちなみに秋祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の夏祭りが始まります。

八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われているようです。近年お御輿もあるのだそうですが、修復も中々前に進まないそうです。

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福力荒神社

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福力荒神社(津山市福力130番地)2011年6月25日取材 ★2008年の福力荒神社大祭取材記事

祭神 素盞鳴尊
祭礼 
・天和2年 祭日9月9日 社人 横林常陸
 現在   旧正月大祭(1日・2日・3日) 春季大祭 4月20日
       夏季納涼祭 7月 秋季大祭 10月 新嘗祭・冬至祭 12月
・代表的な祭礼
・旧正月の3日間は午前10時から神事が行われ、巫女による浦安の舞、豊栄の舞も奉納されます。3ケ日には安産・蝮除け・学業成就など願う10数万人もの参拝者で賑わい、参道には200軒もの露店が立ち並びます。
・秋季大祭は、神事に続き傘鉾の行列が組まれ太鼓などを打ち鳴らしだんじり・神輿も御旅所への御巡幸があり盛大に執り行われます。
主要建造物 本殿 幣殿 拝殿 社務所 鳥居 狛犬 碑
宝物 山口彦左衛門の奉献太刀 環頭太刀(創建600年記念)
御利益 蝮除け 子授け 安産 家内安全 学業成就 交通安全 商売繁盛 良縁等

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歴史民俗資料館(旧勝北町)

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勝北民芸資料館(2011年6月22日取材)は勝北公民館の上高進さんに大変お世話になりました。

▲写真の庭の石のモニュメントは正面のモニュメントから後方のモニュメントの穴に風が吹きぬけると言われているそうです。

資料館のねらい
勝北の北にそびえる那岐連峰は、美しい景観を誇っているが、その裾野に住む人々は水不足に悩み、広戸風におびえてくらしてきた。
ため池をつくり、木背で家を守り、養蚕で家計を支えて、先人たちはこの郷土を築いてきた。
これらの労苦をしのばせる生活民具、貴重な文化遺産を後世に伝えるとともに、文化財保護心を育てるため、勝北町民俗資料館に保存展示することにした。(勝北町歴史民俗資料館パンフレットより)

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可愛い顔の「C11-80機関車」です。

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C11-80機関車の概要(2011年7月1日取材)
製造月日 昭和10年3月30日
廃車月日 昭和50年1月24日
製造場所 日立製作所笠戸工場
運転線区 昭和10年4月19日 予讃本線(松山機関区)
     昭和19年4月3日 芸備線(三次運転区)
     昭和23年7月8日 津山線(津山機関区)
     昭和48年4月11日 只見線・会津線・日中線(会津若松運転区)
運転キロ 1,751,397.8キロメートル
由  緒 本機は、ディーゼル車両が多用化されるまで、支線の短区間旅客列車用に造られた、代表的なタンク機関車で、昭和23年7月から津山機関区に配属され、24年間県北部において、戦後復興の担い手として客貨輸送のため走り続けて来た。その間、昭和37年10月の岡山国体には、お召し列車を、昭和46年3月津山線ディーゼル化の際は"サヨナラSL"の牽引機として、地域住民に親しまれた機関車である。
 しかし、動力近代化の波におされて、陸奥の会津若松にてその生涯を終える。
参  考 長さ 12.65メートル 幅 2.83メートル
     高さ 3.90メートル
     重量 (積車)66.05トン (空車)51.90トン
     最大許容時速 85.0キロメートル(案内板より)

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