源四橋(押入)
源四橋
因幡往来が、下押入の古川をまたぐところに、源四橋がかかっています。この橋には、人の名前がつけられています。
江戸時代のおわりごろ、野村に、保田源四郎という人がいました。そうとうなお金持ちだったのですが、子どもができなかったそうです。
源四郎さんは、のちのちまで人々のやくにたつことをしておきたいと考えました。そこで、旅人の安全を考えて、下押入から野村までの因幡往来に、七つの石の橋を自分のお金でかけたといわれています。
源四橋
因幡往来が、下押入の古川をまたぐところに、源四橋がかかっています。この橋には、人の名前がつけられています。
江戸時代のおわりごろ、野村に、保田源四郎という人がいました。そうとうなお金持ちだったのですが、子どもができなかったそうです。
源四郎さんは、のちのちまで人々のやくにたつことをしておきたいと考えました。そこで、旅人の安全を考えて、下押入から野村までの因幡往来に、七つの石の橋を自分のお金でかけたといわれています。
しづな山をこす因幡往来(2014年12月9日取材)
古い時代の管道(国道)である出雲街道は、日本海がわの出雲地方と国の中心だった大和地方をむすぶ重要な交通路でした。岡山県内には、七つの宿場がつくられており、大名行列の通った道でもありました。
狐塚遺跡(きつねづかいせき)
この遺跡は古墳時代後期(七世紀前半、約1300年前)のムラの跡です。津山東中学校の建設に先立ち津山市教育委員会が1973年に発掘調査しました。
東西100、南北30mの調査範囲から竪穴式住居址二五軒、建物跡十一軒が発見されました。これらの遺構からは鍛冶炉とともに多量の鉄滓(製鉄や鉄加工をした時に残る鉄かす)が見つかりました。鉄滓には、製鉄をした時にできる製錬滓があることや、鉄鉱石の破片が住居内から出土したことから、このムラに住んでいた人々は、製鉄や鍛冶にたづさわっていたことがわかりました。(前回の取材)
地元に残る、温泉街の古写真、東方向から 明治時代の撮影で押入の古川沿い、因美線の鉄橋近くにある明治時代の温泉跡です。(写真他資料提供:赤坂健太郎さん)
津山市出身で岡山市在住の赤坂健太郎さんが「苫田郡誌」で「小原と押入に冷泉があった。」とする記述を発見し、その謎を解くため紙面を通じて言い伝えなどを募ったところ、小原冷泉は郡誌の記録通り現在の大月公園南東側にあったらしく、近くの清水洋一さん宅では温泉の存在を証明する古い試料を大切に保管していたという。
保田扶佐子美術館 設立5周年記念 特別展が2014年(平成26年)9月28日(日)~10月5日(日)まで開催されました。館内は連日大勢の美術ファンで賑わっていました。(28日オープン時の館内の様子)
保田扶佐子美術館 設立5周年記念 特別展が2014年(平成26年)9月28日(日)~10月5日(日)まで開催されます。本展は世界的に活躍する3人のアーティストが、バルセロナで影響を受け、また刺激し合って生み出したそれぞれの独創的な作風を、この日本でお楽しみいただける貴重な展示となっています。
2014年7月27日(土)津山市押入上の夏祭りがありました。
保田扶佐子美術館の衣替えが済みましたのでお出で下さいね。2014年6月8日取材
今回の展示物は明るい色で描かれた素敵な絵画で、今年は5周年記念特別展も企画されているようですので楽しみです。それと、津山国際総合音楽祭とのコラボもあるそうですよ。
2014年3月30日の庭の様子です。綺麗に白モクレンが咲いております。
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我が家のモクレンきれいに咲いたのですね。写真大変有難うございました。
保田扶佐子
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頌春
ご健康とますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
昨年は色々と大変おせわになりました。
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
お元気で良いお正月をお迎えのことと想像しています。
私はお陰様で落ち着いて仕事に専念しています。(保田扶佐子美術館)