明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

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地元に残る、温泉街の古写真、東方向から 明治時代の撮影で押入の古川沿い、因美線の鉄橋近くにある明治時代の温泉跡です。(写真他資料提供:赤坂健太郎さん)


 津山市出身で岡山市在住の赤坂健太郎さんが「苫田郡誌」で「小原と押入に冷泉があった。」とする記述を発見し、その謎を解くため紙面を通じて言い伝えなどを募ったところ、小原冷泉は郡誌の記録通り現在の大月公園南東側にあったらしく、近くの清水洋一さん宅では温泉の存在を証明する古い試料を大切に保管していたという。

また、苫田郡誌にある「押入冷泉」は「鳴玉泉跡」として押入の地にその跡が残されている。
明治25年から35年まで鳴玉泉として湯台場があったらしい。

近くにお住いの早瀬元春さんは「昔旅館があり、栄えていた時期があったと伝わる」と話していた。(文:津山朝日新聞より抜粋)
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押入の温泉跡の現在の様子です。明治時代ここに小さな旅館街があったそうです。

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地元では「鳴玉湯」と呼ばれ周知されていた!   現地に残るコンクリート桝。

戦後ここから湯泡が出ていたらしい。
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津山朝日新聞2013年12月19日の記事です。



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こちらは小原地区の温泉跡。地元の方が当時のチラシを所有されていました。今まで知られていなかったもので初公開です。現地は「国府湯」と呼ばれる温泉地で、ここにも小さな旅館街があったという言い伝えです。小原地区「国府湯」の現況です。周りは住宅地、田んぼです。

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津山朝日新聞2013年12月18日の記事です。